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働き方改革は日本を豊かにするのか? - 本田圭佑と吉村洋文の対談から考える

はじめに

SNSで偶然、元サッカー選手の本田圭佑氏と大阪府知事の吉村洋文氏による対談を知りました。その後、YouTube上の本編動画を視聴し、二人の議論に深く感じるものを受けました。

この記事では、本田氏と吉村氏の対談を出発点に、「働き方改革は本当に日本を豊かにするのか」という問いについて、多角的に考察していきます。

日本の労働生産性の現状

まず、日本の労働生産性の現状を具体的なデータで確認しましょう。OECDのデータによると、2021年の日本のGDP per hour worked(労働時間あたりのGDP)は49.5ドルでした。これはG7諸国の中で最下位であり、トップのアメリカ(76.0ドル)の約65%に留まっています[1]。

さらに、日本の労働生産性の伸び率も低迷しています。2011年から2021年までの10年間で、日本の労働生産性の伸び率は年平均0.8%でした。これはG7平均の1.2%を下回っています[1]。

本田圭佑氏と吉村洋文氏の視点

本田氏は、働き方改革の本質と現状の乖離について言及しました:

「働く量を減らして効率を上げようってことだと思うんですよ。短くしても働き方を工夫すれば多分結果って同じように生み出せるよねって言うことを言いたいんだと思うんですよね。(中略)この考え方に今のフェーズで向かうのはすごく危険なことだと思っていて。質とかでめちゃめちゃ働いたことが言う奴の言葉であって、量やってないやつ質を語る権利なしと思ってるんですね。」

https://youtu.be/nMvGLupO3Hc?si=N_GG04gcmUHQxw6I

一方、吉村氏は国際競争力の観点から次のように述べています:

「今いろんなアメリカもそうですけど色々な先進国で新たなイノベーション生まれてる企業とか会社が、あるいはそういう人がやってることって、それが好きで、もうずっと寝ずにやったりするわけじゃないですか。(中略)そんな寝ずにやろうっていろんなイノベーションを出してる人たちに、太刀打ちできるのかなあって言う気がします。」

https://youtu.be/nMvGLupO3Hc?si=N_GG04gcmUHQxw6I

現行の働き方改革:支持と批判

現行の働き方改革には支持と批判の両方の声があります。

支持する立場

労働経済学者の山本勲氏(慶應義塾大学)は、「長時間労働の是正は、労働者の健康を守るだけでなく、企業の生産性向上にもつながる可能性がある」と指摘しています[2]。実際、厚生労働省の調査によると、2020年度の過労死等の労災補償請求件数は2,835件で、前年度比133件増加しています[3]。長時間労働の是正は、この深刻な問題への対策としても重要です。

批判的な立場

一方で、経営コンサルタントの大久保幸夫氏は、「画一的な労働時間規制は、創造的な仕事やグローバルなビジネスの実態に合わない」と指摘しています[4]。本田氏や吉村氏の意見もこの立場に近いと言えるでしょう。

国際的な文脈

働き方改革は日本だけの課題ではありません。EU諸国では「ワーク・ライフ・バランス指令」が2019年に採択され、柔軟な働き方の権利が強化されています[5]。アメリカでも、特にIT業界を中心に「フレキシブルワーク」が広がっています。

日本の国際競争力について、World Economic Forumの「The Global Competitiveness Report 2019」によると、日本は141カ国中6位にランクされています[6]。しかし、「労働市場」の項目では54位と低迷しており、働き方改革の必要性を示唆しています。

業界・職種別の課題

働き方改革の影響は業界や職種によって異なります。

製造業

製造業では、生産ラインの24時間稼働が必要な場合もあり、単純な労働時間削減が難しい面があります。一方で、IoTやAIの導入により、生産性向上と労働時間削減の両立を図る動きも見られます。

