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<書評>『ミシュレ 魔女』

 『ミシュレ 魔女 La Sorciere』ジュール・ミュシュレ Jules Michelet著 篠田浩一郎訳 岩波文庫 1983年 原著は1862年

『魔女』

 原題のLa Sorciere(ラ・ソルシエル)は、元々「妖術師」という意味で、これが広く「魔女、巫女」の意味で使われるようになった。また、名詞のsorcellerie(ソルセレリ)というフランス語は「魔法、妖術、離れ業、神技」とあり、動詞のsorcier(ソルシエー)になると「魔法を使う、非常に熟達した、頗(すこぶ)る巧妙な」となっている(白水社 新仏和中辞典より)。日本語で「魔女」と一般に訳されている言葉の原義を最初に紹介することで、「魔女」という言葉に対する先入観を整理しておきたい。

 参考までに、英語の魔女という表現は、一般的にウィッチwitchとあるが、フランス語に由来するソーサレスsorceressもある。なお、ウィッチには「非常に魅力ある女性」という意味もあるので、むしろソーサレス(ソーセラーsorcererの女性形)の方が、魔法使い、魔術師(ウィザードwizard、奇術師、鬼才・天才・名人)の概念に近い単語と思われる。

 また、男の悪魔の名については、元熾天使(最上位格の天使であったが、神に反逆して地獄の底に堕とされた)ルシファーを筆頭に、ゲーテが『ファルスと』で使用したメフィストフェレス、悪魔の王とされるベルゼビュートなど様々な名が知られているが、女性版の悪魔である魔女では、予言者でもあるシビュラ、オッデセウスに随行した船乗りたちを動物に変えてしまったキルケ、キルケの姪メディア、同じく(トロイ落城を予言した)予言者のカッサンドラ、さらに(神託を言葉にして伝えた)デルフォイの巫女であったピュトスなど、ギリシア神話に登場するものが多い。

 一方、中世ヨーロッパで活躍した魔女たちには、当然固有の名前があったはずだが、例えば占いなどで著名な魔女たちが、日本では「新宿の母」等の愛称で呼ばれたように、彼女たちの個々の名前は消えてしまい「魔女」とだけ呼称されるようになったと思われ、ギリシア神話のような個別の名前が記録されている著名な魔女の名前は出てこない。もちろん、「魔女」たちは人間社会に普通に生活していたのだから、親が名付けてくれた名前は当然にある。それは、魔女裁判の記録を見れば出てくるのだが、文字通り歴史の中に埋もれている名前でしかないので、誰もが知るものとはならない。

 また、魔女裁判にかけられた魔女たちのうち、正真正銘の魔女としての能力を持っていた者は、極めて少なかったようだ。これは、感受性の強い、あるいは司祭や修道僧に騙されやすく利用されやすい若い女性たちが、多数魔女にされていたことを証明している。つまり、魔女裁判の時代に魔女が多数登場したのではなく、多数の普通の女性が魔女にされた末に多くが殺害された(魔女は火刑にすることで、その妖術が解けると信じられていたため)ということになる。

 この時代背景には、中世ヨーロッパ社会の特殊性を考慮する必要がある。特に当時の農奴制は想像できないくらいに苛酷な状況にあり、同時に農奴に属する女性の人権は無いに等しかった。農奴を支配する封建領主は、新婚夫婦の初夜権さえ行使したことが伝えられている(なお、これを現代の社会規範から見れば、領主の性的横暴のように思われるかも知れないが、女性の経血や処女に対する一種の恐怖心が当時のヨーロッパ人にはあり、そのため宗教関係者によって初夜を「清めて」もらっていた歴史に由来している。

 時間が経つにつれて、領民を宗教的にも支配する領主が宗教関係者の代行をしたことが慣例化していた)他、領主が居住する城には、戦時を考慮して、女性が領主の家族を除き非常に少なかったため、大勢の騎士たちは(自らの性欲を発散するために)農村へ女狩りにでかけるのが慣例化していた。ことほど女性の人権は低かった時代であった。

 一方、キリスト教布教以前の自然の神々が農村(農奴)の中では生き続けており、領主や騎士たちに虐待されていた女性たちの一部は、自然の神を崇拝したというだけの理由で、(キリスト教にとっての)魔女にされたることが多かった。こうしたことが上巻には細かく論述されており、これは魔女裁判を理解する上で非常に勉強になった部分だった。

 しかし、下巻に入ると、個別の魔女裁判のありさまを、まるで再現ドラマのように叙述する場面が延々と続き、歴史書の面影はかなり薄くなっていく。さらに、魔女にされた女性に対するミシュレの同情を前面に押し出す描写が大半を占めることとなる。そのため、客観的な歴史書というよりは、安っぽいドラマを読まされているようで、あまり参考となる文章(論述)に巡り合うことはなかった。これは、私としてはとても残念であったが、ミシュレの歴史叙述が、例えば日本の司馬遼太郎のような物語風に面白おかしく進めていく方法を取っているので、致し方ないことなのだろう。

