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「これだと思う表現は全て削られた」 第13回 月刊中山祐次郎
こんにちは、中山祐次郎です。私の住む福島はだんだん朝晩が冷えるようになってきました。
いま、新しい小説を書いている。
私は2019年2月に処女作「泣くな研修医」を出して、4月から8月までその続編小説を書いた。もの書きとしてはもう5年くらいにはなる。が、これまで書いたものはウェブサイトのニュースや解説記事、それに医学についての新書だから、小説とはまるで違っていた。どれくらい違うかというと、お鍋とやかんくらい違う。似たようなものじゃないか、と言われそうなので説明すると、たしかに水を入れて火にかけ、沸騰させるところまでは同じ。なのだが、お鍋はその中に野菜を入れ、魚や肉を入れ、出汁を入れてそれで料理として完成する。一方、小説はやかんだ。沸騰したお湯でどんなスープが、紅茶が、ラーメンができるかは受け手次第なのだ。あんまり伝わったような気はしないのだが、それくらい両者は私の頭の中で別物なのである。
もちろん、お鍋に近いやかんもある。つまり完成した料理に近いような小説もある。土瓶蒸しのようなものだ。受け手によって、いろいろな解釈が成り立つものと、そうでないものがある。それでも、小説はやっぱりやかんだなと思う。
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