今日といういちにち
8月は1本も書いていないことに気づいた。だからどうだって事もない。今日は出勤はしなくていい日だった。朝からカフェで珈琲とモーニングをいただき、最近あの店員さんいないな、辞めちゃったのかな、なんて思いながら、その定員さんが店長と喧嘩するの光景を妄想していた。重たい教科書をバッグに詰めて、非常勤講師の講義資料を作っていた。集中するまでにやや時間がかかる日だったが、3時間ほどで予定のとこまでたどり着いた。自分以外に誰も褒めてはくれないので、自分で頭を撫でてみた。頭を撫でられたことなんて子供の頃でも思い出せない、まして大人になってからも記憶にない。自分で撫でてもちょっとほっこりしたが、人の眼を気にして痒い真似もしてみたり。やみつきになりそうだ。猫や犬の気持ちがちょこっと分かった気がして今日一番の収穫だな思っていた、きっとニヤついていたに違いない。カフェ巡りなんてお洒落なものではいが、海の見えるカフェへ。台風が近づいて波の音がいつもより大きい、そんな日が好きだ。満席の看板が立っていたが、一応店には行って聞いてみると空いてますと、車の荷物を取ってきますと声をかけて、荷物を取り案内された席に座った。僕の座ったとこは、その店で一番いい席の隣の隣ぐらいのとこだった。海をみたくて自然と身体が海の方を向いていた。なかなかオーダーを取りに来ないなと思ったら、妹さんが来られますか?と店員さんが声をかけてきた。なるほど、「荷物取ってきます」が「妹を呼んできます」に聞こえたのだろう。よく聞き間違いされるから、いつものやつだな。しかしそんなに滑舌が悪いのかと3秒ぐらい考えたが辞めた。海を眺めながら、手の届くところにあった万華鏡をクルクル、サンドピクチャーをクルクル。ついでに珈琲に付いてきたフレッシュをクルクル。ブラックなのにスプーンで珈琲をクルクル。もっとクルクルする物はないかと物色したが、見当たらず、「クルクル終わり」とつぶやき本を手に取った。栞が変な風にずれていて本をクルクルするはめになった、さっきまでクルクルを楽しんだが、終わりとつぶやいた後のクルクルは、忘れ物をして引き返した時のような複雑な気持ちだった。お店には5組くらいいたお客が入っていて、ひとり客は僕だけだった。僕が座って10分も経つといなくなり、まるで疫病神のようだと思いながら本を読んでいた。お客はいないが、何やら奥で調理している。おいしそうな匂いに誘われ、食事を頼むと、口汚しにどうぞとティラミスをそっと出してくれた。ひとり客の特権だ。結局、それから閉店まで3時間ぐらい、誰一人こなかった。帰り際に、「ゆっくりできたようですね、いいお顔になられてます」と店員さんに声をかけられ、入ってきたときはどんな顔だったんだろうと思っていたら、ティラミスのお礼も言わずに出てきてしまった。まあ仕方ない。場所を移し、波打ち際を歩いていると、何度か波に靴を濡らされ、夕日をみたかったが島が隠していた。
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