某宗教信者と結婚が破綻した話
こんにちは。
このノートを読んでいる人の中には、恋人の宗教に悩んでいる方もいるかもしれません。
ここでは、日本にそこそこいるあの宗教の元カレと付き合った私(無信教)の身に、カミングアウトから婚約解消までどのようなことが起きたかを綴ります。また、それらの経験を踏まえて宗教信者と無信教のカップルが上手くやっていくために必要だと思われることを書いていきます。
同じようなことで悩んでいる方の参考になれば幸いです。
※あくまでも個人の実体験、感想です。
※特定の宗教を攻撃する為に書いたものではありませんが、宗教素人が書いた記事なので一部適当ではない表現があるかもしれません。
※この記事は無宗教である私の視点で書いたものなので、特定の宗教を信仰している方には不快な内容が含まれる可能性があります。
【カミングアウトから別れるまで】
1月 カミングアウト、そして婚約
知り合って5年、付き合って2ヶ月経ったある日。
•某宗教の信者3世である
•もちろん私に強要するつもりはない
•あまり熱心に会合等には参加しておらず、幽霊部員みたいなものである
こういった内容を彼から告げられました。
その時は、「まあキリスト教とか宗教は色々あるし、大した問題ではないだろう。私は私だし。」と、あまり重たく考えていませんでした。
それ以上に彼の優しい人柄に惹かれていて、プロポーズされそうな雰囲気も感じていて、とにかく彼と結婚したかったのです。私は「大丈夫だよ。話してくれてありがとう。」と返事をしました。
その翌日、婚約しました。
2月 宗教嫌いの実親に伝えるタイミングを考える
彼が信者であることは、信頼している一部の友人に話をしましたが、私の両親に話すのは彼の人となりを知ってもらってからにしようと思いました。私の両親(特に母親)は宗教に関わっているというだけでおそらく彼に会いもせず拒絶するだろうと考えたからです。(私は両親と仲は良くありません。)
彼にもそのことを伝え、私の実家へ彼が挨拶に来た際に信仰の話は一切しませんでした。両親は彼を気に入ってました。まさか娘の婚約者があの宗教の信者だとは夢にも思わなかったと思います。
4月 2世な彼の親と対面
彼の両親と初対面。
元々は、彼のお父さんが2世でお母さんは信者ではなかったそうですが、結婚を機に入信し、今となってはお母さんの方が熱心な信者であると聞きました。
簡単な挨拶しかしませんでしたが、帰り際に「良かったら。」と、お母さんから封筒を渡されました。中には宗教の新聞が入っていました。
彼曰く、お母さんなりに私に歩み寄ろうとしているのだということでした。
そのこと自体は嬉しかったものの、電車で読んでいる人がいるアレだ…とヤバいものを触ってしまった感覚になりました。
宗教アレルギーの実母に見つかったら大騒ぎになるなと思い、申し訳なさも感じつつ、帰りの駅のごみ箱に捨てました。
5月 実父に話す
今後どのように実母に話すことが一番波風がたたないか相談することも兼ねて、父に彼が信者であることを話しました。
父は、こうしなさいああしなさいといった指示はしないものの、不安を感じている様子でした。
6月 ついに勧誘開始!?彼の「友人」に会う
この頃、初めて知ったことがあります。彼らは同じ地域の信者で定期的に集まって、一緒にお経のようなものを読んだり日々の悩みを相談したりしているということでした。(彼の周りだけでなく、その宗教全体がです。)
彼は、信者ではない私との結婚に不安を抱えて、それまではほとんど顔を見せていなかった地域の会合に定期的に参加するようになり、信者仲間たちに相談していたようなのです。
つまり、元々は幽霊部員みたいなものだったのに、まさかの私のせいで熱心な信者になってしまったのです。笑
ある日、彼の友人が私と同じ職種だから、ぜひ会って欲しいと言われました。なんとなく予感はしていましたが、信者仲間でした。
ここからは、彼の「友人」と会った時の状況を書いていきます。
場所は彼の友人Aの自宅でした。家の中はその宗教のグッズで溢れていて、私は「わあ…やばいところに来てしまった…。洗脳されないように自分をしっかり保とう!」と1人決意を固めていました。この家は、その地域の会合が行われる場となっており、他の信者からしても「やりすぎなくらい信仰心に溢れた家」と冗談っぽく言われていました。
