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想定的?絶対的?どっちが大切なのか?
こんにちは、こんばんは。
ニュースサイトを巡回していたらこんなニュースを見つけました。
まとめると、「先進国で生まれた時点で恵まれてるよね。海外に足を運ぶことでそれを実感できる」というような内容だと思います。
この手の「世の中すべてを見渡してみると自分て十分に恵まれているよね!」みたいな論調が昔からあまり好きではないなぁとふと思い、もうちょっと深掘りして考えてみたいです。
絶対的な位置付け
前述したニュースでは全世界の人を引っ張り出してきて比較をしているので、ここでは絶対的な立ち位置を重視していることになると思います。
「全人口の中でどれだけ恵まれているのか?」
「全世界の中では自分の収入は上位何%なのか?」
みたいな感じですよね。
これって正直ほとんどの人にとっては全然イメージができないことですよね?
まぁ、だから世界を旅行して視野を拡げよう的な発想になるとは思うんですけど、それもそれで万人が実践できることではない気がするんです。
今現在辛い生活をしている人に対して
「世界にはあなたよりも過酷な生活をしている人の方が多いんだよ」
と言ったところで
「そんな規模のでかい話はわからない。自分が辛いので精一杯」
のような考えになる人の方が多いでしょう。
人によっては
「世界にはお前よりも苦しい人がいるんだからもっと頑張れよ。なに甘えてんだよ。文句言わず働けよ」と
歪曲したメッセージを受け取ることになるかもしれません。
絶対的貧困の話が伝わる人って、まず相対的貧困では絶対ない。
相対的な立ち位置
出典:OECD (2017g)、OECD Income Distribution (データベース)
これは各国の相対的貧困率を表したグラフです。
相対的貧困率とはその国の文化・生活水準と比較して困窮した状態を指し、具体的には「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」と定義されています。
日本は相対的貧困率が約16%
この数字はどう捉えるのがいいんだろうか?
全世界人口と比較すると裕福かもしれない人たちも、日本で暮らしている以上間違いなく貧困状態であるんじゃないだろうか?
「日本で餓死することはないから平気でしょ」
「とは言っても衣食住は確保しているはず」
「そんなことは自己責任」
と日本の中で豊かに普通に生きている人は言うかもしれません。
もしかしたらそんなこと(相対貧困)なんて一切考えたことがないかもしれない。
幸福とか満たされている感覚とか
結局は豊かであるかどうかは本人が自分自身で決めること
僕が最初のニュース記事を見てしっくりこなかったのは、
そんな当たり前のことに対して待ったを
掛けているように感じたからかもしれない。
もちろん視野を拡げてみることで
不幸を感じている人が楽になる可能性もあるかもしれない。
けれどやっぱり人って身近な人たちと自分を比べてしまうし、その中でどれぐらいの幸せを感じるべきなのか?みたいな葛藤があると思ってて。
そして、そんな比較した上では幸福と知りながらもどこか「豊かさ」を感じることができない人もいるんじゃないだろうか?
自分が持っているものを並べてみて、相対的には持っているものの量が多いことに気づいて、なお「何かが足りない」と乾いた心に潤いを与えようともがいているような人がいるんじゃないだろうか?
誰もが知っている大企業に勤め
年収は平均収入の倍程度もらい
結婚し、子どもは男女2人ずつ
郊外におしゃれなマイホームを持っている
そんな風に世間の物差しでは「幸せ」と呼ばれるような人
そんな人の中にですら幸福を感じられない人がいたっておかしくない
だって物差しは人それぞれ違うし。
もっと自分の物差しを信じて生きていこう。
P.S.着地がうまくいかなかったけど、書いてみて自分の中の思考が少しまとまったような気がします。書いてよかった。満足。