ウソをつくことの怖さ
全国各地で大雪が降り、寒い毎日が続いていますが、皆さんいかがお過ごしですか?
私が住んでいる地域でも、道路がすごく凍っていて毎日とても寒いです🥶
さて、今日はそんな雪が降り積もる中、私がバイトに自転車で行ったために遅刻をした、という事実を「ウソをついて隠した」話をしようと思います。
先日、私はいつもなら自転車で15分弱で着くバイトに、5分遅刻していきました。遅れた理由は、雪が解けていないことを確認していないのに、「自転車でいつも通り行けるだろう」という、あまり当てにならない自分の感覚に従ったことが原因です。
幸い転ばずに到着することはできたのですが、向かっている途中に、「これは遅刻する」と思い、バイトのグループに連絡を入れました。
「すみません、車の渋滞の影響で5分くらい到着が遅れます。」
完全にウソです。どう見てもウソです(笑)
なのですが、こういう風に送りました。
私はこの経験から、
「ウソをつくこと=現実の自分を偽ること、覆い隠してしまうこと」
だと気づきました。
そもそも、人はなぜウソをつくんだろう?という事を考えてみると、自己防衛をするため、つまり「自分を守るため」だと思います。自分の過ちや失敗を隠し、自分という存在を守るためにウソをつくことがほとんどなのではないかと思いました
たしかに、「嘘も方便」という言葉があるように、時と場合によっては自分を守るためにウソをつくことが適している時もあると思います。
ですが、今回の私のように、外の雪の状況を見てもいないのに、自分の勝手な思い込みで「行けるだろう」「なんとかなるだろう」という曖昧な判断をしたという自分自身の失敗を認めたくないがために、ウソをつくという事は良くないウソのつき方だと思いました。
じゃあ、なぜ私がそもそもウソをついたのか。それはきっと「自分をよく見せたかったから」だと思います。なぜなら、自分の失敗を相手に言ったら、「この人はダメな人だと思われてしまうかもしれない」や「信頼できない人だと思われてしまうかもしれない」から。そういう恐怖心から自分を守るために、ウソをつくことで自分のアイデンティティーを守ろうとしていました。
ウソをつくことで、相手には隠し通すことができるかもしれません。しかし、必ずそれを近くで見ている人がいます。そうです、「自分」です。どんなにウソをついて相手にバレなかったとしても、自分にはウソをついたという事実が分かるんです。つまり、私は相手にウソをついていると同時に、自分自身にもウソをついていました。
突然ですが、食べかけのリンゴを想像してみてください。
それを一人の不完全な人間(私、あなた)だとします。そのリンゴは欠けていても価値があるのに、ウソつく事で、その欠けている部分に「ウソ」というばい菌が入り込んできて、不完全な自分があたかも満たされているように感じ、楽になったり、安心感が生まれます。
しかし、それが積み重なっていけばいくほど、どんどん自分の中にばい菌が入り込んでいって、気づいた時には自分ではない誰かを演じて生きることになってしまいます。弱い部分がある人間味のある現実の自分ではない、自分が思い描いている理想の自分(完璧な自分)が今の自分であるかのように錯覚させるものだと思いました。
私はこの事実を知った時に、一生このままだったら、人間味のない完璧な自分を演じなきゃいけない苦しさ・辛さがあると同時に、成長することができないという怖さを感じました。ウソを重ねていく未来の自分を想像した時に、自分の失敗を認めず、自分以外の違うもの・人・ことのせいにする事で、何も進歩しない自分が怖いという危機感を感じました。
なので、私は相手のためにも、自分のためにも、自分の失敗や見たくない感情を隠すためのウソをやめます。これから先、相手をがっかりさせてしまうこともあると思います。迷惑をかけてしまうこともあると思います。ですが、そんな不完全な自分を受け入れて、「なぜ失敗したのか+どうしたら次につながるかな」という事を考えて、少しでも前に進んでいけたらいいなと思います。
そして、そんな時にちゃんと「ごめんなさい」「ありがとう」を言える人間になりたいと思いました☀️
おわり
長くなりましたが、読んでくださり、ありがとうございました!!🌷