指導者としてやってはいけないことだからやらない
鉄拳制裁が普通に存在していた時代があります。
僕ら世代より以前の世代って、ホントに、当たり前に
コラーッ!💢
って大声で怒鳴られて
ゴツン👊
とゲンコツもらうなんて日常茶飯事的にあってたんでしょう。
僕ら世代もその名残りは確実に存在していて、怒鳴られる、叩かれるは、特別なことではありませんでした。
▼ やられてイヤだったからやらない
僕はかなり、今で言うHSPの要素が強い性格だと自分では思っていて、人が不機嫌になるとか、人が怒られてるとかが、目に入ったり、耳に入ったり、それを感じたりしたら、普通の精神状態じゃいられなくなるんです。
気が気じゃなくなる。
だからとってもとっても、イヤなんですね。
怒る、怒鳴る、叩くってことが。
されるのはもちろん絶対にイヤ。
見るのも聞くのもイヤ。
まあ、それが嬉しい人なんていないんでしょうけど😅
で、僕ら世代って、鉄拳制裁の名残りがまだまだハッキリと残っていて、それなりにやられてきたわけです。
でも、時代が流れ、ギリギリやられた世代の僕らが、それなりの立場になる頃には、もう、そういう時代ではなくなっていたわけです。
世の中も変わってきたし、人の考え方も変わってきた。
もう、あんなことはヤメにしよう。
という空気に世の中がなってきたんですね。
やられてイヤだったことは、やらないようにしようねって。
そんなわけで、鉄拳制裁はなくなってきました。
なかにはいますけどね。いまだにやってる人。
鉄拳制裁とはいかないまでも、怒鳴り散らしたり、喚き散らしたりする人。
ようは、自分たちはやられてきた。
でも、それはイヤだったから、自分がやられてイヤだったことは、もうやらないようにしようねってことです。
▼ そもそも必要ないこと
でも僕は、その考え方にはかなり違和感を持っていて、僕は
そうではない
という考えです。
やられてイヤだったからやらない、のではなくて、
そもそも必要ない
のだというのが僕の考えです。
だから僕はやらない。
人を指導するとき、怒鳴る、叩く、怒る、はやらない。
それをやると、絶対に伝わらない。絶対に。
どんなに正しいことを言っていても、どんなにまともなことを言っていても、そこに、怒気があれば、相手は耳を塞いでしまう。聞く気になれない。
そこには、反発しか生まれない。
ただでさえ、人を納得させることって難しいことなのに、片や怒りを持って言葉を発し、片や反発の気持ちでそれを聞くなら、伝わらないし、伝えられない。
▼ 美談にしてはいけない
よくある話で
あの時代があったから今の自分がある
とか
殴られたり、どつかれたりしたから根性がついた
とか、かつてのことを美談にする。
僕はこれもまた、やらないです。
だって、イヤだったから。ホントに。
叩かれてイヤだった。ケツバットなんてイヤだった。
必要ないんです。
いや、必要ないのではなくて
やってはいけない
んです。
だから
やらない
んです。
人に何かを伝えるときに
怒る、怒鳴る、たたく、どつく
は、必要ないのではなく、絶対にやってはいけないこと。
これは、感情論ではなくて、
伝えようとしていることが、伝わるか伝わらないか
を考えたときに、そういうことなんです。
だから指導者としては、
やってはいけないことだからやらない
ということです。
以上でーす。