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【無料】さようなら花鳥風月は『桐島』であり『何者』だった

激アツお笑いライブとなり、配信チケットも前代未聞級に売り上げ、熱いお笑いファンの間で話題となった『さようなら花鳥風月ライブ』

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詳細まで語れるほど経緯に詳しくはないが、芸歴7年目までの若手が在籍する神保町よしもと漫才劇場というお笑いの劇場の中で起きている人間関係のイザコザ。
それを彼らの兄さんであるニューヨークの2人が取りまとめ、各々の言い分をブチまけていくお笑いライブ。

簡単に言うと、対立する者同士が言い争うトークライブではあるのだが、その熱量と本気度合いは尋常じゃなかった。

ギリギリの滑り込みで配信のチケットを購入して夜中に観賞。
やってしまった。夜中に見るもんじゃねえ。こんなもん眠れなくなるに決まっている。

どこか懐かしく、どこか古傷であり、あのステージのどこかに自分を探してしまう。
当然、あそこまで公の場で思いの丈を叫んだ経験などないが、過去を振り返った時の人生の1ページにおいて、、、

花鳥風月の中で起きている出来事を自分に投影できる人は多くいるはず。

その根底に流れているのは、虚実混交なプライドと煮えたぎるルサンチマン。
さらには、ヒエラルキーであり、他者への批評であり、鬱屈した感情。

時に黒歴史として語られても仕方ない青春のダークサイドを笑いで輝かせた1日。
まだ何者でもない若手芸人だからこそ出せる底力。
花鳥風月を究極の群像劇エンターテイメントへと昇華させたのは、お笑いの力であり芸人の力。

不良たちが夜中にバイクで山を駆け上り、柄にもなく夜景を見ながら「10年後の俺たち何してるんだろうなあ…?」
タバコを燻らせながら、不良同士が山の上で語り合った一瞬の思い出。
おそらくは、そんな小っ恥ずかしいエモさを未来に運び込むライブだったのかもしれない。
刹那的なものだからこそ若さは尊い。

出演した彼らにとって、『さようなら花鳥風月』は振り返った時に宝物のような思い出のライブになるのは間違いない。
そうなってほしいと心の底から願う。

このライブを見終わった後の心のザワザワ感…お笑いライブとは思えない心象が胸の中に残り、何かの観賞後と似ている。
眠れない中、ずっと考えていたのだが…

『桐島、部活やめるってよ』と『何者』だ。

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朝井リョウさん原作で、映画化もされた2作品。

この2作品の共通点は、心の古傷を容赦なく撃ちにくることだ。

「桐島」では学生時代のヒエラルキーや稚拙なアイデンティティをこれでもかとリアルに描き出し
「何者」では就活を通して描かれる嫉妬や葛藤や鬱積した思い…
そして、物語を左右するSNSの存在である。

どちらもギュッと胸を締め付けられる作品であり、自分の心を登場人物の誰かに投影さぜるをえない。

自分はみんなから見てどんな立ち位置にいるのか?
いったい、どんな評価をされているのか?
気にならないはずがない。青春時代など、それがほぼ全てだと言ってもいい。

誰かから好き勝手評価をされているかわりに、自分だって誰かを偉そうに評価している。
自己評価と他者からの評価の違いに苦しみながら、人間は賢く生きるため、表情を作るテクニックを覚えていく。

表情を作る顔の筋肉を自由自在に動かせることを別名、「大人になった」と呼ぶ。
バレず、悟られず、相手を不快にさせず。
常に言葉は難しく、踏み込んで話をすれば軋轢を生むことだってしばしば。

だが、昨今はSNSの存在が表情と態度で持ち堪えさせていた人間関係のバランスを打ち消す場合が出てきた。

文明の進化は知らなくていいことを知らせてしまう装置を作り上げてしまったのだ。
下手な形で何かしらのメッセージが相手に伝わってしまうことが現代を象徴するトラブルの元となり、その結果軋轢の種類は増えた。

SNSをやっていれば、誰だって一度はそんな経験あるかもしれない。

花鳥風月だって、ある意味ではそうだろう。
伝わらなくてよかったものが赤裸々に伝わってしまったのだ。

発端はYouTubeだからこその文脈であり、これは一つの新時代の形である。
そこには芸人ならではのサービス精神もあったし、カメラを向けられたからにはエンタメ人としての矜持だってある。

笑いを専売にする芸人とはいえ同じような立場で凌ぎを削る人間と人間の話。
当然、仲間でもあるがライバルでもある。
縦の関係がしっかりしている吉本の世界でも、値踏みと計算の中でヒエラルキーは構築されていき、客前に出れば身も蓋もないリアルだって存在する。

組織に属していようと全員が自営業者であり、全員が何者かになろうと必死に戦っている。

その上で飢餓感と自意識にまみれながらも不安な未来と戦い、誰よりも笑いを取りにいこうと身を削り、センスとトークスキルを思う存分吐き出した。

花鳥風月ライブのステージ上で起こる全てが人間味と愛に溢れていた。
虚実入り乱れようと、時に行き違いはあろうと
その全てを笑いに変えようとし、芸人みんなで1つのエンターテイメントを手繰り寄せた。

