謙虚さのための儀式
最近、縁があって何かと社会人の方と話すことが多い。サークルの先輩、ゼミで知り合った教授の知人、先輩の紹介など。
学生という身分はかなりありがたい。「大学生です」というだけで、多くの人々が”将来の可能性”というものを感じてくださるのか、様々な話をしてくださる。若い時にすべきこと、将来のこと。快く”何者でもない私”も受け入れてくれ、様々な人生へのヒントを与えてくれるみたいに。
今日の昼休みにはキャンパス外で友人とランチに行った。都市に出たのだが、電車で行けば5分ほど。その中を私は20分かけて歩いた。
電車賃とすれば126円なのだが、真夏日の中歩いた。
自分がちっぽけなこと。まだ何者でもないこと。不完全なこと。
それらを噛み締めながら、汗を垂らして歩く。色んな”すごい人”と会う中で、自分は有頂天になってはいけない。そう、これは自分の中で見失いがちな謙虚さを取り戻すための儀式なのだ。
何度でも言おう。まだまだ私は電車賃126円を節約するような人間なんだ。