「好きなことをやるのになぜか罪悪感がある」→副業にして正当化しちゃえ/始動ものがたり②
ハンドメイド商品をメルカリで販売しはじめた者です。ブランドストーリーというほどではないですが、ここにたどり着くまでのアレコレを語らせてください・その2(自己紹介にかえて)
👻”好きなこと”に対するハードル
ものづくりが好きだということ自体に気づくのに40年ちかくかかりまして↓
好きなことがわかってよかった、さあ突き進むぞ!
めでたしめでた……し?
✋とはいえ、だよ
「好き」程度のレベルで、(生産ではなくて、芸術に近いほうの)ものづくりを仕事にするなんて、ひと昔前は現実的に考えられなかったものです。
私の身近な例をとっても、美術科の高校に進学した子は、絶望的に絵が上手かった。
彼女の作品はかならず入賞して、いろんなところに展示されるのだが、「上手な中学生の作品なかに1人プロのものが混じっている🏅」状態。
👧「私が一生かけて練習しても、中学生時点の彼女に到達できない」
と心の底から思ったのをよく覚えている。
そういう「誰もが認めざるを得ないほどの才能」をもつ人が美大や音大に行くものでした(それでも食べていけるかはまた別なのが芸術の難しいところ)。
~それから時は流れ、ネットショップが当たり前になり~
minnneやCreemaといったハンドメイド特化型のサービスも出て、ものを作って売ることは「特別な人」以外も、できるようになってきたけれど。
衝撃的に絵が上手かった彼女のことを思い出すたび、「まあ、いうても世界がちがうよな」と思い直してしまう。
👻「やってもムダ」の呪い👻
👧「1個や2個なら売れるかもだけど、継続的に売れるのはごくわずか、やっぱり特別な人よね、少なくとも美大出てるとか、それに準ずるレベルの人だよね。あるいは安価に大量生産できる人とか。
大したセンスもないくせに無駄に丁寧で時間をかけてしまう私には、どっちのスタイルも難しいわ~。
だったら、やっぱり趣味でいいか。自分のための服や小物を作って、それなりに満足、それで十分じゃん。」
結局、モノづくりとは関係のない仕事を細々とやり、定期的に
👧😫「うあーーーなんかつくりたいー、つくる時間がないー(文句タラタラ)」というのを数年続けました。
🌟「つくってもいい理由」が欲しいんだよ
そんなある日、私からぽろっと零れ落ちた言葉。
👧「毎日ちまちまでいいから、つくってもいい理由が欲しいんだよな」と。
「ん? つくってもいい理由? って、なによ?」と自分でハッとしました。
いやべつに、好きなだけつくったらいいのでは?
なんでいかんの?
と心の底をのぞいてみると
📝「なにかをつくること=遊び=勉強(仕事)をさぼっている」
という認識のようなのです。
だから、美術館や博物館に行っても、目の前の世界に没入できず、背中がうすら寒かったのか……。
👧「いいのかなー、わたし、のんきにこんなことしていて。
こんな時間あったらもっと仕事に役立つことやったほうがいいんじゃないかな」と。
なんとなく悪いことをしているような気にすらなる(※全然悪くない)。
せっかくお金払って観に行っているのに、もったいないですよね。
💡もし、”副業”だとしたら……「つくっていい」と思えるのでは?
👛好きなことの正当化👛
この「つくってはいけない感」とうまく付き合っていくにはどうしたらいいのか。
ごくわずかでも、利益が出るのであれば、それは仕事の一種ではあるので、「遊び」ではなくなるのではないか?
利益的に仕事とまで呼べないなら「副業」くらいは言ってもいいのでは?
「副業」でもまだハードルが高いなら「小銭稼ぎ」、いや、「おやつ代稼ぎ」ならなんとか。
仮に金銭的にトントンでも、もしつくったもので誰かを少しだけ幸せにできたのだとしたら、それってけっこうすごいことじゃない?
だって、自分的にも作るの楽しい(Win)、人様もいい買い物できたら気分いい(Win)→まさにビジネスでよく言われるwin-winじゃないか!!
(※まあ、材料費やらなにやら諸々かかるので、せめて赤字にはならないように気をつけねばならんが)
副業なら別に、時間の許す範囲でいくらでもやっていいよね?
美術館だって博物館だって、ある意味勉強のためなのだから、別に行ってもいいよね?
こうして「つくったものを売ってみる(売れるかは別として)」と決心がやっとついたのでした。
👟ここからがまだ長いのである
「売ってみる」と決めたはいいものの、考えることは山ほどある。
~つぎの記事につづく~