「初めての人生の歩き方」(有原ときみとぼくの日記)第31房:男子半月会わざれば刮目して見よ
どうもなかなか更新ができないので、こうなったらいっそ曜日を決めてその日は例えへべれけでもなんでも更新するしかない、と内心ひやひやしながら有原くんは思案していた。
「よし、水曜と日曜だ」
彼は決めた。この日にnoteとブログをアップしようと。
☆ ☆ ☆
この半年、彼はまたまたあらゆることを経験した。
約一ヵ月でプールのバイトを辞めた。
しかも喧嘩別れ。飛ぶ鳥跡を濁したわけだ。
そして翌週に新しいバイトを始めた。
たこ焼き屋さん、そしてもう一度プール。
なんのこっちゃやねん。
日雇い派遣も二つ登録したし(まだ行ってはないけど)、昔の後輩との仲も深まったし、タバコも再び禁煙でき、なにか腹が立っても「大阪城公園のその辺の木の下でスタバを飲む」というナウシカをモデルにした行動療法で癒されることを発見したし、長い間通っていた心理学の授業がやっと終わりを迎え、しかも最後の授業の花束贈呈に選ばれたり、ようやく組めたと思っていたバンドが突如解散したり、その次の日にたまたま出会った人に勧誘させたり、真夜中にパニックに陥って神社に座り込んだり、月商うん千万のフリーライターの人に出会ったり、急に実家に帰ることになったり(いまここ)、これからの人生の指針が急に降ってきたり、実家での神社めぐりでまたまた奇跡が起きたり、、、。
悲しい事件をテレビで見たり、ラインで悔しいことを言われたり、大阪に帰りたくないけど帰りたい矛盾した気持ちもあり、
世の中には自分ではどうしようもできないことがたくさんあるということを、この年になって改めて思い知った。
同時に、山や川や海、地場産の刺身や野菜の美味しさがようやく分かった気がした。車の音はなく、鳥の声、虫の声、川のせせらぎ、きれいな空気、空、水、緑の匂い、野焼き、ひなびた温泉、方言、豪快で大胆な風土。
生まれ育った故郷は、なにも変わっていない。
変わったのは彼なんだ。
カウンセラーの授業の課題で、誰かにカウンセリングを実施しなくてはいけなかった。だから彼は実家に帰ってきた。
しかし、どうだ。実際は、カウンセリングをされていたのは、彼だったのかもしれない。
☆ ☆ ☆
今度、新潟に詩を投稿する。だから今、良寛さんについて文献を漁っていた。
「災難に遭うときは会うこと。
死ぬ時がきたら死ぬこと。
それが災難を逃れる一番良い方法です」
「裏を見せ 表を見せて 散る紅葉」
この二つが胸に刺さった。
頑張ろう。
大丈夫。
甘えたっていい。
就職するのがなにも生き方ではない。
自分のできること、誰かの役に立つこと、常に客観的に見て、堂々と人生を生きていきたい。
まずは、水曜日と日曜日、例え駄文でも、頑張ろう。
※なんだか自分のことばかりですみません。これから頑張って少しでも楽しんでいただけるような文章を心がけます。今後ともよろしくお願い致します。いつもお読みくださって有難うございます。