5月にやりたいこと〜4月も終わりまして〜
最近は3歳になった息子の語彙増加率にビビっています。
#ついに「やばいね!」とか言い出しました。
さて、もう5月になるので自分がしたいことをまとめてみよう。
・紙の本を4冊読む
・TOEICの試験を申し込み
・データベースを学ぶ
・カフェでまったりした時間
去年に自分が30歳になったということもあるので、興味があり、かつリスクが少ないことについてはどんどん手を出していこうと思う。
とはいうものの、、、
どこかで「新しいことに挑戦すること」に少し抵抗感が増している気もしないでもない。
結婚をして子供ができて、自分が持っている時間や資産の100%を全て自分自身に使えなくなってきていて、そして、その限られた時間ではやって間違いない「ラク」なことに時間を使ってしまっている。
本屋に行って興味がある本を見つけた場合、ワクワクすると同時に「でも時間がないしな」と自分に言い訳をしてしまう。
何かを始める前に自分の中で言い訳をしてしまい、何も始めない現状をよしとすることなかれ主義に走ってしまっている。これはいかん。
新しいことに手を出さず、自分に言い訳してしまい、1年を通して何も成長もない大人になんかなりたくはない。そんな大人になるくらいなら死んでしまったほうがマシと思えるくらいに嫌だ。
「ためになること」の呪縛
なぜ新しいことに手を出せないのか?ということを考えたときに思いつくのは
・何かを始める前にそれを始めるための「意味」を考えてしまう
ということ
良くも悪くを30歳になってしまった今の自分では、何かを始めようとする前に、「これは今後の自分にとって有意義なものか?ためになるものなのか?」と考えてしまい、結局何も始められないという本末転倒な癖がついてしまっていた。
20代前半では何も考えていなかったが、今では将来のキャリアプランや自分に必要とされる能力についての知識なり情報なりを仕入れたほうが良いのではないか?という打算が働き、自分が本当に興味をもったことを蔑ろにして生きてしまっている。
ほんとうに本末転倒
興味の赴くままに
自分の人生を生きるということは、自分の興味に正直になるということ。
もちろん自分にとって”必要な知識”も大切だ。得た知識を仕事に活かして、より稼ぎ、より裕福になるにはとても大切だ。
でも、それだけではよくないと思う。
効率的、生産的、有意義、これらが正義のように振る舞う今の世の中だからこそ、それらとは一歩距離を置いて、自分の内側に耳を傾け、一見すると「無駄な知識」だが興味の赴いたことに手を出していきたい。
以上
ありがとうございました。