地域住民とニホンザル調査員
「あんたたちがサルの調査なんかやってるからサルが人に迷惑をかけるんだよ」
これは何年か前にヤクシマザル(下注1)の調査で屋久島を訪れたとき,島民の方々との何気ない会話をしている内にある島民から言われた言葉である.
先日,所属している研究科のゼミで,ヤクシマザルによる農作物被害についての発表があり,ふとこの言葉を思い出す場面があった.
●農家とニホンザルの関係
ニホンザル(Macaca fuscata)は日本固有の霊長類であり,一部の地域ではその文化的価値を国から認められ,天然記念物に指定されている.
さらにその外見上のあどけなさも相まって,ニホンザルは一部で観光名物と化している.
だが一方でニホンザルは,農作物を荒らす害獣としての側面も持ち合わせている.
農林水産省の調べ[1]によると,平成30年には全国でニホンザルによって8.23億円の農作物被害が出ている.
この数字は一見,同年のシカ被害(54.1億円),イノシシ被害(47.3億円)と比較すると小さな数字に見えるかもしれない.
しかし,被害額の寡多に関わらず,地域で農業を営む人たちはニホンザルに対して否定的なイメージを少なからず持っている(e.g. [2][3]).
農家の人たちが自分の所有物(農作物)を奪われることを心良く思はないことは,農業に従事した事がない者でも想像するに難くないだろう.
●生態学的治験に基づいたニホンザルの個体数管理
ニホンザルによる農作物被害を軽減するために全国で広く実践されている取組として,猟銃や捕獲檻を使った駆除がある(e.g. [4][5]).
しかし,ニホンザルの駆除を無計画に行うと,群れの行動圏の位置変化を誘発し,返って被害を拡大させる結果を招くこともあり得る[6].
さらに,過度なニホンザルの駆除は地域個体群の絶滅にも繋がり兼ねない[7].
このような(人間にとって)不本意な結果を避け,ニホンザルの保全と農作物被害の軽減を両立するためには,ニホンザルの生態を熟知した上で,”適切に(人間にとって都合の良いように)”個体数を管理する必要がある.
●ニホンザル調査員の尽力
現在,全国各地で研究者・学生・ボランティアによってニホンザルの生態調査が行われている.
調査中はニホンザルを追いかけて,気候の変化の激しく整備された道のない山中を丸一日中駆け回る.
相当な体力と精神力を要することは言うまでもない.
そして,このような調査員の尽力によって得られたデータは,ニホンザルの生態研究への利用のみならず,農作物被害に対する有効な対策を講じる上での重要な情報源としても利用される.
そのため,ニホンザル調査を行う者は,間接的にニホンザルによる農作物被害の解決に一役を担っていると言えるだろう.
●ニホンザル調査員=厄介者の味方?
冒頭にも述べたが,先日,所属の研究科のゼミでヤクシマザルによる農作物被害について研究をするという学生の発表があった.
発表の質疑応答で,島民との関係性の構築についての質問(というより懸念?)が参加者から上がった.
一概に「サルによる獣害の研究」といっても,加害者であるサルに着目するか,もしくは被害者である島民に着目するかでそれぞれ研究アプローチが異なる.
もし,発表者が修士課程の2年間という限られた調査期間で,加害者であるサルに着目した研究アプローチ(具体的には生態研究)をする場合,島民からよく思われないのではないかといった懸念である.
しかし実際は,冒頭に挙げた島民の言葉から察するに,調査員がたとえ島民に着目したアプローチで獣害問題に取り掛かろうとも,「サルの調査・研究をする者」という肩書きだけで一部の島民の目には「厄介者(ヤクシマザル)の味方」と映るようである.
●地道な歩み寄り
では,このようなニホンザル調査の実態と(一部の)島民から見た調査員に対するイメージの齟齬を解消し,島民からニホンザル調査への理解を得られる希望はあるのだろうか?
伝え聞いた話によると,屋久島で長年ヤクシマザルの調査をしている京都大学の研究チームは,定期的に島内で島民との交流や調査隊の活動内容・研究成果の報告をする場を設けているようである.(下注2)
そして,その場に参加者した島民の方々は,ヤクシマザルの調査に対して肯定的な意見を持っている方が多かったそうである.
このような研究者・調査員から島民へ働きかける地道な努力が,島民全体とヤクシマザル調査員の関係にどのような影響を与えていくか,今後の展開が楽しみである.
(注1) ヤクシマザル(Macaca fuscata yakui)…鹿児島県屋久島に生息するニホンザルの亜種.現在,文化庁によって全国6カ所に生息するニホンザルが天然記念物に指定されており,ヤクシマザルはそのうちの一つにあたる.
(注2) 厳密に言うとこの研究チーム(ヤクザル調査隊)が調査している群れは,人里離れた標高の高い地域に暮らす群れなので,農地に直接的な被害は加えている群れではない.
●参考
[1] 農林水産省.2019.全国の野生鳥獣による農作物被害状況について(平成30年度) 添付資料2
[2] 鈴木克哉.2007.下北半島の猿害問題における農家の複雑な被害認識とその可変性 -多義的農業における獣害対策のジレンマ ー.環境社会学研究.13巻.pp.184-193
[3] 中村大輔.吉田洋.松本康夫.2014.野生サル加害群の頭数に対する住民の意識構造
-山梨県の都市近郊における加害群の頭数認識と許容できる頭数について-. 農村計画学会誌 33巻論文特集号 2014年11月. pp.287-292
[4] 宇野壮晴.木野田拓也.2019.宮城県仙台市におけるニホンザルの群れ管理の実践例.霊長類研究.Primate Res. 35:3-11. 2019
[5] 清野紘典.山端直人.加藤洋.海老原寛.壇上理沙.藏元武蔵.2018.ニホンザル加害群を対象とした計画的な個体群管理の有効性.霊長類研究.Primate Res. 34:141-147.2018
[6] 泉山茂之.2010.有害鳥獣駆除による捕殺がニホンザル個体群に与える影響.Article, Bull. Shinshu Univ. AFC No.8 p.51-p.56. March 2010
[7] 羽山伸一,稲垣晴久,鳥居隆三,和秀雄,1991,有害駆除が野生ニホンザルの個体群に与える影響:捕獲記録の分析.霊長類研究.Primates Res. 7. 87-95. 1991