家主の友人A、私と同じ職種だという友人B、彼、私の4人で、最初は仕事のことなどの雑談から始まりました。そして徐々に、普段の会合ではどのようなことをしているか、お経みたいなやつのデモンストレーション、さらにその宗教がどんなに素晴らしいものかを伝えるドキュメンタリー調のDVD鑑賞をしました。
そこで、その宗教の考え方を色々知り、彼がなぜあんなに人当たりの良い優しい人間なのか、なんとなく理解しました。それと同時に、あの教えをちゃんと守ってるこの宗教の信者たちは、ある意味ストイックですごいなとも思いました。
その場ではあくまでも彼と友人による「自分たちはこういうことをしているんだ」という紹介でお開きとなりました。
厄介だったのは、その後、彼が今度は友人Aや友人Bの奥さん(もちろん信者)に私を会わせようとしたり、その宗教の偉い人が書いた本や新聞を会うたびに渡してくるようになったことです。LINEでも頻繁に例の新聞の詩のようなものの写真が送られてくるようになりました。彼なりに、自分が良いと思っているものを共有したい、生きるベースである信仰を知ってほしいという意図があったのだと思います。
その頃から、私は彼がカミングアウトの際に言った「強要はしない」とは一体どういう意味だったのだろうか…と考えるようになりました。
7月 「同じ方向を向いてほしい」宣言
どういう脈絡だったかは忘れてしまいましたが、私が暗に「自分は絶対に入信することはない」と話した時、彼に「これから家族として共に人生を歩んでいくのに、同じ方向を向いていないことが不安だ」と言われました。
その後も、「非信者との結婚に悩んでいたが、会合にきちんと行くようになったおかげで相談できる友人ができた。」「教えに救われた。」「うちは新興宗教じゃなーい!!」など信仰の素晴らしさを色々と力説されました。
決定的なことは言わないものの、私にも入信してほしいんだなと感じました。
8月 お互いに限界を感じる
私たちは、付き合って間もなく婚約した為、宗教以外にも家族に対する価値観の違いなども色々出てきました。そして別れました。
100%信仰が原因で破綻したというわけでもありません。しかし、結局その「価値観の違い」というのは彼の信仰と私の無信教に起因するとも言えます。
【頭を冷やして考えたこと】
信仰を持っているからヤバい人だと決めつけるのは誰も得しない
彼と別れてからは数年経ち、私は別の人と結婚しました。夫と初めて会った日、お互い元恋人が例の宗教の信者であったことで意気投合しました(笑)
そういう状況の今の私が思うことを書きます。
信仰をしている彼らにとってはその教えは人生そのものです。同じ信者みんなが友人です。それを否定することは誰にもできません。
そして、ある教えを信仰し、教えを守ることのできている人たちは日々努力をしていると感じます。彼も含めてこれまで何人もの特定の宗教の信者と関わることがありましたが、人当たりも良く真面目に仕事をするという印象が強いです。彼以外に勧誘をしてきた人は誰1人としていませんでした。
ほとんどの人(特に若い世代)は、無信教の人に対してどのように振る舞うべきか分かっていると思います。これまで知り合ってきて信仰があることを教えてくれた友人たちは「必要かもしれない」と思えば勧めることもあるけど、興味がない人に話したりはしない、でも聞かれれば喜んで話す、というスタンスでした。
だから、職場の同僚だったり友人が信仰をしているのは特に気にしないし、話として普段どういうことをしているか聞くだけであれば面白かったりもします。
ただし、人に迷惑をかけるような信仰や営利目的、信者を増やすことを目的としているような宗教•個人に出会ってしまった場合は要注意です。道端で勧誘活動を行なっているような人たちは100%信用できません。
無信教&信者はパートナーになれるのか
信者の人たちは「信仰を否定されたら生き方を否定されるようなものだから耐え難い」と言っていましたが、私のような無宗教にとって信仰を強要されることは、信者が信仰を否定されるのと同じぐらい心労を伴うのだと感じました。
そして、今回私に起きた話で難しい点としては、彼は私に宗教を強要している意識は恐らく無かったということです。この記事を読んでいる人たちの中にも「え、強要されてなくない?」と思った方もいたと思います。
