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【無料】美しく生きなくていい。美しく生きる人に寄り添って。

「なぜ、人は汚れていくのか?」

そんな質問に対し、ある人が答えた。

「精神的に病まないため」

大人になるにつれ汚れていくのは自分の心を守るためだと。

腑に落ちる。今ならとんでもなく腑に落ちる。

私は今年の春頃からクリーンに生きていくことを決めました。
もう、必要悪だという意見には流されまいと。

「間違っていることは間違っている」
誰に何と言われようが、ダメなものをダメだと言える大人になることを決心し行動しました。

私がそうなった大きな大きなキッカケはコロナだ。
緊急事態宣言で世の中は完全に自粛モード。
仕事はストップし、人とも会えなくなり、突如として世界は一変した。

今まで信じてきたものは何だったのか…?
否が応でも、自分自身と心の底から向き合うしかなかった。
自問自答の繰り返し。

その中で、出た結論。

芸能の世界がナンボのもんじゃ。

偉そうなものじゃない。特別なものじゃない。

本当の意味で窮地に陥った時にこそ、真の存在価値が問われる。

芸能の世界を特別視するあまり…
「仕方ない」
「これしか道はない」
「必要悪だから」

正直、何度耳にした言葉か分からない。
何度も何度も叩き込まれた。

そして、いつしか洗脳されていたのだろう。
特別だと。必要悪なことが、この世界にはあるのだと。

しかし、幸か不幸か、コロナによって洗脳は解けた。

こんな非常事態に陥ったとき…想像以上に我々は何もなす術がないではないか。
どこが特別?何が必要悪?
いや、ダメなものはダメに決まっている。

私は過去の自分を反省し、クリーンに生きることを決意した。
そして、相手が誰であろうと間違いは間違いとして正していくことを決めた。

今まで「必要悪」という大義名分のもと

見て見ぬ振りを決め込んできた様々なこと…

もう、許すのはやめようと。

しかし、クリーンに生きた瞬間、私は足元をすくわれた。
世の中はクリーンに生きてはいけない仕組みで成り立っており、その最終地点には破滅が待つ。

これまで見たこともなかった巨大な渦に巻き込まれる中で…

私には理解できなかった。

クリーンに生きることが、なぜそんなに難しいのか。

しかし、モンスター級の社会現象を巻き起こすテレビドラマが教えてくれた。

半沢直樹だ。

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半沢直樹は1度悪と戦うと決めたからには容赦しない。絶対に引かない。

私がクリーンに生きることを誓い、ダメなものはダメだと言い続けた様は半沢直樹と重なりすぎた。

ちなみに言っておくが、私は半沢さんほど聖人君子のように生きていませんし、あそこまで大きな正義感を持っているわけではないです。

しかし、悪を追いつめようとする半沢の意固地な姿は自分と重なりすぎた。

おそらく
半沢直樹を楽しみに観ていた視聴者の大半は
「よし!もっといけ!1000倍返ししてやれ!」
そういった溜飲の下げ方と共にドラマ半沢直樹を楽しんでいたと思います。

しかし、私は半沢に自分を重ねてしまった結果…
こんな感情が芽生えてしまい、途中からまともにドラマを観ることが不可能になった。

その感情とは…


「やめとけ、半沢」


何度も何度もテレビの前で歯を食いしばりながら、「そこまでだ!半沢!」
縛りつけてでも半沢の行動を止めたかった。

ようするに、私はドラマ半沢直樹を通して

初めて自分のことを俯瞰で見たのだ。

そうすると不思議なもので
その周囲に広がる大きな大きな全体像が見えてくる。
全体像が見えた結果、クリーンを貫くことによって起こりえる問題が見えてきた。

よく考えてみてほしい。
あれはドラマだ。ドラマだからスッとさせてくれる結末を描いてくれる。

だが、開けてはいけない箱を開けることの恐ろしさの末路…
実際は、あんなものではないだろう。

半沢がグイグイ悪を暴きにかかると周囲から止められる場面がある。
「これ以上、踏み込むと…」
そんな注意をされる場面がある。

経験則から分かるが、この手の注意は受ける側も想定内。
開けちゃいけない箱なのは承知した上。
その覚悟は強く強く持っているがゆえ、周囲から指摘されると、逆に火をつける場合がある。

結果、半沢は怯まず逃げず、悪を追い込む。
だが、仮に、仮にの話として…
半沢が開けてはいけない箱を開けにかかった結果として
妻に危害が及んだ場合、半沢はそれでも続けただろうか?

