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どっちつかずこそテレビ最大の魅力〜大視聴率論〜
テレビの視聴率が入り組み始めている。
世帯視聴率、個人視聴率、コアターゲット など
メディアや娯楽の細分化は、テレビの評価基軸であった視聴率までも細分化させた。
世帯視聴率の意味合いに松本人志さんが言及されたことにより、テレビにおける新しい指標が世間にも轟くことに。
時代の変化から訪れた視聴率の過渡期。
これまで絶対的評価だったものは絶対的じゃなくなった。
インターネットの驚異的普及にコロナも重なり、長年囚われてきた常識に問題提起を突きつける。
私は放送業界、エンタメ業界に関わりつつ、10年以上に渡ってシーンの移り変わりを見てきました。
時には渦中で。時には俯瞰で。
出入り業者であるがゆえ、意見こそあれど直接語ったことは一度たりともなく、一歩外に出れば本音を封じなければいけない。
だからこそ、この時代の大変革期において
私は大マジメに視聴率をテーマに語りたいと思い立ちました。
以前、若者ターゲットに関する持論は無料で書いておりますが、今回はさらにもう一歩踏み込みます。
まず、テレビの視聴率とは世帯視聴率にせよ個人視聴率にせよコアターゲットにせよ
リアルタイムでテレビを観ている視聴者数の目安を指しているのは同じである。
「何曜日の何時から始まるこの番組を楽しみにしている」
今現在、この感覚ってお持ちでしょうか?
私は30代の後半ですが、学生時代にはその感覚が当たり前にありました。
毎週何曜日の何時から始まるあの番組。
あの頃は7〜8個くらい、好きな番組の時間帯を記憶していたと思いますが、これが当時のライフスタイルの中で培われた感覚であり、いわゆる日常生活の延長にある常識。
「月曜から夜ふかし」「水曜日のダウンタウン」など、番組のタイトルに放送される曜日がつく場合に限り放送曜日を覚えられる仕組みにはなっているが、基本はテレビ番組の曜日と時間帯を覚える習慣は希薄になっている。
もちろん個人差はあるが、明らかに昔とは違う。
そう、昔とは違うのだ。
昔の電話といえば、家の固定電話のみ。
なぜか、特別仲の良い友達の電話番号は覚えていて、長電話をすれば電話代が高くなると親に叱られた。
そして、PHSが普及してガラケーに移り変わり、iモードだの着メロを自作するだの、青春時代に通った懐かしきシーンの数々である。
音楽を聴くにしても、当時は一枚1000円のシングルCDが主流で、その価格にも驚きはなかった。
実質、一曲に1000円を払っていたのだ。サブスクが主流になってきた現在では信じられないが、あの頃は一曲の音楽に1000円の価値が当たり前。
コンポにCDを入れて歌を流し、細長いCDケースの裏に書いてある歌詞カードを見ながら歌う。
クラスに1人か2人いる「オレ全部歌詞覚えたわ」という、"いつのまにか歌詞を覚えている自慢"も今では懐かしい。
我々の日常に馴染んでいるライフスタイルの感覚そのものが、時流のエンターテイメントとダイレクトに結びつく。
あの頃のテレビはリアルタイムが基本。
ビデオ予約の録画はミスも多く、野球中継が延長すれば観たい番組が録れていないこともしばしば。
ラテ欄に書いてある番組の数字を入れ込むGコード予約なるものもあり、当時は便利だと思い込んでいたが、それでも今とは比べものにならないほどリアルタイム視聴に積極的だった。
もはや、当時と現在での世帯視聴率は倍以上の差だ。
トレンディドラマやバラエティ番組も20%、30%のヒットは頻繁に起こり、テレビ番組は娯楽の中心を陣取っていた。
昨今、テレビがつまらなくなったと言われ始めて10年以上は余裕で経過しているが、これはクオリティ云々の話ではなく、先述したように当時のテレビは固定電話やCDのようなものだったのだ。
簡単に言うと、それしかなかった。
良し悪しの話ではなく、本当にそれ以外の選択肢がなかったのだ。
テレビに関しては度々クオリティの話が持ち上がるが、そこはネットネイティブからのカウンターカルチャーが発動しているに他ならない。
いつの時代も、長く続いた権威に反発は付随してくる。
