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辛かったことは、大事な1人に話せればじゅうぶん。
ブレネー・ブラウンさんのTEDの続編「恥について考えましょう」を見て、どうしても彼女の本が読みたくなった。
「本当の勇気は「弱さ」を認めること ブレネー・ブラウン (著), 門脇陽子 (翻訳)」
実はしばらく前に読み終わっていたのだけど、
噛み砕けるまでに少々時間がかかったのだ。
「「自立」とは「依存」先を増やすこと」「依存先は多いほうが良い」って本当?
大学時代、子ども支援や、虐待防止といった文脈で「「自立」とは「依存」先を増やすこと」「依存先は多いほうが良い」と学んだ覚えがある。
そしていつしか私は、「自律した人」=「依存先が多い」=「自己開示がたくさんの人にできる」と、どうやら勘違いしてしまっていたようだ。
ある日、自己開示が嫌になった
私の職場は、自分の家族のこと、どんなことを大切にして生きてきたのか、結構自己開示が多めの職場だ。
もともとは、相手が何を大切にしながら働いているのか知れたので、自己開示が好きな方だった、と思う。
しかしある日から、最近何をしたのかというプライベートや、自分の感情を、全体の場で表現することが、とても苦手になった。
きっかけは明確に覚えてはいないけれど、体力的にも気分的にもぐんっと落ちた時期からだったと思う。
秘密を打ち明けられるくらいの信用できる人は、1人でもいいんじゃないか
そんなときに、このブレネー・ブラウンさんの本を読んで、
たしかに、私はすべての読者や聴衆と信頼関係を築いているわけではない。だから何を話すか話さないかは、自分なりに境界線を引き、どういうつもりでそうするのか、いつも気をつけるようにしている。
目からウロコである。
もしかしたら、みんなはあたりまえにやっているのかも知れないけれど、私にとっては、自分の赤っ恥をかいた経験や傷ついた経験をみんなに共有できることこそが「正しいこと」だと思っていた。
でも、いいんだ。
みんなに、最近自分の気持を素直に表現できない、共有できないなあ、と思っていたけど、そのときの自分の気力や気持ちによって、打ち明ける人も人数も変わっていっていい。
本当に辛いときは信用できる人1人に話せればいいし、
克服できてから話し始めてもいいし、
人とつながりたい、誰かの役にたちたいと思ったときに、こっそり「私もそんな事あったよ」なんて伝えてみたり。
それで、じゅうぶん。
#熟成下書き #自立とは依存先が多いこと #とは