自己模倣だけは絶対にするな
本日は、自己模倣だけは絶対にしないと決めよう、という話をしていきたい。自分なりにキャリアを積んできた中堅以上の方には、何となくドキッとする内容になるはずだ。
さだまさしさんの経験談にドキッ
私は昔からさだまさしさんのファンだ。何がすごいかというと、人生の時々、自分のフェーズごとに響く歌が全く違うという点が1番すごいと感じている。
小学生、中学生の時に好きだった歌というのもあるが、当時は全然意味がわからない歌や、何がいいのかわからない曲も多かった。
それが、自分が聴く年頃やタイミングによって、「これ、俺に向かって歌ってくれてる?」と感じたり、「ああ、そういうことだったんだ!全然気が付かなかった…」と鳥肌が立つ。
そんな経験を何回もしてきた。
小説家であり、映画監督もされたりしている多彩な方だからこそ、美しい日本語を使うし、いろんな言葉を知ってらっしゃるので、未だに難しいな、わからないなと思う歌もたくさんあるのだが…
40代半ばになった今、最も響くのは「残春」という曲。残された春、残春という歌の中の歌詞が大好きでそれをよく聞いたりしている。
さだまさしさんを語った「裏さだ」という本を買ったのですが、その本の中で湘南乃風の若旦那さんに伝えたメッセージというエピソードが胸に響いた。
やっとヒットが出た後に、若旦那さんのもとには
「同じような歌を作ってください」、「こんな歌がいいんです」…
といったヒットソングに真似たような歌のオファーばかりが来て困っていたそうだ。
正直、そういう歌を今は歌いたくないのに…という相談をさだまさしさんにこぼしたとのこと。
そのときに、さださんがおっしゃった言葉が「自己模倣だけは絶対にするな」。
「過去の自分を真似るくらいならアーティストを辞めてしまっちまえばいい」と続けたそうだ。
これはさださん自身が言っていただいたとして覚えているという言葉で、
「もし昔の自分に似せようと思い始めたら、その時はもう活動はやめなさいっていわれたんだ。それは自己模倣といって芸術の世界では最もしちゃだめなこと。自分を見失っている状態なんだよ」と伝えてくれたそうだ。
野球選手へのトレーニング指導専門家と思い込んでいた自分
トレーナー関連業、私のようなトレーニング指導者の専門家にも、これは全くもって当てはまることだなぁと読みながら感じたものだ。
私の場合、キャリアのスタートは「野球選手のためのトレーニング専門家」という立ち位置だった。
自分が叶わなかったプロ野球選手になるという夢の代わりに、一流のプロ野球選手たちから求められる専門家になりたい。
そう考えて行き着いたのがS&Cといわれるストレングス&コンディショニング、つまりトレーニングの専門家だったわけで、その勉強をするためにアメリカに留学しインターンを経て日本に帰ってきたわけだ。
幸運にも日本のプロ野球の1チームに所属することができて、そこからキャリアをスタートすることができたが、当然のように自分は野球で役に立つ専門家だと勝手に思い込んできた。
プロ野球チームを離れた後も野球の現場が欲しいというか、野球選手に役に立つトレーニング指導者としてどこかで働きたいといった意識が強かった。
そんな時期、自分が所属していたチームで、一緒に苦楽を共にしたアンダースロー投手、渡辺俊介から自然な感じで言われた。
ハッとなった。目から鱗だった。
成功体験に寄せると「専門家としての死期」は近づく
その後、私は主戦場というかメインスポーツを野球からラグビーに変えた。…というかごく自然な形で変わっていったのだ。
狙ったものではなくて、いただいたチャンス・オファーをそのまま受けていった形で結果的にそうなっていっただけ。
その他にも、1番初めに自分が最も強みとして持っていた動作分析や動きの感覚といったところから、キャリア途中で立位姿勢評価という勉強を深めていった。そのことによって「姿勢チェックから始めるコンディショニング改善エクササイズ」という本を出版することもできたのだ。
アスリートだけを見ていた私が、今は一般の方も指導させていただき、将来的には子供、ジュニアスポーツに対しての指導をメインにしていきたいと考えてキャリアを積んでいる。
その時々で興味を持ったこと、自分がワクワクと人の役に立ちそうなものへ横展開していこう。そんな流れになってきたのだ。
ときどき、
「なんで野球に戻らないの?」
「姿勢改善を前面に押し出すことは、もうしないんですか?」
という質問をいただいたりする。
資格こそ取得したものの、スキルは初級者のままの鍼灸師に関しても、
「なんで鍼灸師と名乗らないんですか?」
と言われることも全く同じかもしれない。
これらは自分の武器であって否定する気は全くない。それまでの自分のキャリアを作ってくれた代名詞みたいなものでもあるから、とても大事にしているつもりだ。
しかし、自分の中で「成功し評価してもらったパターン」ということで刷り込まれて、そこに戻ろうとする姿勢は危ない。
さだまさしさんのおっしゃるところの、まさに「自己模倣」になるなと思うからだ。
この姿勢、そういった考え方をすること自体、「専門家として死に近づいている」という危機感は持っている。
常に進化していたい。常にワクワクしていたい。常に自分のことを知ってくれる仲間や戦友たちからも「雄士は見るたびに挑戦しているな」「変化しているな」と感じてもらいたい。
少ししんどい部分もあるが、尊敬するタモリさんやさだまさしさんのように。
気負わずに好奇心を大切にして、軽やかに軽やかに常に変化していきたいなと思って日々過ごしたりしている。