サービス業

サービス業、特に小売りや飲食業では、シフト制の柔軟な運用が課題となっています。労働力不足も深刻で、働き方改革と人材確保のバランスが求められています。

IT業界

IT業界では、すでにフレックスタイム制やリモートワークが広く導入されています。しかし、プロジェクトの締め切り時の長時間労働も多く、その対策が課題となっています。

個人の裁量を尊重する新しいアプローチ

これらの課題を踏まえ、「個人の裁量を尊重する働き方改革」という新しいアプローチを提案します。これは、労働者個人に、より大きな裁量権を与えるものです。

先進的な事例

サイボウズ株式会社では、「100人100通りの働き方」を掲げ、従業員が自身の働き方を選択できるシステムを導入しています[7]。これにより、従業員満足度の向上と生産性の向上を同時に達成しています。

潜在的な課題と対策

  1. 評価システムの再構築 課題:時間ではなく成果で評価する必要がある 対策:OKR(Objectives and Key Results)など、目標管理システムの導入

  2. 労務管理の複雑化 課題:多様な働き方を管理するのが困難 対策:AIを活用した労務管理システムの導入

  3. チームワークへの影響 課題:個人の裁量が増えることでチームの連携が難しくなる可能性 対策:定期的なオンライン・オフラインのミーティングの設定、コミュニケーションツールの充実

専門家の見解

組織心理学者の中原淳氏(立教大学)は、「個人の裁量を尊重する働き方は、内発的動機付けを高め、創造性を促進する可能性がある」と指摘しています[8]。一方で、「適切なサポートとガイダンスがなければ、かえってストレスを増大させる risk もある」とも警告しています。

法的・制度的側面

現行の労働基準法では、労働時間や休憩時間について詳細な規定があります。「個人の裁量を尊重する働き方」を実現するためには、これらの規定の柔軟化が必要になるでしょう。具体的には、裁量労働制の拡大や、労働時間管理の弾力化などが考えられます。

ただし、労働者保護の観点から、完全な規制緩和には慎重な意見も多くあります。労働法専門の弁護士である水町勇一郎氏(東京大学)は、「労働者の健康と権利を守りつつ、柔軟な働き方を可能にする新たな法的枠組みが必要」と提言しています[9]。

結論

本田氏と吉村氏の対談から始まったこの議論は、働き方改革の本質的な課題と可能性を浮き彫りにしました。日本の労働生産性の低さ、過労死問題、国際競争力の維持など、日本が直面している課題は多岐にわたります。

これらの課題に対処するためには、単なる労働時間の削減や画一的な規制ではなく、個人の裁量を尊重しつつ、適切なサポート体制を整備する新たなアプローチが必要です。それは、リスクと安全、効率と創造性、規律と自由のバランスを絶妙に取る、複雑かつ繊細な取り組みとなるでしょう。

しかし、この新しいアプローチには課題もあります。評価システムの再構築、労務管理の複雑化、法的整備など、克服すべき問題は少なくありません。また、業界や職種によって最適なアプローチが異なる可能性も考慮する必要があります。

それでも、「個人の裁量を尊重する働き方改革」は、日本の労働生産性を向上させ、国際競争力を高め、そして何より、働く一人一人の人生を豊かにする可能性を秘めています。

この新しい働き方改革のビジョンについて、私たち一人一人が深く考え、議論を重ね、そして実践していくことが、日本の未来を築く礎となるでしょう。そして、その過程こそが、本田氏と吉村氏が示唆した「真剣に取り組むこと」の本質なのかもしれません。

参考文献

[1] OECD. (2022). GDP per hour worked. https://data.oecd.org/lprdty/gdp-per-hour-worked.htm

[2] 山本勲. (2021). 働き方改革の経済学. 日本経済新聞出版.

[3] 厚生労働省. (2021). 令和2年度「過労死等の労災補償状況」を公表します. https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_19251.html

[4] 大久保幸夫. (2022). アフターコロナの働き方改革. 日本経済新聞出版.

[5] European Commission. (2019). Work-life balance. https://ec.europa.eu/social/main.jsp?catId=1311&langId=en

[6] World Economic Forum. (2019). The Global Competitiveness Report 2019. http://www3.weforum.org/docs/WEF_TheGlobalCompetitivenessReport2019.pdf

[7] サイボウズ株式会社. (2023). 100人100通りの働き方. https://cybozu.co.jp/company/workstyle/

[8] 中原淳. (2022). 働き方の心理学. 東京大学出版会.

[9] 水町勇一郎. (2021). 労働法改革. 有斐閣.

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