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【映画】「君が生きた証」”舵のない船”を漕ぐ父親の息子への強い想い…銃乱射事件に問う当事者以外の心の持ち方

こんにちは。
今回は自身のFilmarksレビューで力を入れて書いた作品を転載という形で紹介いたします。
作品は『君が生きた証』です。

あらすじ
やり手の広告宣伝マンのサムは大きな契約をまとめ、祝杯をあげようと大学生の息子ジョシュを強引に呼び出した。ところがテレビに映し出されたのはジョシュが通う大学で起きた銃乱射事件の速報ニュース。ジョシュは帰らぬ人になってしまったのだ。
その2年後。会社を辞めてからは荒んだボート暮らしを送るサムを、別れた妻が訪ねてくる。「あの子の音楽好きはあなた譲りだから」と渡されたのは、生前にジョシュが書き溜めていた自作曲の歌詞とデモCD。曲を聴いたサムは、ジョシュが何を思い、何を感じて暮らしていたのかをまったく知らなかった自分に気づく。ジョシュが遺したギターでジョシュの曲を爪弾くようになり、場末のライブバーの飛び入りステージに参加する。酔客の喧騒の中、サムの演奏に魅了されたのはロック青年のクエンティンだった。「あの曲はもっと多くの人に聴かせるべきだ」と力説する情熱に押し切られ、親子ほど年の違うクエンティンと“ラダーレス”というバンドを組むことに。
次第に人気を集めていくが、実はサムには喝采を浴びることができない理由があった……。(Filmarksあらすじより抜粋)

【Filmarks1000レビュー達成!】
もしどこかで僕の歌が聞こえたら一緒に歌おう。
息子が残した歌詞とメロディ。
複雑な父親の心境と音楽が奏でる息子の想いがリンクする。
これは贖罪か、生きた証か。
想像を絶する突然の展開に驚きを隠せないが、
前に進もうと奮闘する父と青年の交流が涙を誘う傑作。

いつも私のレビューを読んでくださっている方、いいねをくださる方、コメントをくださる方、
みなさま本当にありがとうございます。
2019年1月より開始したFilmarksですが、1年半が経過したところで遂にレビューが1000に到達しました。
このような形で続けてこられたのも、読んでくださっている皆様のお陰でございます。

通算1000本目のレビューは私にとっても大切な作品です。
今回はネタバレ全開で行きますので、よろしくお願い致します!

・息子を亡くし生きる希望をなくした父親の物語

本作『君が生きた証』の原題”Rudderless”とは”舵のない船”の意で作中に主人公のサムが結成するバンド名でもあります。
行き場を失ってしまった父親の再生の物語…と思いきやとんでもない驚きの展開を迎える物語。
私自身3年前ぐらいにDVDで本作を鑑賞した際には感動のあまり大号泣したのですが、
本作の持つ重いテーマを考えると簡単に傑作などと呼んで良いものか躊躇いがありました。
しかし、それから数年経過した今間違いなく傑作だと言えます。

まずそもそものどんでん返しとは何ぞやというところですね。
広告会社で順風満帆な生活を送っていたサム(ビリー・クダラップ)は、大口の契約がまとまりかけた際に大学生の息子ジョシュ(マイルズ・ハイザー)に電話をかけ、祝杯をあげるように伝えます。
しかし、息子は約束の店には現れず、すると店のテレビに映るのは息子が通う大学が銃乱射事件に巻き込まれたという恐ろしいニュースでした。
そこからサムは酒浸りとなり、生きがいであった仕事ですらも手につかない状態に。
ここに大きなミスディレクションがありました。
銃乱射事件により被害者となった息子の無念を悔やみ、苦しむ父親の構図だと誰もが思います。

物語が中盤以降に差し掛かった頃、想像だにしない事実が目の前に飛び込んでくるのです。

息子のジョシュは銃乱射事件の被害者ではなく、”加害者”だったのです。

初めて鑑賞した際は唖然として、物語の内容が途中まで入ってきませんでした。
今回はその事実を知った上で鑑賞したこともあり、冒頭のシーンから目に涙が浮かびました。
何を隠そう、私本作をカフェで鑑賞していたのです。
一目憚らず涙が溢れており、行き場のない悲しみを目の付近に頑張って止めようとしましたが無理でした。