しかし、どの程度のことで信仰という心に深く触れるものを「強要されている」と感じるかは、体の痛みの程度と同じく本人にしか分かり得ないものなのです。私は、新聞を彼から渡された段階で「強要だ」と感じました。
自分を知ってもらう為に彼自身から宗教の話を聞くことは必要だったと思いますし、そこで終わっていたならば私も強要されたと感じなかったと思います。
しかし、新聞や本を持ち帰らされたり、私を信者の友達と繋げようとしたり、私の領域に「それ」が踏み込んできた瞬間、耐え難いものへと変貌しました。
無信教と宗教信者のカップルがお互いのスタンスを保ったまま幸せでいる為には、「信仰はそれぞれのものだから分かり合えるものではない」と割り切るしかないのではないかと思います。
その為には、もちろんお互いの信仰を否定することもしないし、信仰に関わるものを相手の領域には入れてはいけません。お互いに寛大な心が求められます。
それができないのであれば、どちらかがどちらかに信仰を合わせるしかありません。現実的には無宗教の方が入信して幸せに暮らしてるパターンをよく聞く気がします。彼の両親もそうでした。
結論としては、日本では比較的新しい宗教の信者と無信教の人間が共に人生を歩んでいくのは、不可能ではないけど障害も多く難しいと思います。特に結婚ともなれば、家族や親戚から絶縁される可能性も否めません。
おまけ 宗教団体と政党について
○○の信者は必ず△△党に投票するどころか、周りの近所の人にお願いをして回ったり電話をしたりするなんて話がありますよね。
信者の方たちと関わって分かったことは、彼らは決して思考停止で特定の党を応援しているわけではないということです。
地域の会合の話を書きましたが、宗教絡みの政党の議員というのは地域の会合にも顔を出し、一般人の信者と話をすることも多いのです。
だから、信者たちがその政党を応援する理由として大きいのが、「議員も顔見知りだから、知り合いを応援している感覚」らしいのです。「生活に困った時は地元の議員が役所に口利きをしてくれることもあるから使える」なんてことも聞きました。
そしてもう一つ、彼らにとって信仰している宗教の考え方とは絶対的なものなのです。だから、自分たちと同じ信仰をしている議員が政治を行なうことで世の中が良くなるに違いない!と本当に本当に本当に本気で思っているのです。
人生観が同じだからこそ、同じ信仰の議員さんが掲げる公約に共感して投票するというのも自然な流れですよね。
選挙前にTwitterで○○の信者さん考え直してなんてタグが流行っていたと思いますが、正直あれを見て考え直す信者がいるわけないなと個人的には思いました。笑
最後に 反省したこと
某宗教信者である彼との関わりの中で私が間違っていたことがあります。
それは、無自覚ながらも「宗教を理解しようとして【あげている】自分は偉い」というスタンスだったことです。
たしかにその宗教は日本では信者の数に比べて否定的な印象を持っている人の方が多いです。
しかし、信仰の面でマジョリティーだから上、マイノリティーだから下ということはあり得ないのです。彼から「どうしてそんなに上から目線なんだ!」と言われたことではっとしました。
だから、もしもかつての私のように世間であまり印象の良くない宗教の信者のパートナーとちゃんと向き合いたいと頑張っている人がいるのであれば、「自分が正しい側の人間である」という考えは捨てて!とアドバイスしたいです。
もちろん、これを読んでいるあなたが信仰している側の人間であるならば「信仰してないなんて生き方損してる!なんとかしてあげなきゃ!」なんてことも思ってはいけません。口に出さずとも、伝わってしまいます。
いずれにせよ、そこが捨てきれない、どうしても相手の生き方を尊重できないのであれば、もうそこまでということです。私はそのように考えられるほど心の広い人間ではありませんでした。
と、少し謙虚なかんじでこの記事は終わりたいと思います。お付き合いいただきありがとうございました。
某宗教=創価学会でした。
私の周りの会員はステキな方ばかりです。
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