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書籍『静かな働き方』シモーヌ・ストルゾフから読み解く我々が気づいていない「労働観の呪縛」

シモーヌ・ストルゾフの『静かな働き方』という興味深い本を紹介しながら、私たちの労働観について考えていきたいと思います。この本は、現代社会における仕事への執着が、実は宗教的な観念に根ざしているという驚くべき事実を明らかにしています。


仕事中心主義の現状

ストルゾフによると、現代社会、特にアメリカでは「仕事がすべて」という価値観が蔓延しているそうです。ストルゾフはこれを「我は価値を生み出す、故に我あり」というスローガンで表現しています。

さらに「人生に意味をもたらすこと」についてアメリカ人を対象にアンケート調査では、「配偶者」よりも二倍の確率で「キャリア」と回答したそうです。これは信仰や友情よりも仕事が生きがいとして認識されているということのようです。別の調査では95%の若者がキャリア形成や有意義な仕事につくことは「社会人として極めて重要、あるいは非常に重要」と考えているものもあるそうです。

ワーキズム(仕事主義)アメリカ人の多くが仕事にアイデンティティを求めている


ストルゾフは、

・ホワイトカラーの労働者にとって仕事は宗教的なアイデンティティに近いものとなっている。
・仕事は給料だけではなく、人生の意味や目的、コミュニティへの帰属意識をもたらすものになっている

と指摘しています。

ジャーナリストのデレク・トンプソンはこの現象を「ワーキズム(仕事主義)」と名付けました。敬虔な信者が信仰に意味を見出すのと同じように、ワーキスト(仕事主義者)は仕事に人生の意味を見出そうとしている、トンプソンは20世紀を通じて仕事は単なる作業からステータス、そして自己実現の手段へと進化したと言っています。

労働観の歴史的変遷


では、なぜこのような価値観が生まれたのでしょうか。ストルゾフは、その起源を16世紀のヨーロッパに見出しています。

16世紀まで、労働が苦役以上のものであるという考えは西洋にはほぼ存在しなかった。古代ギリシャ人は労働を、より崇高で価値のある活動から人々の身体と精神を遠ざける呪いと考えていた。

『静かな働き方』

しかし、この考え方は宗教改革を機に大きく変わります。

人生における労働の役割についての考え方が変わったのは、ドイツの神学者マルティン・ルターが現れてからだ。

『静かな働き方』

ルターは労働を神聖なものとして捉え、それぞれの職業を神に導かれたものとして説きました。さらに、ジョン・カルバンがこの考えを発展させます。

カルバンはルターの労働を神聖なものとする理念をさらに一歩進めた。人々は単純にそうしなければならないから労働に専念するのではなく、懸命に働くことこそ天国へ行ける者の重要な特徴だと考えた。

『静かな働き方』

資本主義と労働観の結びつき

この宗教的な労働観は、やがて資本主義と結びつきます。ストルゾフは社会学者マックス・ヴェーバーの言葉を引用しています。

利益を尊ぶ経済の仕組みである資本主義と、一生懸命働くことこそ天国に行く方法と説くプロテスタント主義には共通点があると、その著書『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(岩波文庫)で指摘している。

『静かな働き方』

現代の「仕事教」

この歴史的背景が、現代の「仕事教」とも呼べる価値観を生み出しています。ストルゾフは次のように述べています。

生きる意味は何か、という根源的な問いに答えるために信仰がある。信仰は日々の行い、義、コミュニティを通じてそれぞれが答えを見つけられるよう支援するものだ。しかし、宗教からますます遠ざかっている現代の人々はその答えを見つけるために別の方法を取らなければならない。仕事はそのひとつだ。教会のように、職場も一種の器として機能する。日々のタスクがあり、人々にアイデンティティを提供する、生産性、効率、利益を尊ぶ価値観の器なのだ。