お笑いの現場は究極の個人戦であり、突き詰めれば究極のチームプレイでもある。

彼らは本気のプロ魂を、これでもかと見せつけてくれた。

どんな時でも板の上はウソをつかない。
笑いの正義は板の上にしか落ちていない。

文明の進化は知らなくていいことも知らせてしまうが、文明の進化から生まれた"配信"というシステムの上で唯一無二の笑いを届けたのだ。

そんなアイロニカルかつ偶発的な要素をも味方にし、人間が一生懸命に生きる叫びをエンターテイメントとして解き放った。

『桐島』と『何者』を足して、笑いで割ったのが花鳥風月ライブだったのだ。

ただ、それと同時に
このお笑いライブはニューヨークが真ん中にいたことが全てだとも付け加えておこう。

出演したのは芸歴7年目までの若手芸人だが、若手なんて基本は尖り散らかしている。
昔ほどめちゃくちゃではないにしても、そこの感性は基本的には変わらない。

「あれがホンマにおもろいか?」
「なんであんなんがキャーキャー言われてんの?」

若手が酒を飲めば、若さゆえの分析や批評がある。
ポップ路線や売れ線に対しても厳しく、その根底にあるのは「自分が1番おもしろい」という根拠なき自信である。
これは若さの特権ゆえに誰もが通るべき道のりであり、逆に通らなければいけない必要悪。

当たり前の話だが、まだまだ何も分かっておらず、身の程も知らない。
テレビの一線級で戦うことの難しさも、芸能界で勝ち残り続ける覇者の本気も体感していない。

節操のなさすぎる混沌とした世界で理不尽にまみれ、一寸先は暗闇と裏切りと冷笑。
そんな中で芸人が上に駆け上がり、勝ち続け、居場所をキープし、勝ち残ること。それは想像を遥かに絶する道のりだ。

彼らがその現実を知るのは10年後になるのだが、そんな絶賛尖り散らかし中の人間を納得させているのが、他ならぬニューヨーク。

ニューヨークはネタで背中を見せ続け、後輩たちが問答無用に憧れる存在として君臨し続けた。
ニューヨークの単独ライブへ足を運べば、それはすぐに分かる。

「これは若い子が憧れるわな…」
鋭い感性があって時代にアンテナも張っていれば誰でも理解できる。
ネタのクオリティもさることながら、今っぽいセンスを駆使してハートを滅多刺しにしてくる。

一切、客には媚びておらず、ただただ自分たちの面白さを表現しているだけ。
シュールや独特な世界観に逃げているわけでもない。

おもろいと思うことやってるだけですけど?
どこかナメたスタンスが心地良い。
スピードワゴンの小沢さんが「ニューヨークの後輩になりたい」とおっしゃっていましたが、凄く意味は分かる。
笑いのセンスと志が信用できる。
そんな人に後輩はついていきたいものだ。

ニューヨークはM-1などをキッカケにようやく認められだしたが、実は遅すぎる。
もう、若手界隈の中でニューヨークは憧れの存在だったし、玄人票も多く獲得していた。

「何もしなくても勝手に売れると先輩たちから言われ続けてきたけど、何もしなかったら売れなかった」

ニューヨークは冗談混じりにそうウソぶくが、そんなことはない。
ニューヨークは売れ待ちだっただけだ。
こんな鬼みたいに厳しい業界で勝ち続けてきた先輩たちの言葉は正しいに決まっている。

超一流の先輩たちからも認められ、尖り散らかしている後輩からも憧れられる存在。

だからこそ、花鳥風月を真ん中で仕切れるのはニューヨーク以外でありえない。

「俺らのトラブルで遊ばんといてくださいよー!」
そんなプロレスにも似た心の叫びがカメラの前で噴出しても、時にシャレにならんレベルになることだってある。

若さや尖りゆえの、「いや、あんたたちにはイジられたくないねん!」が飛び出してくる可能性はあるのだ。

いや、これは若くなくてもある。
もう、30代の後半に差し掛かってきた私でさえも、「なんでこんな奴にイジられなあかんねん!」の気持ちはある。
どうせイジられるなら面白い人からでないと納得できない。
相手次第ではイジられて嬉しいし、相手次第ではムカつくのだ。

ライブの本番ではMCとして上手く仕切れないほどの若手の熱量だったが、ニューヨークが真ん中にいたことで若手たちもフルテンションの本気を出せた。

「ニューヨークさんに面白いと思ってもらいたい!」

そう思わせた段階でニューヨークの勝ちだ。
もう屋敷も嶋佐も、そのレベルにいる。

様々な要素が奇跡的に合わさっての神ライブだったが、その根源にはニューヨークの存在があった。

ニューヨークが地道にお笑いをやってきて、芸人としてダサくならなかったことが全てなのだ。

作家の奥田さんの手腕も大きいが、エレパレといい花鳥風月といい、
ニューヨークは若手を題材にしたリアルエンターテイメントお笑い作品を2つ生んでいる。

これは「桐島、部活やめるってよ」と「何者」を生み出した朝井リョウさんのような立ち位置になっている。

もしかして、ニューヨークはお笑い界の朝井リョウなのか?

それは分かりませんが、最後に映画「何者」のキャッチコピーで記事を締めさせていただきます。


青春が終わる。人生が始まる。



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ゆじりこ【放送作家・ライター】
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