本が出る前日の激しい後悔
明日かあさって本が出る。
3年にわたり鹿児島県のローカル紙、南日本新聞に連載したエッセイ。それに、息子への手紙、というスタイルで教訓めいたことを加筆した本だ。
自分で言うのもなんだが面白い。
売れるエッセイは2種類しかなくて、
「超有名人が日々を綴ったもの」
「超有名人でないふつうの人がとんでもない経験を綴ったもの」
しかない。
たまに、どちらも入る反則のものもある。死ぬほど売れている、さくらももこさんのエッセイ「もものかんづめ」なんかは、国民的アニメの作者が、しかも「友蔵は嫌なやつで、死んだらみんな笑っていた」みたいなとんでもない暴露を書いた。だから爆発的に読まれた。
私の本は後者だ。有名人ではない私が、
・横浜生まれ育ちの二十歳の男が突然鹿児島にひとり移住したカルチャーショック
・医学部という特殊な場所で受けたあまりに特殊な経験
を書いたものだ。
とくに、私のようなよくない意味で尖った人間が、鹿児島という地方に赴き当然のように生まれた軋轢とハレーション(といえば聞こえはいいがつまりは干されたり嫌われたり失敗したことだ)を、事実ベースで全部書いてしまった。
鹿児島のローカル紙だったから書けた。ネットにも載らなかったから書けた。
恋愛で不義理をして医学部同級生全員から干されたとか、見た目で判断する教授に反発して金髪で講義を受けたとか、福島に行ったらガッツリ干されて3ヶ月手術がなかったとか、どうしようもない話だ。
いま、これが書籍になり全国を駆け巡る。
わかってはいたが、ヤバい。何人かとの人間関係は木っ端微塵に吹っ飛ぶだろう。訴訟まではたぶん行かないと思うが、行かないことを希望するが、めちゃくちゃ怒ったメールなんかは何通か来るだろう。そう言う人はできたら読まないで欲しいが、そう言う人に限って読むのだ。
やっぱり出さないほうが良かったのかもしれない、と、もう手遅れのタイミングで思う。でも、これは僕の遺書なのだ。死ぬ前にだったら何を書いたって誰に怒られたっていい、とも思う。
やれやれ、売れて欲しいという作家魂と、できたらそこまで話題にならないで欲しいという一人の人間としての保身がぶつかりあっている。
結局、作家魂が勝ってしまうから書いたし、出すし、作家をやめられないのだけれど。