『静かな働き方』

仕事主義の弊害

しかし、この「仕事教」は様々な問題を引き起こしています。

結論から言うと、常に満足感を与えてくれることを仕事に期待することには失望が伴う。「仕事への傾倒」は、燃え尽き症候群や仕事関連のストレスにつながることが調査によって明らかになっている。また、仕事を中心とした生活スタイルが定着している日本のような国では、それが史上最低の出生率の要因にもなっている。米国でも職業的な成功への過剰な期待が、若者の間でうつ病や不安障害の発生率が過去最高水準に達した一因となっている。世界的に見る と過労に関連した死者数はマラリアによる死者数よりも多い。
こうした調査がなくとも、過剰な期待が失望の原因になることを人々は直感的に理解している。やる気と満足感を得られ自己実現につながる仕事を期待している場合、期待にそぐわない仕事で妥協することは「失敗」のように感じられる。しかし、仕事というのは赤ちゃん同様、常にコントロールできるものではない。自己評価とキャリアを結びつけるのは危険なのだ。

『静かな働き方』

新しい労働観を求めて

ストルゾフは、仕事を人生の唯一の意味とする考え方から脱却することを提案しています。

仕事にアイデンティティとやりがいを求めるのは必ずしも悪いことではない。僕自身、ライターであることを誇りに思っているし、仕事にやりがいを感じている。しかし、職場は価値ある人生を定義する器のひとつに過ぎない。それが提示する価値観を唯一絶対と考えるのは、1本の綱の上でバランスをとっているようなもので、風が吹いたら簡単に煽られてしまう。

『静かな働き方』

労働観を支配する「寄生的な観念」

ここで、興味深い視点を提供してくれるのが、『自意識(アイデンティティ)と創り出す思考』の著者ロバート・フリッツの観察です。ロバートは、私たちの労働観が実は「寄生的な観念」である可能性を指摘しています。彼は著書の中で哲学者ダニエル・デネットの発言を引用し、この考えを説明しています。

 デネットは、アリが草を登っては滑り落ち、また登っては滑り落ちることを繰り返す現象を例に挙げている。「アリはいったい何のためにこんな行動を繰り返しているのか」とデネットは問い、この行為がアリにとって何の生物学的利益ももたらしていないという事実を明らかにした。アリの脳は、ランセット吸虫(槍形吸虫)という小さな寄生虫に乗っ取られていた。この寄生虫はヒツジやウシの胃に侵入しないと生殖できない。それで自分の子孫を残すためにアリを動かしていたのだ。こうした操作的なヒッチハイカー型の寄生虫は他にも多くの種を侵しており、いずれも宿主のためにはならず、寄生虫を利するだけだという。
 デネットによれば、人間にも同じようなことが起こる。「観念」が寄生虫のような悪さをすることがあるという。「アリの脳を乗っ取る寄生虫と人間の脳に巣食う観念は、全く違うものだと思うでしょう。寄生虫と違って観念は生き物ではないし、脳に侵入するものじゃなく、心が作り出すものですからね」
 デネットはこう続ける。「ところが、観念と寄生虫には驚くべき共通点があります。観念は人の心から心へと飛び火し、歌やアイコンや彫像や儀式にヒッチハイクして、言葉の壁さえ越えていきます。さまざまな観念が予想外の組み合わせで人々の頭の中に姿を現し、元からあった観念と一定の共通項を持ちながら、進化して新たな力をつけていくのです」
 このような寄生的な観念は、巣食った宿主の利益とは全く関係のない、別の命題を持って動く。そのため、観念に脳を乗っ取られると、自分の利益にかかわらず観念の大義のために行動してしまいやすくなる。人が自分の幸せや健康に反するような行動を取る理由がここにある。そうまでして身を危険にさらしてしまうのは、観念のしもべになっているからなのだ。

『自意識(アイデンティティ)と創り出す思考』

この視点から見ると、「仕事こそが人生の意味だ」という考え方も、私たちの脳に寄生した観念かもしれません。ロバートは、このような寄生的な観念が、自分の幸せや健康に反するような行動を取らせる原因になっていると指摘しています。

まとめ

シモーヌ・ストルゾフの『静かな働き方』とロバート・フリッツの観察は、私たちの労働観が宗教的な観念や歴史的背景に深く影響されていることを明らかにしています。「仕事こそが人生の意味だ」という考え方は、実は私たちの脳に寄生した観念かもしれません。

これらの洞察は、私たちに労働観の再考を促します。仕事を人生の唯一の意味とするのではなく、人生の一部として適切に位置づけることが重要なのかもしれません。


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