 そうしたミシュレ独自の叙述方法や視点はあるものの、中世フランスの魔女裁判においては、多数の司祭や修道僧が、自らの立身出世や女を支配する(愛人を囲う)ために、「魔女」を利用していたことが手際よく例証されている。これは、ミシュレが一流の歴史家たる証明であろう。また、民衆の文盲率が高く、しかも教養が低い当時の社会では、数少ない知識人である教会関係者たちは、立場の弱い女性たちを宗教的な方法で簡単に騙し、また自由自在に利用していた事実が暴き出されていく。それに対してミシュレは、大きな怒りを持って記述しているのだが、それは宗教裁判に対する歴史的批判という狭い範囲に収まるものではなく、二月革命を強く支持していたミシュレの、民衆の蜂起を支持する政治的な歴史観が強く反映されているためだと思われる。

 従って、本書は宗教的かつ社会的にタブーとされていた「魔女」について、歴史上はじめてきちんとした研究を行ったものとしての価値はあるが、一方「魔女」というイメージに関するさらに奥深い研究については、不十分であると言わざるを得ないだろう。その不十分な分野を特定すれば、心理学、文化人類学、神話学、芸術論ではないか。今後、こうした各分野からの「魔女」を真摯に研究される学者が、多く出てくることを期待したい。例えば、ユング心理学の集合的無意識から見た「魔女」、神話の中に登場する「魔女」と魔女裁判の「魔女」の神話学的相違、中世ヨーロッパの農奴における「魔女」の積極的役割、「魔女」のイメージとその芸術的表現、といったことが研究のテーマになると思う。

 最後に、この歴史書というよりも、歴史小説と言った方が良い作品の中で、私が面白いと思った箇所を抜粋して紹介したい。なお、ページ数の次にある( )内の文字は、それぞれ該当する文章が属する章題であり、何もないものは前項と同じため省略してある。また、いくつかのものには、私の感想等を<個人的見解>として付記したので、参考にされたい。

<上巻>
P.86(囲炉裏の小さな悪魔)
 ・・・女はもはやひとりではない。精霊が家にきているとそれがすぐに感じられるし、それに精霊は女からたいして遠くにはいないのである。・・・いつでもたえず、彼は周囲をさ迷っており、あきらかに女のそばをはなれることができないでいる。

<個人的見解>
 この「精霊」とは、キリスト教によって「悪魔」として否定され、また異端視された、古代ギリシア・ローマ時代の神々であり、それらは自然=神として崇拝されていた存在だった。

P.92の訳注(P.270)
 エトルリアの精霊のように――ここに言われているのはタジュスTagesと呼ばれる小人の伝説で、この白い髪をもちながら顔は子供のそれで、エトルリアの畠に働く農夫の前に姿を現した。エトルリア人全体がこの小人の教訓を受け入れ、彼らの道徳律とした。キケロ(注:ローマ時代の類まれな技巧を発揮した文学者・政治家)、オウィディウス(注:ギリシア・ローマ神話をまとめた『変身物語』の作者である、ローマ時代の詩人・物語作家)らがこの小人について語っている。

<個人的見解>
 エトルリアは、現在のイタリアのトスカーナ地方(フィレンツェを中心にした中部地方)に、おそらくギリシア人が植民して作り上げた、ローマ成立以前に栄えた文明である。その文明の詳細は、文献がまったく残されていないため不明だが、現代になってから発掘された墳墓から出土する陶器などから、高度な文明であったことが判明している。また、墳墓にある壁画からは、人と動物あるいは自然が非常に近い存在であったことが伺われる。

P.159(自然の王者)
 ほとんど狩りと死とをつうじてしかひとが識らない鳥たち、動物たち、このすべてが、この女と同じ、世間から追放された者の身の上だった。彼らはこの女とよく意志が疎通した。サタンは偉大な追放者である、だから彼は、おのれの身内の者には、自然のもたらすさまざまの自由の歓びを、おのれだけで満ち足りた一世界であることの歓びを、あたえるのだ。

<個人的見解>
 この「追放」とは、ローマ教会からの追放である。古代の自然崇拝は、全て「悪魔」、「異端」としてローマ教会に徹底的に否定された。しかし、そうした苛酷な焚書坑儒の中で、古代の叡智は民衆の中に生き残り、それがルネサンスにつながっていった。

P.176(サタン、医者となる)
 人びとは神聖なものとされていた古い医学を見捨て、役に立たない聖水盤を見捨てた。人びとは魔女のもとにいった。習慣から、また恐れから、人びとはいままでどおりローマ教会に出入りしていた。しかしこのときを境に、真のローマ教会は魔女の家に、荒野に、森のなかに、人里はなれたところにあったのだ。彼女の家に、人びとは願いごとをもちこんだのである。

<個人的見解>
 ローマ教会は、異常なほどの裸体に対する否定から、身体を洗うことすら忌避させていた。そのため、らい病やペストなどの多くの伝染病が中世ヨーロッパには蔓延していた。古代ローマ時代は、入浴が文化として習慣化していたため、中世のような疫病の蔓延は避けられていたのとは正反対だった。しかし、ローマ教会は、疫病に感染することはすべて「神の御業」であり、また感染者の不信心の結果であるとうそぶいていた。

