蓮池のアメンボ 第24回 月刊中山祐次郎

小説を書いている。

去年(2019年)の2月に出版した「泣くな研修医」の続編を書いているわけだが、この続編をじつは今年の7月には書き上げていた。3月くらいからプロット(物語の流れ)を作り、4月から執筆し始めた。僕の中では、これは画期的なことだった。

というのも、僕はこれまで「まとまった長期の休み」にしか本を書いたことがなかったからだ。これまで4冊の本を出したけれど、本というものは、小説にせよ新書にせよ長い。かなり長い。自分の書いたものであっても、始めから最後までを把握するのは不可能なくらい長い。だから、執筆する期間を決めて一気に書きつけることで、僕は流れを見逃さずに一冊の本という体裁になんとかまとめることができた。

けれど、新しい小説は、そんな「一気通貫方式」ではなく細切れにちょっとずつ執筆した。例えるなら、一本の映画を毎週日曜日に20分ずつ6週にわけて観るようなものだ。これでは、なにがなんだがわからなくなる。でも、プロットをしっかり作っていたおかげか、5冊目という経験数か、どういうわけか「細切れ方式」が出来たのだ。もういちど言うが、これは僕にとって画期的なことだった。

***

小説を書くとき、いつもどうしているか。僕はすぐに愛用のMacBook Proを開いて書くわけではない。自宅の仕事部屋で、郡山市図書館で、ガラガラの駅前スタバで、まずは別の本を読む。どんなものでもいい。ときに自分の本を読むこともある。iPhoneのKindleアプリで電子書籍のこともある。そうして僕は、自分の体を作品たちの浮かぶ世界にそうっと馴染ませる。まるで蓮の咲く早朝の池の水面を滑るアメンボのように。30分か1時間、そうやって心を落ち着かせたあと、僕は恐る恐るパソコンを開くのだ。

パソコンを開くとすぐ研究中の統計解析ソフト「STATA」や、論文執筆用のソフト「EndNote」、そしてGoogle Chromeが僕を狙ってくる。慌てて4本指で横に数回フリックをして、縦書きのWordファイルにたどり着くのだ。そうして書き始めるのである。

こんな面倒な「手続き」が必要なので、時間効率を考えると「一気通貫方式」が良かった。しかし、「細切れ方式」でやるようになり、ぼくは短時間ですぐに自分を作品世界に送り込むことができるようになった。いや、正確に言えば、作品世界が近づいてきた、あるいは作品世界と現実の世界が混ざり合ってきたと言えるかもしれない。

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