・サムとクエンティンの出会いと日々の変化

そしてサムに大きな変化のきっかけを与えたのが、息子と同じぐらいの年齢の青年クエンティン(アントン・イェルチン)でした。
当時はイェルチンのことすら私は知らなかったのでそこに大きな思い入れはありませんでしたが、
2016年に事故により27歳の若さで亡くなっています。
その事実を知りながら、彼の遺作である『サラブレッド』を鑑賞したのも昨年のことです。

だからイェルチンが楽しそうに歌っている姿を見るだけでまた涙腺が緩みます。
最初は全くバンドなんかやるつもりがないサムと一緒にバンドをしようと一生懸命誘う姿がまた泣かせます。

この作品は起承転結がとてもわかりやすい構成な上、エモーショナルな部分は全て歌の歌詞が代弁してくれます。
だから感情移入も容易なんですよね。
ただ前述した通り、銃乱射事件の加害者の親として描かれるサムをどう見るべきなのか、
そこが評価の分かれ道かもしれません。
世間からは姿を隠し、名前も伏せながら、しかも息子の残した歌をきっかけにバンド生活に興じていること。
これを批判的に見てしまう人もいるでしょうし、その感情も十分に理解できます。
ただ息子の過ち全てが親の責任とするのもなんとも言えないんですよね。

歌詞を聞けば、息子のジョシュが何を考え、何を思っていたかが少しばかりわかった気になります。
だけどその気持ちを全て分かるのは難しいのかもしれません。
最初のサムの祝杯のためにジョシュを呼び出す口実は親としてとんでもないものでしたが、
少なくとも息子と対話しようとしています。もしあそこでとどまっていたら、なんて感情もつい沸いてしまいます。

また、本作はジョシュの背景描写がほとんどないために感情移入がしづらいという指摘も考えられます。
もっとジョシュがいかに苦しんでいたかを丁寧に描いていたら、感じ方は違ったかもしれません。
ただし、私としてはウィリアム・H・メイシー監督と脚本家ケイシー・トゥウエンターとジェフ・ロビソンの判断は決して間違っていないと思ったんです。

それは本作に限らず、マスコミに良いように言われる加害者や被害者がいることです。
その視聴者である我々は彼ら、彼女らの気持ちや苦しみは到底わかりようがないことなんですよね。
だから、あえてそこは描かずに、父親がどこに向かっていくのかという部分に焦点を絞ったのは英断です。

・父サムの決断とクエンティンの進む道

クライマックスに、真実を告げなかったことでサムの元を去るクエンティンがいましたが、
サムはその後クエンティンに告げる言葉。それは誰もが思いつく気休めのような言葉だったかもしれません。
しかし、クエンティンに伝えた言葉とともに彼のもとに残して行ったのはクエンティンが喉から手が出るほど欲しがっていたあるアイテムです。
純粋に音楽が大好きなクエンティンは己の感情に従い、バンドを続けることを決意。
そしてサムは一人いつもの酒場で歌を奏でるのでした。(俺の)息子よ、息子よ、息子よ、と自分で付け加えた歌詞とともに。

他にもローレンス・フィッシュバーンがいい役どころとして出演しており、
全体的にマイナーな役者陣が揃う布陣でしたが、個人的にはすごくグッとくるメンバーでした。
バンドメンバーのキャストには本物のミュージシャンを起用するなどのこだわりも見せました。

きっとサムはその後も息子が銃乱射事件で6人もの被害者を生んだ加害者であるという十字架を背負って生きていかねばなりません。
だけどもサムの生活は続いていくのです。
近年芸能人に対する誹謗中傷も含め匿名で横暴な発言をする人が目立ちます。
実質的に数字として増えているのかなど専門的なことはわかりませんが、新しい地図の香取慎吾ちゃんも言っていました。

一生懸命じゃなくていい
一笑懸命でいいから

強くなくていい
弱くていいから

今を生きよう

テキトーに

大丈夫。
(Twitterより引用)

これからも『君が生きた証』は私にとってとても大切な映画であり続けるでしょう。

改めまして1000レビュー達成にあたり、特にフォロワーの皆様いつもありがとうございます!!!!!

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