【無料】数字に支配される化身にならないために数字が欲しい
Netflixで配信中のドキュメンタリー「FYRE 夢に終わった最高のパーティー」を視聴しましたが、これは歴史に残る圧巻の傑作。
本気出してるアメリカのドキュメンタリーには勝てん…と思ったのと同時に、暇を見てはスマホをイジイジしちゃう世代からすれば考えさせられることも多い。
史上まれに見る大失敗に終わり、主催者が詐欺の容疑で逮捕されるなど大炎上に発展した音楽フェス「ファイア・フェスティバル(Fyre Festival)」の裏側に迫ったドキュメンタリー。
2017年、リゾート地の小さな離島を貸し切り、豪華な食事や音楽、スポーツを楽しめるとうたった「ファイア・フェスティバル」が開催される。プロモーションでは著名なスーパーモデルらを起用し、SNSを駆使するなどして話題を集めたが、高額な参加費を払って島に到着した参加者たち用意されていたのは、お粗末な食事と宿泊施設のみ。予定されていた出演者も姿を現さず、ずさんな運営実態が浮き彫りになったフェスはたちまち炎上し、たった1日で中止になってしまう。
作品の批評をしたいわけではないので内容に関しては、いちいち言及しませんが、これは現代のネット社会を生きる上で避けて通れないインフルエンサー論の一面を切り取ったドキュメント。
このフェスを企画したビリーという人物を通して、日本にも同じような人いるなと…重なってしまう人物が頭に描かれた視聴者は多いかもしれません。
ネットの世界で崇められる寵児とは何か?
インフルエンサーとは何なのか?
否が応でも考えざるをえない作品となっている。
一つだけ言えることは、オンラインだろうとオフラインだろうと関係なく
口が上手くて、人懐っこくて、バイタリティ溢れる人の行動力から全ては始まってしまう。
それっぽい口調、それっぽい未来予想、それっぽい例え話、それっぽい美談、それっぽい実績、それっぽい空気感…
全てが「それっぽさ」の塊で形成されている。
その「それっぽさ」に対する浅薄さが「胡散臭い」という言葉に繋がり強烈な賛否を生む。
結果、コロっと騙されて盲信するチームと猛烈に批判するチームに分かれ、完全に相反する二極化が起きる。
ここを見抜けるかどうかの分かれ目は経験値と審美眼。
何かと不安な世の中なので、騙される人の気持ちだって分からなくもないのだが
FYREの観賞後、少し勘の鋭い人なら気がつくだろう。
フォロワー数に固執する人間の滑稽さ。
莫大なフォロワーを抱えるインフルエンサーに法外なギャランティを支払い、SNSで拡散してもらう広め方。
現代のマーケティングにおいての主流なのは百も承知ですが、そこに心はあるのか?そこに人の血は流れているのか?
青くさいと言われようが関係なし。自分は赤い血が流れる人間なので、人と向き合う際の心の有無は何より大切。
FYREを別角度から見れば、数字だけに目が眩んだ末の悲劇であり、1番大切なものを見失い続ける男の物語でもある。
リゾートであろうがラグジュアリーであろうが、音楽フェスを開催するならば、大切にすべきは音楽でありステージに上がってくれるアーティストだ。
このドキュメンタリーの中で、音楽に寄り添った話は一切出てこない。
音楽が好きなわけじゃなく、音楽を利用手段として使っているだけ。
数年前、自分自身に起きた実体験を思い出した。
「もう、これだけのキャリアを積んできたら、自分の能力の低さは知っている」
酔っ払いながら、己のスキルの低さを自覚していることを吐露してくれた人がおりました。
しかも、「自分は能力が低いから可愛がってもらえるんです」と客観的な自己分析までしており、その言葉を聞きながら何と返答していいか分からなかった2017年年末の思い出。
仮に能力は低くても、誠実に戦いませんか?
できる限りの努力はしませんか?限界まで自分の力を磨きませんか?
しつこく私は言い続けました。
なぜなら、1番大切なことは能力やセンスの有無ではなく志だからです。
ひたむきな姿勢や真っ直ぐな生き様が誰かの心を打つ瞬間は、いつか訪れます。
これは綺麗事のようで綺麗事ではなく、人が人を見ている以上、その要素は実際にあるのです。
一生懸命、実直に戦う人のことを人は嫌いにならないのです。
しかし、彼は私の意見を却下しました。
「こんな生き方しかできない人もいるんです」
そう言い返され、彼は戦いを放棄し、事実上プロの道からは立ち去る決断をしました。
そのまま素直に引退をしてくれたならいいのですが、プロの世界に片足を掛けたまま、今をときめくインフルエンサーの力を借りに行く手段に出たのです。
自分が多くのフォロワー数を獲得するために、フォロワー数の多い人にしがみつく道を選び、とにかく頭を下げまくって相手のフォロワーを分配してもらっては数字を伸ばしていく日々。
まさに日本版のFYREが私の目の前で繰り広げられました。
そうやって様々な世界のインフルエンサーたちの力を借り回って自分を大きく見せた結果、後にどんな悲劇を生んだか?
さすがにニュース性もあるので書くことはできませんが、これ以上はないほど地獄の結末を迎えました。
簡単に言えば、全てをグチャグチャに破壊され、全てが粉々に飛び散ったのです。
ちょうど一年前に、私はこんな記事を書いている。
数字だけでは語れない部分に血が通っているのだと。
言い換えれば、数字だけに固執する場所に血は流れていない。
大人からの批判意見は時代遅れでも無知でもない。
恐ろしいくらいに的を得ているのだ。
実態のなさをカモフラージュするためなのか、それっぽい言葉を公的な場で流暢に語るのは罪だ。
それは実態を知らない人間のことを騙す行為であると同時に、間近で実態を知る人間の心を傷つける行為にもなりえる。
何もないのに何かあるように誘導する。
邪悪なものを清廉潔白のように見せかける。
真実もデマも同じような形状で拡散されていき、流れてくる情報の全てが受け取り側の感性とリテラシーに委ねられてしまう。
それが大ネット社会、大SNS時代の根本にある。
ただ、その一方で…
心の底から剥き出しの本音を語る私の言葉でも、フォロワー数がいなければ届かない時代。
数字に囚われれば悪の化身になりかねないが、数字を無視すれば血の通った人間の言葉も届かない。
大抵この類の意見は「数字を持っていない人間の負け惜しみ」だと一蹴される。
そのクダリも大ネット社会における"あるある"だと知っております。
だから、そのためにも数字が欲しいんじゃい。
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