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ちいさこべえ

ここのところマンガの世界からは遠ざかっていたけど、最近ふとした機会に手に取ったこの作品はとても面白かった。

山本周五郎原作の「ちいさこべえ」。
物語は、下町の火災で消失した工務店「大留(だいとめ)」と運命を共にする棟梁・留造の死から始まる。
息子の茂次(26歳)が突然二代目を引き継ぐことになり、工務店再建の矢面に立たされる。そこに、身寄りのないお手伝いの女性(りつ)が登場し、同じ火事で消失した児童福祉施設から焼け出された子供たちが転がり込んできて、複雑な人間模様が展開する。

山本周五郎といえば、昔のNHK大河ドラマ「樅の木は残った」とか、黒澤明の映画「赤ひげ」「どですかでん」の原作者としても知られる、昭和の文豪ですね。この「ちいさこべえ」も原作は江戸時代の古典的な人情噺なのに、望月ミネタロウの斬新な作画、演出で見事に令和の物語としてよみがえった、と思う。

特に感心したのは、主人公の茂次、りつを始め、5人の子供たちや「大留」周辺の人々が個性豊かに描かれていること。留造の古株弟子や、銀行の頭取、材木屋の主人など、ここには悪人は一人も出てこないが、怪しい人物はたくさんいる(笑)。
中でも信用金庫トップの福田は実に怪しくて、自分の娘(ゆうこ)の妖艶な肢体の写真を隠し撮りし、そのプリントを茂次に送りつけたりする。要は娘をアピールして嫁にもらって欲しいようなのだが、親の行動としては常軌を逸してますね(笑)。

さてこの物語のテーマは何か?
父・留造は、かつて茂次に「どんなに時代が変わっても人に大切なものは、人情と意地だぜ」と語っている。この「人情」と「意地」とはいったい何を指すのか?
茂次は、工務店の再建に力を尽くしながら、一方で町内で焼け出された人のために法事を世話したり、突然養う羽目になった5人の子供たちの父親足らんと意を固めていく。そういう「割に合わないこと」を引き受けることに彼なりの「人情」の発露が見て取れる。

もう一方の「意地」はどうか?
工務店が消失し、両親が亡くなって困り果てていた時、古株の弟子が横浜からやってきて「今こそ棟梁から受けた恩義を返したい。なんでも申しつけてくれ」と茂次に言う。しかし茂次はこれを断り、自分と数名の社員の力だけで、「大留」の再建を果たそうと孤軍奮闘する。周囲から「意地っ張り」と呆れられても、それを押し通そうとする。彼自身、自分が半人前だと分かってはいるが、最初から他人を頼っていては本当の意味で独立できないだろうと直感している。
のちに仕事が軌道に乗ってくると、周囲に人足や材木、融資をお願いしに回るのだが、「まずは自力で何とかする」という姿勢は親から授かったものなのだろう。

茂次は若い頃、家業を継ぐのがイヤで家出をし、リュック1つで世界中を放浪したことがある。その過程で何を獲得したのか、詳細は描かれていないが、彼は若棟梁になってからも、絶えず「生きる意味」について自問自答している。この自問自答の繰り返しが、周囲の人々との葛藤を通して次第に自分の生きるスジを形成していく。そうやって人は成長するのだろう。

こうして倒産寸前まで追い込まれた工務店は経営危機を乗り切り、子供たちも次第に彼になついてくるようになった時、茂次はそれまで自分を支えてきてくれたりつ との結婚を決意する。それはおそらく、彼女が茂次の不安や信念を体で受け止めてくれる人だと直感したからだろう。その二人の祝宴をあげる場面はとても情感豊かに描かれて、困難を乗り越えた人々の爽やかさが横溢している。

「ちいさこべえ」より

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