「はなちゃん、ごめん。それでも俺はやると決めたからには、倍返しするんだ」

もし、そんなことを言い出したら半沢直樹は一気に正義でもなんでもなくなる。
むしろ、悪だ。
「世のため人のため」だったのが、突然自分本位の勝手な人になりさがる。

だから、クリーンを貫くことは必ずしも正義ではない。

そして、どれだけ正義を振りかざしたとして、汚れてきた世界には腐敗するまでの長い歴史がある。
そこにはズブズブに深い人間関係があり、濃厚すぎる大人の事情があり、いきなり数年やそこらで変えられるものではない。
突然クリーンに目覚めたとしても、それはあまりに歴史が浅すぎるし、武器も弱すぎる。

弱みを握ったり握られたり
恩恵を受けたり受けさせたり
そんなことの繰り返しでいつの間にか形成された

後戻りのできない大人の世界が無限に広がっている。

クリーンに生きることは
気持ちとしては清らかかもしれない。
心根としては正しいのかもしれない。
生き様としては、そうあるべきかもしれない。

だけど、歴史の深さと武力の差が圧倒的すぎて太刀打ちできない。

そして、前にも書いたが、悪は生き残る。

悔しいけれど世の中はそうなっている。

もし、半沢の妻に危害が…
先ほどそんな例えを出したが、そこまでいかずとも
もし頭取が辞職する未来が見えていたとしたら…
半沢は同じことをしていただろうか。

世の中には野放しにしてはいけないものもあるが
野放しにしている側にも事情がある。

そのようにして世の中は回っている。
納得できなくても、それが社会だ。

だから、クリーンに生きることを決意し、意固地になって突き進むことは長きに渡って築き上げた生態系を崩すことになる。

生態系を崩したことで助けられる人もいるかもしれないが、それによって迷惑を被る人たちは、その何倍もいる。

渡真利は良い奴だが、本当に渡真利が半沢のことを思うなら、半沢の暴走を止めてあげることも愛情の1つなのかもしれない。現実社会では。

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大切なのは、その止めかただ。

「これ以上は首を突っ込まないほうがいい」という止めかたではなく
妻に危害が及ぶ可能性や、大切な人に迷惑をかける可能性などを指摘してあげるべきだ。

「1人で生きてるわけじゃないだろ。半沢」って。



「芸能の世界における必要悪」

様々なウソや薄汚れたものに嫌気が差した私だが
こうやって自分に大切なことを教えてくれたのも芸能の世界の一部であるドラマだという事実。

そんな矛盾も世の中にはあり、全ては表裏一体。

片側からの景色で何もかもを語ることはできない。

クリーンに生きていない人たちにも、そちら側の正義がある。

じゃあ、結論として…
クリーンに生きてはいけない。ダメなものはダメだと言ってはいけない。
そういうことなのか。見て見ぬ振りが正解なのか。
本当にそれで良いのか?
正直分からないが

生きていく現実には、そういう一面もある。

それより何より大切なのは

自分のメンタルを痛めつけないこと。

綺麗な心で他者と向き合える
そんな人のために世の中は形成されていない。
それを続けていけば確実にどこかで歪みは出る。

自分を守らなければ、大切な人も守れない。

だから、クリーンに生きるばかりが人生ではない。

ただ、1つだけ1つだけあるとすれば…

クリーンに生きようと頑張っている人が
もし、あなたの周囲にいたとすれば

そういう人に寄り添ってあげてほしい。

「気持ちは分かるぞ」って。
「そりゃ、そうしたいよな!」って。

「見てる人は、ちゃんと見てるから」

「私は分かってるから大丈夫」

誰かがそう言ってくれただけで人生は救われる。

あなたには生きる価値がある。生きる意味がある。

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ゆじりこ【放送作家・ライター】
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