野球の神様が見てる
僕はこれまで、よく、息子や娘に、
野球の神様が見てるよ
ということを言ってきました。
神様がいるとかいないとか、そういう問題は別に置いといて、僕は、こういう風に考えるのは、野球選手としてだけでなく、人としても、とても大切なことだと思っています。
▼ 野球の神様は優しいんだよ
また僕は、彼、彼女には、野球の神様はとても優しいんだよ、と教えてきました。
例えば、大事なところで打てなかった、とか、大事な場面でエラーした、とか、試合に負けてしまった、とか、レギュラーになれなかった、とか、そんな時、僕は決して、それが
神様がバチを与えた
という風には言ってきませんでした。
練習をサボったから、感謝が足りなかったから、とか、そういうことをやってきたから、神様が怒ってバチを与えた、というふうには僕は決して言いませんでした。
逆に僕は、野球の神様は、いつも最善を与えてくれている、と言ってきました。
打てなかったり、エラーしたり、試合に負けたり、レギュラーになれなかったりしても、それは、野球の神様が
今はまだそんな時期じゃないよ
って教えてくれているんだって、そう伝えてきました。
だから、野球の神様は、いつもちゃんと見てくれているから、腐ったり、落ち込んだり、悩んだり、クヨクヨせずに、野球を思い切り楽しみなさい、と。
野球の神様は、楽しそうに野球をやってる選手が大好きなんだよ、と。
そう言ってきました。
▼ 自分を自分で律する
おそらく彼も彼女も、今も心のどこかに
野球の神様が見てる
という気持ちがあるのだと思います。
僕はこの気持ちは、とても大事で、大切で、貴重な気持ちだと思うのです。
彼、彼女は、野球をやるにあたり
野球の神様が見てる
という意識が常にどこかにあります。
例えば、自主練の時
もうこのくらいで良いかな、と思った時
例えば、体力的にキツイ練習の時
もうこのくらいで手を抜こうかな、と思った時
例えば、試合で相手チームがミスをした時
手を叩いて大喜びしようかな、と思った時
例えば、試合で審判さんのジャッジに不満を持った時
えぇ〜っ、って顔に出そうになった時
そんな時
野球の神様が見てる。
そう思うことができる選手と、そうではない選手とでは、言動は大きく変わってくるのだと僕は思うのです。
野球に限ったことではありません。
私生活においても、
このくらい良いか
とか
僕、私だけなら大丈夫でしょ
とか、そういう行動をとることは、人には少なからずあることだと思います。
その時に、怒られるから、とか、捕まるから、とか、そういう理由ではなくて、
神様が見てる
という理由で、
こんなことをしたら神様が悲しむ
という理由で、そういう、ちょっとしたことではあるけど決して良くはない行動を、自分の意思で、自分の考えで、自分で辞めることができるか。
そういう人が自分で自分を律する人であり、そういう選手が自分で自分を起立できる野球選手なのだと思うのです。
そしてやっぱり、そういう人にならないといけないのだと思うし、そういう選手が生き残るのだと僕は思うのです。
人としての、加えて、野球選手としての、より高い倫理観に繋がる気持ちなのだと思います。
野球の神様が見てる
持っておきたい意識だと思います。
以上でーす。