「できる」の前にある「違う」を経験しにいこう
私が指導している部活やスポーツはいくつかあるが、指導している大学サッカー部に関してはちょうどシーズンの変わり目になった。
4年生が引退する、去ってしまうタイミングであり、今の3年生(次の新4年生)が、一番上の学年になるという時期になっているわけだ。
昨年の同じ時期は、各学年に対して丁寧にスクワット、デッドリフトのフォーム指導を徹底的に1時間行うセッションを数回、設けさせてもらった。
どうしても試合スケジュールや技術練習、合宿などとの兼ね合いがあり、年に1回ぐらいしか時間を確保できないため、非常に貴重なタイミングだからだ。
基本となる3つのコンセプトを理解してもらいつつ、個別に触ったり、声掛けをして、感覚を助けるためのワンポイント指導を行う。
グループだけれど、ちょっとしたパーソナルトレーニングに近いような指導の仕方ができるのがありがたいのだ。
20年トレーニング指導しているプロの端くれなので、およそどういったところがポイントになるのか、動きの特徴や感覚的に違うといった個々の課題はすぐにわかるものだ。
私が3~4つにまとめている動きのコンセプトは分かっているものの、体重の乗せ方が右脚に6、左脚に4になっていたり、無意識のうちに体をひねってしまっていたりする。
そこを指1本で差してみたり、声掛けの仕方でイメージを変えたりしていくわけだ。
「グググッて落とさないで、スーッとまっすぐに落としてからグって押して。」というようなオノマトペを用いることが多い。
いいかげんな説明に感じるかもしれないが、指導することで「全然、感覚が違う!」となる選手が多い。
ちょっと興奮気味に横のパートナーに、「これ全然違う。ケツ、初めて入った。」と言っていたり、「なんか、完璧には分かんないですけど、ちょっと分かったような気がします。」と噛みしめるように言ってくれたり。…後者は私の指導に気遣って、半ば無理矢理に言葉にしてくれているのかもしれないが。
指導者目線でいうと、丁寧な個別指導をすることによって、スクワットやデッドリフトで上に上がろうとしているのではなく、しっかりと床を押すことができるようになる選手は多い。
初めて床を掴まえてしっかり下半身のトレーニングができているような印象で、随分と意識づけが変わっているのが、はっきりとわかる。
こういった変化を目のあたりにするのは、いくつになっても楽しい。常にこういったレベルで指導ができるように、研鑽を積んでいかなくてはいけないな、と改めて感じたりする瞬間だ。
まず「違い」を認識するところから始めよう
経験が少なかったり、自信が持てない頃は、すぐに何か能力をつけなければ…とか、できることをしなければ…ということを目標にしがちだ。私も若い頃はそう考えていた。
しかし、後に役立つ知識や技術というのはそんな簡単には身につくものではない。
ノウハウ的なことではなく、もっと本質的に理解したり、自分の腹落ちするというか、目をつぶっていてもできるような感覚まで昇華させなと、なかなか本当の経験や技術にはならない。
これは歳を重ねてくると本当に実感する。
よく聞く言葉である、「すぐ役に立つ知識はすぐに役に立たなくなる。」というのはやはり真理なのだ。
「じゃあ、どうすればいいの?とりあえずできること、やれるのではないかと思うことをやるのは悪いことなの?」と言われれば、もちろんそうではない。
だが、まずは「違うということを知ること」から始めればいいのではないか。その認識こそが大きな成長に繋がるのではないかと思うのだ。
いきなり、できることやノウハウを得ようとするのではなく、とにかく圧倒的に良質なものや一流と呼ばれているもの、今の自分の中にはない刺激をくれるものを探して、そこに向かって行動し、実際に経験してみる。
こういった積み重ねこそが、大きな変化を生むのだと思う。
「うわ、全然違う!今まで思っていた本を読むってこういうことじゃないんだな。」、「考えるということは表層的じゃない。考えること自体はもっと深いことなんだ…」、みたいなこと。
動作でいえば、「しゃがむ」や「走る」にしても同じだ。「重いウエイトをあげる」だったり、「投げる」や「打つ」といった競技動作でもそうだ。
「今まで自分が思っていた『しゃがむ』っていう動きとは、ちょっと違うんだな。そもそもの考え方を変えた方がいいな。」ということ。
実際にその動きをやってみた時に少し手を加えてもらうことで、「うわ。全く感覚が変わるぞ!!」とか、「見えている、気をつけているポイントがズレてたんだな…」がわかること。
こうしたことを積み重ねることで、新しく知ったことや違うと分かったことの方が、今までのアプローチよりも成長する方向なんだろうということは理解できる。
より理解してるであろう、良くなっているであろう変化の方に、今までの自分から「少しずつ寄せていくような感覚」を身につけることができるわけだ。
自分で探せる感覚まで育てれば指導スキルが上がる
今まで我流でやっていた、自分の感覚の中で良くなろうと思っていたものが、「多分、違う」という経験をしたことで、その違う方向に対して、前はこういう感じで違いが出たというところを探せるようになる。
そうすると、少しずつ再現性のある感覚や知識を身につけていくことができていく。
繰り返すことによって、初めは違うと思っていた、今まで自分ができていなかったような感覚のところを習得することができる。
一度習得してしまえば、周りの誰かが自分と同じ行動をしていたり、技術をやっているのを見た時に「多分こういった違いに気づいていないんだろうな。」、「ここの部分で、少しイメージがズレているんだろうなぁ。」という当たりがつくようになる。
このレベルまでくれば、的を射た指導ができるようになる。少なくともトレーニング指導に関しては、私はこのサイクルで自分の指導スキルを高めてきたという自覚がある。
難しいことだし、あくまでも感覚であるため、言語化するのは難しい。
しかし繰り返しになるが、だからこそ、まずは圧倒的に良質なものや一流と言われているもの、今の自分の中にない刺激をくれるものを味わいにいくべきだ。
そこで「うわ、全然レベルが違うじゃん!!」という、完膚なきまでに打ちのめされるような経験をすることが、大きな成長に繋がるし、その思考こそが大事なのだと思う。
まとめ
いきなり役に立つことや、自分の能力が身につくものを経験しようというのは、ハードルが高いうえに、やや打算的かつ安直な気がしてしまう。
「あぁ、何か違うな。」という経験を、自分が今、必要だと思っている専門性を問わずに取りに行く習慣を身につけてしまおう。
時間はかかるかもしれないが、随分と味わい深く、長期的に役に立つ知識、経験や技術が身につくはずだ。
できる、できないの尺度ではなく、圧倒的に違う!の経験を、できれば若いうちにどんどん積み重ねていって欲しい。
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