「初めての人生の歩き方」(有原ときみとぼくの日記) 第41房:虹の向こうへ
同窓会の翌日、有原くんはヒッチハイクでお世話になった方のお店で新年会を開くというのを聞き行くことにした。
当日、二日酔いのために断念。
彼はずっとこたつの中で寝転んでいた。
ずっと。
それは約一日半。
当日はおろかその翌日も彼はグダっていた。
せっかくのチャンスを彼はお酒のせいでだめにしてしまった。
彼は誓った。
酒は飲んでも飲まれるな。
と、飲んで、飲んで、飲まれて、飲んで、を口ずさみながらーー。
☆
5日の日曜日。
彼は昨夜の温泉もあってか元気に復活。
朝早くに目覚めると家族を起こしそそくさと準備。
彼は今日、両親と三人で初詣に行く予定だった。
出雲大社。
それは毎年の恒例行事になっていた。
彼にとって、両親と出かける機会が減った今、初詣はちょうどいい孝行になると思っていた。
距離も、時間も、目的も。
島根に住んでいる人はあまりお正月に出雲大社に行かないイメージがある。
混むから。
だから彼らも三ヶ日が終わってから行くことにした。
運転は彼がする。
他愛もない可愛。
少しの摩擦でイライラするのは、家族ゆえのことだろう。
親しいものには期待してしまう。自分のことを分かってもらえるというおごりがある。自分ができることは相手もできるんだと勘違いしてしまう。
だから家族はよくケンカする。
ごめん。
家族だからこそ、なかなか言えないんだよね。
☆
出雲は特別な土地だった。
なぜなら彼らはもともと出雲に住んでいたからだ。
有原くんはまだ幼かったのであまり記憶にはないが、両親は子育てに翻弄された激動の時代を出雲で過ごしていた。
まずは稲佐の浜。
母つくなり、
「昔はこのへんまで海だった」
と砂の上で言った。
その横にいたタクシーの運転手さんもお客さんに同じようなことを言っていた。
なんでも昔はずっと海が深くて、岩ももっと荘厳だったとか。
その景色を眺めている母の髪の毛がなびくたびに、彼は時間が経つことの美しさと残酷さを思い知った。
そして今日はここに来て本当によかったと、心から思うのだった。
☆
出雲大社はまずまずの人混み。
いつもどおりの参拝。
途中で母と衝突もした。
おみくじはあまりよくなかった。
だから彼は三回も引いた。
その足で北島さんへ。
ここは地元の人しかあまり訪れない。大社の横にある厳かや空間だ。
滝があり、芝生があり、彼らはここで大きく深呼吸した。
おみくじに、お守り。
めったにものを買わない父がお神酒を買っていた。
もうお昼も過ぎていた。
ご飯どころ。
三人は老舗の蕎麦屋さん荒木へと向かった。
有原くんはここの蕎麦ははじめてだった。
両親はなんと約30年ぶりだという。
「ここの蕎麦は甘いんだ。それが嫌でよそに通ってた」
「そうそう、もう本当に田舎臭くて、砂糖をぶち込んだような甘さだった」
確かに汁は他店より甘かった。しかし親がいうほどではない。
「昔とはえらい違うな」
その父の顔は少しだけ悲しそうだった。
変化すること。
彼らは成長した。
思い出の中に誰も生きてはいけない。
☆
本当なら日御碕神社に行く予定だったけど、有原くんはずっと前から自身の産土神のところに行ってみたかったことをふと思い出し、そのことを親に言った。
神社庁に電話して昔住んでいた住所を告げると、産土神様の祀られている神社を教えてくれる。
塩冶神社。
父は懐かしいと言った。
母は確か丘の上にあると言った。
車内では母が言った。
「お姉ちゃんの七五三はここでしたはず」
姉はもう何年も前に親と縁を切ると言い出し、それからは一切の連絡もないそうだ。
車内は悲しみの匂いで充満した。
「ねえ、俺の七五三は?」
親は少し考えて、あそこではない、いやあそこだと語りだした。
どうやら彼の七五三は昔住んでいた団地からもっと近い場所にある天満宮でしたそうだ。
それを聞いた彼は安心した。
そしてまた悲しくなった。
塩冶神社。
階段を登ると厳かな社中が飛び込んでくる。
小高い山の上といった場所なのに風がない。
人もいない。
まるでここだけ時間が止まったかのような。
三人はバラバラに参拝した。
彼は手を合わせたあと、ぐるっと境内を回ってみた。
姉の七五三をここでしたということは、多分彼もここには来たことがあるはずだ。それなのに、彼の記憶にはないも残ってはいなかった。
帰り際に、珍しく父がお守りを買った。
「ここの神社に入ったときから、なんだか手の先がビリビリと感じるんよ」
お守りを覗いてみたら「絆」と書いてあった。
姉からの連絡はいまだにない。
今年こその願いを込めて彼らは車に乗り込んだ。
☆
有原くんはついでに自分の七五三をした天満宮によることにした。
そこは昔住んでいた団地の目と鼻の先にあり、お正月なのに神主さんもいないような小さなところだった。
それでも彼はなにも思い出せなかった。
昔の彼は必ずここにいた。
ここで遊んでいた。
親に抱かれていた。
写真もここで撮った。
それなのに記憶にはなかった。
ただ、なにか魂が嬉しさで震えているような感覚はあった。
帰省本能かもしれない。
彼は手を合わせながら「ただいま」とつぶやいた。
彼の悲しみは人間の記憶の曖昧さにあった。
記憶はすぐに改ざんされる。
良くも悪くも。
親に愛された記憶。
誰かに無条件で愛された記憶。
懐かしさのなかには優しさが溢れている。
彼は親がしてくれたことを忘れてしまってる自分がとても矮小な人間に思えた。
だから彼がここで泣きそうになったのは、なにも悲しいからではない。
彼は嬉しいから泣きそうになったのだ。
☆
帰りに万九千神社によることに。
ここは八百万の神様を祀っているとことだ。
その途中、彼らは虹を見た。
それもちょうどこれから行く場所に虹はかかっていた。
「虹が出るなんて縁起がいいね」
その母の優しい声が彼をまた前に向かせた。
記憶はなくたっていい。
いまここにある思い出を大切にしていこう。
☆
奇跡なんて信じていなかった。
しかし最近は奇跡しか起きないようになってきた。
ないをしていてもないかにつながる。
今回の初詣もそうだった。
有原くんが行きたいと思った場所に、両親がすっかり忘れていた宝物が眠っていたように。
奇跡は誰にでもいつでも起きている。
それに気がついていいるかどうかだけ。
奇跡は常に目の前に。
はじめての人生、人生が始まったこと自体が奇跡のようなものだ。
親に、友人に、誰かに出会えたことに。
感謝を。
心から。
ありがとう、さようなら。
と、
いつか胸を張って言えるように。
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