劇的に変わることは無いとしても。
ここ最近は作曲や編曲の依頼に情熱を注ぎつつも熱の絶えない日々のレッスンに勤しみ、自分の活動の制作関係にガッツリ追われる毎日を過ごしています。
充実に感謝!
その中ではめちゃくちゃテンションの上がることもあれば逆に非常に落ち込むこともある。
まずめちゃくちゃテンションが上がることは
“依頼を受けて作った楽曲が非常に喜んでもらえた”
“依頼を受けて施した編曲が非常に喜んでもらえた”
僕は何事にも全力で魂を注ぐ人間なので、その熱とクオリティを受け止めてもらえることが命ごと嬉しくなります。
その逆に自分の注いだ熱量や時間が蔑ろにされると非常に落ち込みます。
ただ単に自分の力不足ではあるけれど。。
最近そういうことがありました。
最終的に非常に悲しかったのが
「この低いクオリティで発表したところで何も変わらないと思う。」
と言われたこと。
僕のアレンジが気に入らなかったようで、別パターンも作らせてもらったけど結局響かず。
本人的には僕のアレンジよりも自身の歌唱力不足を言ってると思うのだけれど、僕がひっかかるのは
”何も変わらないと思うから踏み出せる一歩を踏み出さない”
という考え。
”一作目は注目を浴びるから完璧な形にしてリリースしたい“
という。
が、
甘い。。
売れたいなら莫大なお金を費やしなさい。
それだけでも届くものではないよ。
どんなアーティストもインディーズや下積み時代があって、不毛だと感じるステージも活動も努力を惜しまずにこれでもかってくらい積み重ねて実力を付けてきた。はず。
いきなり大舞台に立って成功したシンガーなんて居るはずない。
人の心に届く歌を唄えるようになるまでに僕がどれだけのものを費やして来たのか、その子にいくら話したとしても伝わらないんじゃないかと思ってしまった。
華やかな世界に憧れるのは決して悪いことじゃない。
だけど相応の覚悟が無ければ辿り着けはしない。
最初は弱パンチで戦うしかないんだよ。
いきなり領域展開はできないよ。
”劇的に変わりやしない“ならやらない。
というのは全ての可能性を閉じてるし、大袈裟に言うと生きることを放棄してるのと同じなんじゃないかとも思ってしまう。
そして僕のやってきた生き方が完全否定されているようにも思える。
そのような感覚で僕に師事することは僕が許せない。
自分のお洒落の為にある音楽ならプロになる資格はない。
自分の想いの共有、想いの爆発、そして与えること。
承認欲求も当然あるだろうけど、
”そんなんじゃねぇんだよ!誰が聴こうが聴くまいが、この唄を唄いたいんだよ!“
って感覚であってほしい。
僕が全て正しいとは思わないけど、音楽はそんなに浅くはない。
とは言っておきたい。
因みに僕はまだ表現を捨ててない。
今は人生において裏方に回るターン。
この学びと経験は必ずアウトプットする。
理屈じゃない音楽の表現の途中です。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
愚痴でした。