美しいというもの

最近私は「美しい」と感じることが増えました。
例を挙げるとボカロP・wowakaの代表曲「アンノウン・マザーグース」やハイヒールを履いた男性です。

私は気づきました。「美しい」と感じるものは自分に足りないものなのではないかと。
私は「アンノウン・マザーグース」のサビで静かになる曲である所に惹かれました。好きな曲といってパッと思い浮かぶ曲はどれもサビで盛り上がるものばかりです。しかし「アンノウン・マザーグース」はサビで急に静かになります。初めて聞いた時は驚きました。こんな曲があるのか、と。サビで盛り上がるという前提を覆したこの曲が大好きになり、毎日のように聞きました。この間、この曲を聴くとふと「美しい」と感じました。何故だろう、考えに考えました。私の出した答えは前述の通り自分に足りないものがあるからだと言うことです。
私は臆病です。だから周りに流されやすいとよく言われます。多数の人と違うことをすることが恐くて目立つことが嫌いで。でも、「アンノウン・マザーグース」は多くの曲と違うことをして、有名になって、結果私の耳に届いた。
だからこそ「美しい」と感じるのではないか、


ところで、最近は男性は男性らしく、女性は女性らしく、といった考え方が改められつつあります。男は働いて女は家事、という時代が終わりつつあるということです。だから当然ファッションにも同じ考え方を働かせられるわけであって。
男だからスカートを履いてはいけない、女がズボンを履くのはおかしいという考え方が捨てられて今は男性もののスカートや男女兼用の服などよく見かけます。
そんな感じで最近はスカートを履く男性が増えています。その中にハイヒールを履く男性もいます。
米津玄師さんの「Lemon」のMVでも米津さんがハイヒールを履いている場面を見ることが出来ます。
これも先程と同じようなことです。多くの男性はハイヒールを履かないけれど勇気をだして履いてみた、そんなところに惹かれます。


結果、私は何か「普通とは言われないもの」に魅力を感じ「美しい」と思うという答えが出ました。まあ、私に足りない部分はそこだけでは無いので勿論ほかのものに「美しい」と感じる部分はあるでしょう。ただ、全てに共通して言えるのは自分に足りないものであると考えます。


ファッションについて、私はまだまだ男女の区別が激しいと感じます。男性はズボンを履くのが「普通」だという人もよく居ます。
私はその「普通」が大嫌いです。マイノリティーのことを考えずに発言している気がして違和感を感じます、
よく「区別」と「差別」は別物と言いますが区別は人の感情が関与してくると差別になるんです。区別は大切ですがその枠を「男女」だけでなくもっともっとたくさんのセクシャルに広げるべきでは無いのかと思います。そしたら普通、なんてものは無くなるのではと考えます、

まだまだ話したいのですが長くなりそうなのでまたいつか、

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