P.210(反逆の霊的交わり――魔女の夜宴――黒ミサ)
 紀元千年にいたるまで、民衆が彼らの聖人たちや伝説を作っていたかぎり、まだ昼間の生活は民衆にとって興味ないものでなくはなかった。民衆の夜のサバトは、古代異教のささやかな名残りにほかならない。民衆は、地上の富に影響を及ぼす「月」を恐れている。老婆たちは月に対する信仰をもち、ディアノン(ディアナ・ルーナー・ヘカテ。注:ダイアナなどの月の女神たち)のために小さな蝋燭をともすのだ。

<個人的見解>
 サバトは、徹底して虐げられていた民衆が、その感情を爆発させる唯一の機会だった。また、厳しい婚姻規制がある中で、男女が出会える数少ない機会でもあった。それらはまた、日本の祭り(盆踊りなど)の祝祭にも共通する。

P.234(そのつづき――愛、死――サタンが消え失せる)
 人びとは、かつてなぐられたり、危険な目に合ったほかならぬその場所に、妻を探しにゆくようなことはまずあえてしなかった。
 もうひとつ難しい問題があった。若い農奴が仕える領主は、近隣の藩領で彼が縁組するのをゆるさなかったのだ。もしそうなったら、この男はその妻の領主の農奴になってしまい、自分のものではなくなってしまうだろうからである。
 こうして、司祭は(近親相姦であるとして)従姉妹を禁じ、領主は他国の女を禁じていた。そのため、多くの者が生涯結婚しなかった。

<個人的見解>
 ミシュレによれば、農奴の家では財産の全てを長男が相続し、その他の兄弟姉妹は結婚することもできず、農奴である長男のさらなる農奴として酷使されていたと記している。中世ヨーロッパにおいて、人口が常時少なかった原因は、ペストなどの疫病発生、出産の危険に加えて、そもそも婚姻する男女が少なかったことが背景にあるのだろう。

<下巻>
P.289の原註から(カディエールの裁判、1730-31年)
 奇怪な一篇の逸話が見事に高等法院の状態を象徴し、説明している。検事がおのれの調書を、魔女裁判についての、この事件で悪魔が果たしたはずの役割についての評価を読み上げていた。とつぜん大音響がとどろく。ひとりの真っ黒な男が暖炉の煙突から落ちてくる・・・全員恐れをなして逃げ出す。ただ検事だけは法衣の手前、動くことができない・・・落ちてきた男がおわびを言う。なんのことはない煙突をまちがえた煙突掃除人であった。・・・

<個人的見解>
 これは、文学的想像をひどく刺激されるエピソードである。もしかすると、その煙突掃除人は、本当は悪魔であったのかも知れない。そのうち、このテーマで短編小説を作る予定なので、機会があればご紹介したい。

P.351(巻末の訳注から)
 29ページのdia-bolusについて。現代の語源学の説明によれば、悪魔diableの語がはじめてフランス語に登場するのは十世紀に『聖女エウラリアの歌』にdiavle(あるいはdiaule)として、・・・それは教会ラテン語diabolusから借りられ、このラテン語はさらに教会ギリシア語diabolosから由来し、元来のギリシア語の意味は『ひとを中傷する者』の意である。また、「分離させる、不和にさせる者」・・・から由来するとする説もある。

<個人的見解>
 ギリシア語の悪霊と聖霊は同じ自然界の異生物を表していたそうだが、この悪魔というのは、霊的な存在よりももっと人間的な、しかも誰からも嫌われる厄介者のイメージを持っていることがわかる。そういう観点から考えれば、現在の悪魔のイメージは、悪霊のイメージを併せ持つものになっているようだ。

 二十一世紀の日本では、「魔女」と言えばアニメーションや芸能の世界でポジティヴな用語として使用されている。ここでは、その本来の禍々しい意味はどこかに忘れられてしまい、英語のウィッチのような、強い魅力と優れた能力を持つ人間として理解されている。中世ヨーロッパでは、「魔女になりたい」なんて子供は皆無だったろうが、現代の日本では「魔女になりたい」という子供がいても不思議ではない。

 もちろん、一度魔女と認定されたら、酷い拷問を受けつつゴミ溜めのような暗い牢獄に長期間放置された後、生きながら火刑にされた歴史があることなど、全く知らないし、教える人もいない。それは、本来の「魔女」がもう存在していないことの証拠なのかも知れない。考えてみれば、昔はいたるところに普通にいた、お化け、精霊、魔物は、一晩中灯り続ける煌煌とした照明の光で、皆どこかへ消えてしまった。

 夜中の犬の遠吠えすら、都会の中ではもう聞こえることもない。「魔女」が生きていた自然は、もう地球上には存在していないのだろう。そう考えると、ミシュレが怒りを込めた魔女裁判は、自然の人類文明に対する最後の抵抗だったのかも知れない。(そういえば、現在も魔女が活躍するルーマニアには、野犬が多くいる。夜になると魔女たちは野犬に姿を変えて、サバトを楽しんでいるのだろう。)

<私が、アマゾンのキンドル及び紙バージョンで販売している、世界各地の都市について書いたものです。宜しくお願いします。>


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