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アダルトチルドレン

アダルトチルドレン

皆様はこの言葉を聞いたことありますか?

聞いたことのない方の為に綴らせて頂きます。


アダルトチルドレンとは。

※子どものころに、家庭内トラウマ(心的外傷)によって傷つき、そしておとなになった人たちを指します。子どものころの家庭の経験をひきずり、現在生きる上で支障があると思われる人たちのことです。それは、親の期待に添うような生き方に縛られ、自分自身の感情を感じられなくなってしまった人、誰かのために生きることが生きがいになってしまった人、よい子を続けられない罪悪感や、居場所のない孤独感に苦しんでいる人々です。ACという言葉は、伝統的な精神医学や心理学の枠組みでの診断名ではありませんが、自分の育ってきた環境、親や家族との関係を振り返って自分自身を理解するための、1つのキーワードとしてとらえることができます。

とのことです。

他にも意味はありますが、参考までに。

私はしっかりとこの言葉の意味を理解した時、全てが当てはまり、

私は「アダルトチルドレン」

だと確信しました。




私の幼い頃の記憶は、酷く辛いことばかりで思い出したくないことが沢山あります。


だけど、ここでは全てを綴らせて頂きます。


親の酷い喧嘩の毎日。


毎晩父親が帰ってくるとドアを力一杯、

バタンッッ!!と閉める。

その音で、父のその日の機嫌がわかる。

車庫の開け閉めが威圧的で乱暴。

ガラガラガラガラッッ!!


父が帰ってきた。

それだけで、怖くて眠れなかった。

その音でみんな各自の部屋に戻る。

おかえり。

怖くてそんな言葉を言えなかった日々。

今日は何を言われるのだろう。


ドタドタと階段を上り父が帰ってきた。

そして、まず、母親と喧嘩。

その後は、兄の部屋に行き暴言を吐く。

お前は今日何してたんだと散々怒鳴りつける。


その後は私。

お前はもう寝てるのか。

ため息交じりの怒鳴りつけ。

ピアノは?宿題は?散々怒鳴りつけられました。

その目は、確かに何かに取り憑かれた鬼のようでした。


その日々が私が、小学校に入り、戸建ての家を買ってからしばらくして、毎日でした。

母親には、お前がダメだから、お前は何にもしてないからこうなんだ。

の連発。

母親が泣きながら反発。

寝られるどころか、命の危機すら感じる毎日。

寝不足と不安で毎日得体の知れない疲れ。

親の喧嘩に止めに入ると、子供は黙ってろとものすごい形相で突き放される。


お願いします。

神さま。

もう終わらせてください。

助けて。


助けて。


怖い。

怖い。

怖い。


階段に座って泣きながら、それでも二人の口論をメモにとった。

動悸がして止まらない。

逃げたい。

なぜ喧嘩してるのか。

どうしてこうなったのか。

口論の末にいつも、価値観の違い。

この言葉がずっと頭に響いて今でも忘れない。


いつも父親が怒鳴り散らして、母親が反論を続けていた。

母親から言うことはなかった。

母親もとても父親を怖がっていたから。


生まれて来なければよかった。

何度そう思ったか。


死にたい。

逃げたい。

地獄。


小学生の頃、毎日思っていた。

多分兄も同じだろう。

死ぬほど地獄な家。

思春期、たくさんの問題を抱えて帰ってきた自分達に、その家には、どこにも居場所はなかった。

中学生。

友達をハブリ、ハブられ、日々の体の変化、見た目のコンプレックス。自分なりに毎日沢山のことに戦っていた。

でも、帰ればさらに地獄が待っていた。

ある時は父親が怖くて寝れなくて、母親の部屋に行ったら、枕の下に包丁があった。

お母さん、何これ?


そういうと、

ああ、なんかあったら刺してやろうと思って。

その時私は、不思議と、そうしてやれと思っていた。

死ねばいいのに。

帰って来なければいいのに。


またある時は、

いい加減にしろ!

土下座しろ!!

と、私が父にぶちぎれたこともあった。

私が暴言を吐いた時、てめぇ親に向かってなんつってんだ!!って殺されそうになった。

父親が鬼のように目ん玉ひん剥いて怒鳴り散らしてきた時、母親が私のことを抱えて、守ろうとしてた。

が、なんか弱々しくて。

殺されると本気で思った。


またある時も私は父親に反発した。
その時、またいつものように父親は劣化のごとくキレ、殴られそうになったのを兄が必死で止めたのは、後にも先にもこの一度きり。

てめぇ女に手を出すな!!

普段感情を出さない兄が初めて私を守った事を今でも忘れない。


でもね、


母親に、何度も毎日のように離婚して欲しいって頼んだんだ。

怖いから逃げたいって、助けてって。

でも、一人じゃ生きていけないから離婚できないと言われた。

家がないからと。

いくらでも方法はあるだろうと、私は働いて母親のことを支えるつもりだった。

でも、母親は環境を変えてはくれなかった。

私たちより安定をとったんだ。

私たちの感情より、世間の目と、自分の気持ちを優先したんだ。

この事をずっと恨んでいた。

どうして逃げてくれなかったのか。

どうしてそんな酷な事を私たちに続けたのか。

そして、それからも最低の地獄の環境を私たちに毎日与え続けてくれたんだ。

何度も母親に頼んだんだ。

別れて、離婚して、環境を変えてくれと。

でも、母親は一人じゃ生きていけないの一点張り。

耐えるしかなかった。

私の心はどんどん闇の中に落ちていき、思春期には、すでに心は破壊していたんだ。


すでに、生きる希望はなかった。


毎日地獄の中にいる人間の気持ちは地獄を味わった人間にしかわからない。


幼い頃は、家庭が社会と同じ。

信じる人は親しかいなかった。

世の中に逃げ場のないことと、

絶望と、

その場所で生きていくしかないって事を、

身をもって、私と兄に、両親はよく教えてくれたんだよね。

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