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Part2


愛知に帰ってきた私に父が言った言葉は


『高い授業料だと思えばいい』
『きっとこれから役立つ時がくる』
『お母さんになったら絶対役立つ』

その時はリタイヤした悔しさから
この言葉の真意を知ることは無かった。

ただ、高い授業料を払ってもらってたから
お金の面で迷惑をかけ続けてきたと
ずーっと思っていた私にとっては
その罪悪感から少し救われたのを
鮮明に覚えてる。。。

少し身体を休めてから
仕事を探しなさい

そー言われていた私は
半年間のニート生活を経験しました🏠

ニート生活で考えていた事は
なんで色んな整体があるのに
みんなひとつずつしかやらないんだろ?
まとまってたらめっちゃ楽なのに💦

そんなニート生活も楽ではなかった。

親子の認識とは違い世間は厳しい。
親族からは心配の声より

『大学辞めたくせに偉そうに言うな』

普通の会話さえ怖くなるほどの
たくさんの厳しい言葉を浴びてきた。

それでもリタイヤしたのは私だから
私へ直接暴言を吐かれるなら
どんなに言ってくれても構わないと思った
父や母へ色んな言葉が届く。
それもまた私の自信を奪っていった。

半年たった頃、
そろそろ就活しないとなー
と思っていた私に
通っていた整体の先生から紹介で
面接受けてみる?と話が舞い込んできた!

ちなみにこの時の私は大学のレポートも
手書きで書くほど超アナログ人間✍️

パソコン経験ゼロ🤣
社会人経験ゼロ🤣
バイトも近所のお店だけ💦

そんな私でも雇ってくれる優しい会社に
無事就職し、OLさんになりました💻


ちょっとお役所仕事な会社だったので
社会人としての振る舞いや
コピー、パソコン、受付業務など
特殊な作業としてはCADも💻

気づけば9年もの月日を過ごしていましたが
その間はずーっと看護師を諦めきれず
ホームヘルパーの資格を取ったりして
自分のやるべき事を探しながら
暗闇の中、ずーっと戦っていました。

そんな時でした‼️
『カイロプラクターになってみない?』
そんな誘いを頂き30歳を目前に

手に職は無い
取り柄もない
結婚の予定もない

これじゃダメだ‼️と思い
カイロプラクティックの資格を取りました

当時、転職のタイミングだったので
有給休暇を使い資格を取りに行き
無事合格と同時に退職
新しい職場へ移動しました‼️

そこからは毎日が一変しました‼️
毎日高速通勤で職場へ向かい
仕事をしてから地元へ戻り
先生の施術院に行き研修するという
怒涛の日々を2年続けた頃

先生との施術へ対する考え方が
違いすぎたので独立を考えた。

まだ半人前なのは1番私が分かってた。
でも、あの場所で続けることが

出来なかった

そして逃げるようにアパートを契約し
自分のサロンを駆け足で作った。

当時はなんにもないサロンでしたが
それでも私の特別な場所ができました。


ここまでが、
整体師になり
サロンを始めるまでの
私のストーリー😊
続きは次の投稿へ

𝐧𝐞𝐱𝐭…Part3へ🧸𓈒 𓏸

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