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市場から私場へ

先日、”どんな言葉とか概念みたいなもの?がオワコンだと思いますか”

みたいなことを含む投稿をしたら、思いの外たくさんの方からお返事、コメントいただけて大変嬉しく、楽しかった。
(コメント読んだりするのが。
まだ全てにお返事できておらずすみません)

それについてはまだいろいろ咀嚼している最中で、きっと総論というかまとめみたいなものもいつか書く様に思う。

そしてオワコン化する言葉の内の一つに、とはいえすぐにはそうならず、徐々に土の時代の化石となるのだろうなぁ、と見られるものの一つに”市場論理・市場”なるものがあるように思う。

市場論理、市場。

市場というよくわからないが、確実に存在している圧力(とそれを生み出すもの)それが今の私たちの多くをコントロールしている、というか誤解を恐れずに言うと”生殺与奪権のようなものを超間接的に市場に握られているようなものなのかなとも思う。

だから、多くの人たちはその圧力や威に疲弊している。
受験とか就職戦線とかその辺りからもう”市場論理”がガンガンに幅を利かせてくるので、気づいたら刷り込まれている感はほぼだれも否めないのではないか、とも思う。(私含めて)

とはいえ、
市場があるから楽しいとかやりがいを感じる
(量的な成功とかが得られて)というのはある。

でも、いつのころからか、
ある程度のことはインターネットとかテクノロジーを駆使すれば”実はそれは軒先き3寸”でもできる様になってしまっていた。

でも”利権があるところ”からしてみたら、
それは”美味しくない気付き”なので色々な方法でそこからの解脱が延命、延長されていた様に思う。



とはいえ、
今、世界は急速に動いていると思うのだ。

市場(market)から
軒先き販売(私の場)へ。

市場で勝利しようとすると、
結果を出そうとすると大量のデータ、アナリシス、
諸々を駆使せざるをえない。
人員、オフィス等の場所、たくさんのリソースがいる。


でも軒先き業ならどうか?

おそらくだが、
その”コスト”の差は前者のそれとは比較にならない。

でも、
同じぐらいのリターン、
なんならそれ以上のリターンが
”運営側”にもあるとしたらどうか?

そこまでいくとなぜ”市場は存在するのか”というところまでいってしまう。

市場を生かすために私たちがいるのでは本末転倒ではないか。

私たち>市場が正しい力関係であり、
私たち<市場ではないはずだ。

市場という実は以外とcloseな社会から一旦飛び出すとそこにはブルーオーシャンがあるものだ。
市場の中にいたら多分見えない世界。
もしくは相当の圧をかけて”外に行くな”と止められる世界。
(なんとかのネバーランドとかなんとかの巨人みたいやな 苦笑)

とはいえ、まだまだ我々は市場論理が優勢の時代に生きているので
完全に市場をスルーするわけにもいかないのだけれど、ただ、
いいバランスで外と内を使い分けることができれば、
きっと市場自体もしかるべきスケールに落ち着き、もっとミニマルなものになり”角が取れた可愛いモンスター”みたいになれば、
世の中良くなりそうだな、とも思ったりもしている。

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240年前から続く土の時代から、 風の時代へと時代の主軸がかわる年、2020年。 先行する成功モデルや生き方の正解・雛形が見えない時代。 そんな手探りの時代を闇中する人たち、 風の時代をともに歩む仲間たちに向けた 新時代の生き方をしる”明かり”となる SOMETHINGを星読みを通じて紹介。 風の時代を生きる人たちに向けた 新時代サバイバル &ライフスタイルマガジン。

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