いつもの店のいつもの席で。
人は、お決まりの場所があると安心する生き物だと思う。
いわゆる、行きつけ店がそれに当たるが、行きつけの店の中でもさらに局所的なベストポジションがある。
たとえば、ファミレス。入り口からまっすぐ進んだ右側のドリンクバーから1番近いソファ席。地元のデニーズで言えば、そこがぼくのお決まりの席だ。
空調の効き加減が絶妙で、溜まった仕事を片付ける時や読書をしたい時、お腹の弱いぼくでも長時間居座ることができる席がそこなのだ。
ぼくの場合、居心地良さは空調設定が第一条件だけれど、居心地の良さの定義は人によってさまざまだったりする。
***
それはぼくが学生の頃、パスタ屋でアルバイトをしていた時のこと。毎週火曜日の17:30。その人はいつもせかせかした様子でお店にやってきた。
お店のドアが開き、「いらっしゃいま…」とご案内する前に、その人は一直線にいつもの席へと向かっていく。
お店の1番奥の左端、窓際の席。その人のお気に入りの席だ。
ホールスタッフからもキッチンスタッフからも見えづらいその席は、まさにお店の死角というべき場所で、スタッフ目線からすると、サービスがしづらいのであまり座って欲しくない席だった。
その人がどれだけ席にこだわっていたかというと、その席に別のお客さまがいらっしゃると、残念そうに肩を落とし、すみませんと一言残して帰っていくほど。
いったいあの席には、どんな魅力があるのだろう、と不思議に思っていた。
そして運良くお気に入りの席が確保できたその人は、安心した様子で、ビジネスバッグからカバーのついた本取り出し、読み始める。
パリッとしたスーツ着こなし、ぶ厚く四角いメガネをかけ、熱心に本を読んでいる姿は、ザ・仕事ができるビジネスマンなのだが、
その人には少し変わっているところがあった。
料理を席まで運ぼうとするとき、空いてるグラスにお冷を注ぎに行こうとするとき、その人は決まって、スタッフが席に到着する前に本をカバンの中へとしまっていた。
まるで見られちゃ困るものを持っているかのように。
程なくしてスタッフの中でもその人の存在は話題になり、毎週火曜日にやってくるあの人は、一体何者なのだろうか。と推理する者も出てきた。
そんな探偵ごっこを楽しんでいたもの束の間、その人の謎は、なんでもないある日の
ふとした瞬間にあっさりと解かれることとなる。
本を読むためにお店に来られているその人のため、スタッフは注文を伺う際と料理を提供する際以外は、極力こちらから近づくことがないようにと気を付けていた。
しかし、この日に限っては、やむなく声を掛けなくてはいけない状況になってしまった。そう、閉店の時間を過ぎてしまったのだ。
23時。あと1時間で水曜日。
驚くことにその人は、17時30分に入店して、季節のペペロンチーノとアイスコーヒーのみで5時間30分もの間、本に没頭していた。
普段は20時すぎにはスーッと帰っていくはずだが、今日だけはテーブルの上に何冊もの本が重ねられていて、帰るような素ぶりはなかった。
閉店の時間です、と声を掛けようと例の席へ
近づくも、本に集中しているせいか、まったくこちらに気付く気配はない。
「お客さま、申しわけ…」「あっ」
「あっ」
『僕等がいた』だ。
通っていた高校で爆発的に流行し、クラスの男女で回し読みして、新刊が出る度にみんなで悶えていた少女漫画、『僕等がいた』がそこにはあった。
とんでもなく懐かしい気持ちに襲われると同時に、毎週隠れるようにして読んでいたのはコレだったのかと、急にその人がかわいく見えてきた。そして、その人の不自然な行動の理由も分かった気がした。
スタッフの死角の席に座りたがるのも、お決まりの席に先客がいると別の席に座らずに帰ってしまうのも、人が近づくと本をカバンにしまうのも、全部つながった。
謎が解けたのはいいものの、ぼくが本の中身に気付いてしまったせいもあり、その人はそそくさとお店を後にした。
その人にとっての居心地の良さは、人目につきにくいことだった。ぼくが店内の空調を気にしながら色んな席を試したように、きっと彼も何回ものトライ&エラーを繰り返し、スタッフから死角になるあのお気に入りの席を見つけたのだろう。
その後その人がお店に来る回数は減った。そしてぼくは申し訳なさを感じつつも、就職を機にアルバイトを卒業した。
それからしばらくして、アルバイト先の後輩に聞いたところ、その人は一時は顔を見せなかったものの、ぼくがお店に居ないことが分かると、今までのように本を読みにお店に通っているらしい。
よかった。またあの席に戻ってきてくれのだ、と内心ほっとした。
居心地の良さの条件は、人によってさまざまだ。店側が意図しない良さを、客側が勝手に見出すことだってある。同じように見えるチェーン店でも、この場所のこの席はいったいどんな心地良さがあるのだろう。あの出来事があってから、たまにそんなことを考えたりする。
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この話の続き... いや、別視点で描かれたB面の物語はコチラ。
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