見出し画像

<閑話休題>(私にとっての)最後のサマータイムの終了

10月31日で今年のサマータイムは終了した。
私の人生でのサマータイムは,これで最後になる。なぜなら,日本ではサマータイムがないので,もう経験することができないからだ。

その私の最後のサマータイムは,ルーマニアでのものとなった。

今年のサマータイムが始まった3月末は,すでに日照時間が延びている上に,朝は明るく,暖かく,夜はいつまでも明るかった。そこに加えて,サマータイムで1時間進んだので,たとえば,20時が21時になるから,余計に夜遅くまで明るい時間が続く。

だから,サマータイムが始まる頃は,とても良い気分になる。気持ちは常に前向きになるし,何か新しいことを始めようという気にもなる。軽度の鬱病の人は,たぶんこれだけで改善するのではないだろうか。

しかし,サマータイムの終わりは,夏の終わり以上にもの悲しい。夏が終わり,秋分の日を過ぎて,一気に気温が下がり,日照時間も減ってくる。朝は,いつまで経っても暗く,寒い。日中に少しばかり太陽が降り注いでも,あっというまに暗くなってしまう夕暮れには,気温は一気に下がる。夜は,長く,寒く,街中のネオンサインが,何かうそ寒いようにしか見えなくなってくる。

サマータイムが終わって,時計は1時間戻る(たとえば,16時が15時になる)ので,朝は少しだけゆっくりできるが,夕方の帰宅時間はなかなか訪れてくれない。そして,季節はもう晩秋で,冬至に向かってまっしぐらだから,朝も夕方も暗いのは変わらない。街を見れば,街路樹の鬱蒼としていた葉は,黄色くなったと思ったら,たった一日で道路に落ちてしまい,枯れた枝ばかりになっている。その枝に止まる鳥の姿が,なにかもの悲しい。

そして,冬至・クリスマス・年末年始と,太陽の存在が薄くなった暗く・寒い季節を,じっと耐えて過ごす。雪の美しさは,それを愛でるよりも寒さを呪うことの方に気持ちは向かってしまう。その中で嬉しいのは,ただ暖かいお湯と食べ物,そして心と体を温める酒だけだ。

こんな日々を過ごしているうちに,いつの間にかだんだんと日が延びてくるのを感じる。昨日までは,暗い中で通勤バスを待っていたのが,いつのまにか朝日が昇っている中で待つようになる。道路の雪や氷も溶けてゆき,普通の靴で歩けるようになる。鼻に突き抜ける冷気がなくなり,心地よい空気を吸えるようになる。

長く,辛い冬に終わりが来るのだ。

しかし,私はルーマニアでもう春や夏を楽しむことはない。次のサマータイムが始まる前には,ルーマニアを離れて11年ぶりの日本での生活に戻る。そして,その日本での生活は,
これまで40年近く勤めたところとは関係ないところで,新たな時間を過ごすことになる。

私は,来年3月末で,定年退職するのだ。人生のサマータイムはとうに過ぎて,これからは人生のウィンター(冬)タイムとでもいう時間を生きることになる。季節のウィンタータイムなら,やがてスプリング(春)タイムが来るのだろうが,私の人生にはもう春はない。とっくのとうに過ぎ去った遠い昔のことであり,そして辛いことが多かった儚い思い出とたくさんの後悔があるだけだ。

これからあと何年生きられるのかはわからないが,まるで次のサマータイムが始まることを信じている自然界の生き物のように,私は泰然自若と自分の舞台の幕を閉じたいと願っている。

そのときは,「椿三十郎」の三船敏郎みたいに,こう言いたい。
「あばよ!」

いいなと思ったら応援しよう!