洞窟に戻ること
今までの20年の程の人生で、最も熱中したことといえば、正直受験勉強しかない。高三の日々は、まるで数学のように「正解」がある毎日で、受験勉強をするということが無条件に肯定され、自分の中で”確かに意味のある行動”であった。
集団行動が苦手であり、集中力が保たない子供だったからか、中高で部活動に熱中することもなかった私は、酸いも甘いもある日々を局所的に消化する毎日を過ごしていた。そんな中で迎えた受験期は、私にとってある意味では衝撃的で、いびつで、でも、血の通った期間だった。
熱に浮かされたように勉強は、幸い身を結び、第一志望の大学に通っている。受験から解放された日々は、心躍るもので、新たな出会いや知見を多く得ることができる。しかし、そのような穏やかで、温かい日々に浸りながらも、正直、受験期のことが忘れることができない。まるで路上に吐かれたガムのように、確かに私の中にこびりついている。
朝起きて、日本史の演習をする。登校中に英単語帳を見る。休み時間に友達と問題を出し合う。昼休みに図書館で勉強する。帰ったらすぐに勉強を始め、気づいたら寝てしまう。
過去を美化するのは人間の性だろうか、自分の過去に脚色がないとは言い切れない。未来への不安、不確かな身分、進み続ける時間。「何か大きなもの」に迫られ、一人で、黙々と、まるで洞窟のなかで一人壁画を書くように勉強していた毎日は確かに苦しかった。言葉では言い切れない程の怖さと耐え難かったのかもしれない。今となっては覚えていないが。
そんな苦しみを加味しても、最近思うことがある。それは
「洞窟に帰りたい」ということだ。洞窟という、誰もいない場所で、何かに一人打ち込む。それは学問でも、勉強でも、おしゃれでも、なんでも構わない。全てを忘れ、時に恐怖しながら打ち込みたいのだ。
確かに、洞窟は暗く、湿り、孤独かもしれない。でもきっと熱中という思いが、明かりを灯してくれると信じたい。
信じたい。そんな中で描く自分の壁画は、きっと時空をも超えると。