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本当に重要な「成長」とは?

成長というものをどう判断するかをよく考えます。

当然、「今まで出来なかった事が、出来るようになる事」は確かに成長だとは思うのですが、本質では無い様に思います。
ただ、それこそ本質なのではないかとも思うときもあります。

成長とは、スキル(技能)の獲得と同義なのかという事です。

考えた結論は「否」

スキルの獲得は、成長の1つの段階であって、これを持って成長とすることはできない。

スキル獲得の先にこそ、「成長の本質」があると思います。

成長の本質とは何か?

一言で言えば「真理を追求/理解する事」だと思います。

例えば、スポーツで言えば、武井壮さんがおっしゃっていることが、それだと思います。

彼は、10種競技の元日本チャンピョンだったのですが、その競技そのものの練習をあまりしないというようなことを言っていたことを聞いた記憶があります。

それでも日本チャンピョンになれたのは、「スポーツの真理により近づいていた」からだと思います。

テレビで拝見している言葉をまとめると、下記のようなことだと思います。

・競技ごとに必要なことを定義する
・身体を自分の思った通りに操ることで、上記定義を実行できるようにする

成長の評価

真理の追求/理解について含めて成長を評価する事は、非常に複雑です。
ほとんどの場合、スキルや結果の評価です。

もてはやされるのものも、その傾向が顕著です。
ここ1ヶ月、ビジネス分野のTwitterやnoteを見ていると、結果や結果につながる手法がバズります。
ビジネスの世界では、当然といえば当然です。

ですが、社会の成長という観点からすると、真理の追求/理解についての成長を評価できる事が必要なのではないかと思います。

ただ、こういった真理の追求/理解を評価する事を社会で実現することは困難です。
評価する側の理解度が問われるからです。

このあたりは、テクノロジーが解決するのではないかと思っています。

自分自身で「真理の追求/理解」を評価できるように

社会で評価されないのであれば、自分自身を評価できるようになるといいですね。

そのための第一歩を紹介したいと思います。
私自身は、そんなに高い水準にいるとは思いませんが、真理を追求している立場として、大事にしている事です。

無知の知

ソクラテスの基本ですね。
知らないことを知っている事です。

これを知るための良書はわからないのです…

これが府に落ちたら次は

学而時習之

学而時習之の実践です。

「学而時習之」は論語の中にある記述ですね。

論語にはいろいろな解釈があるので、書籍を紹介します。
私は、この本の解釈が、府に落ちました。

成長をしっかり捉えられることこそ、社会の成長につながると思います。

社会の成長って、なんだ?…

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