当たり前の話だが、30年前にスマホがあればスマホを使っているし、CDしかない時代に音楽サブスクがあればそれを使っている。
難しく考える必要はなく、全ての根本は"あるかないか"。
今でも娯楽がテレビしかなければ、テレビ離れは起きていない。
それから著しく文明が進化し、スマホの普及と共に人々のライフスタイルも変わり果てた。
朝起きればスマホをイジってニュースやSNSをチェックし、電車やカフェでも相棒はスマホである。
朝起きてテレビをつける習慣や、家に帰宅するなりテレビをつける習慣はなくなった。
それなのに視聴率だけが同じ計測方法であり続けるのは、リニアモーターカーだの車の自動運転だの出てこようとするタイミングで、人力車移動を推奨されているようなものだ。
人々のライフスタイルが大きく変化しようとも、テレビの視聴率だけは変わってこなかった。
HDDの出現も大きく潮目を変え、もう10年ほど前からリアルタイムでテレビを観ている人の話を聞かなくなった。
予約録画はどんどん手軽になり、全録も当たり前になった。
人間は便利になれば便利なほうに進む。
LINEやメールやDMなどの連絡手段があるのに電報を打つ人はいない。
娯楽の幅が増えた結果としてテレビを観なくなったのもあるが、それ以上に観方が変わったのだ。
自分たちのライフスタイルに適した付き合い方となり、同じ番組を観ていても観る方法は多岐にわたる時代となった。
リアルタイムで観た人もいれば、録画で観た人もいれば、TVerなどの見逃し配信で観た人もいれば、YouTubeなどの違法アップロードで観た人もいる。
それでもテレビの評価基軸は世帯視聴率だった。
毎度毎度発表される視聴率に一喜一憂しながらも、常に心の中は疑問で埋め尽くされていた。
家族親戚が家に集まっている可能性の高い、お正月や大晦日ならリアルタイム視聴率で戦っている意識こそ芽生えたが、基本は楽しみにしている番組ほどHDDで毎週予約になっているはずなのだ。
表面には出さなかったし、こんな話は直接的に言及したこともないが、いったい視聴率の価値とは何なのか…?
リアルタイムでテレビを観ている人の話を聞かないなか、リアルタイムでテレビを観ている人たちの数値で競い合っている違和感。
どこかに矛盾とボタンの掛け違いを感じつつも、その指標を信じるしか我々に選択肢はなかった。
そして、ここ2年ほど…
視聴率の概念に変革が起き始める。
個人視聴率と呼ばれる新たな指標を耳にする機会が増えた。
正直、何度説明されてもよく分からなかったが、簡単に言えば「誰が観ているかを細かく分析する調査」とのことだった。
購買意欲のある層をコアターゲットと呼び、各局で設けられている目安は概ね49歳以下である。
突如、若者向けのテレビ制作が始まった。
だが、49歳以下に狙いを定めることは若者向けであると同時に、ネットとの距離感が近い世代にも当たる。
ようするに、これまでネットに奪われてきた層を取り返すという大きなミッションが今のテレビにはある。
Twitterのトレンド入りを狙い、人気ユーチューバーや人気ティックトッカーなども積極的にゲスト起用する。
全ては若い層にリーチするためであり、それ以外の理由はない。
ネットメディアの文脈をテレビが本格的に追い始め、ネットをバズらせることを連想するタイトルのテレビ番組も増えた。
タレントパワーを測る指標にSNSのフォロワー数も本格的に加わった。
しかし、同時にそれは50代以上の人たちを置いていく動きでもある。
極論を言えば、これまで世帯視聴率に大きく貢献してきた年配の方はターゲット外になり、大きく舵を切ったのだ。
これぞ広告ビジネスの宿命。
広告主の方針は絶対であり、今の今は若者が購買意欲のある層だと判断されている。
余談ではありますが、本当にそうなのかな…と個人的に疑問はある。
人口は50歳以上のほうが圧倒的に多く、若者よりもお金は比べ物にならないほど持っているだろう。
ただ、そんなことを言っても仕方ない。
それが広告主の判断なのだから従わざるをえない。
しかし、このコアターゲット狙いに切り替えたことによって生じる2つの問題点を提起してみたい。
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