災害の話を自分事として考えた。被害を受けた人の話から学んだこと。
先日、テレビで3年前の西日本豪雨災害の特集を見た。私の住む都道府県は雨があまり降らない地域で、水害とは無縁だと思っている。そのため、今回、被害を受けた人たちの話を聞いていくつも考えさせられる話があったので、ここに書き留めておく。
ハザードマップは可能性の一部
被害を受けた方で「ハザードマップを見て、隣の地域は注意区域・危険区域だが、自分の地域はそうではなかったので安心していた」と言う人が居た。しかし、それに対して専門家は、そう思うのは仕方がないことではあるが、と前置きをしたうえで、
「ハザードマップは起こりうる災害の一部の危険性しか表していない」
と発言していた。私は、ハザードマップはもっと正確に被害の可能性を表していると思っていたので、これには衝撃だった。しかし、被害を受けた人の状況を考えると納得できる。
被害を受けた状況は、
大雨が降る→裏山の土砂に水が含まれる→土砂崩れが起こり巻き込まれた
というものだったが、『裏山の土砂に水が含まれる』については、どれだけの雨が降ったときに地盤が崩れるかまでのことを、日本の全地域(全ての山になっている部分)で把握するのは難しいことだろうなと思ったので、ハザードマップを作る側にも限界があるのだろうと思った。年々、精度が上がっていくもので、現在のものが完成版では無いのだろう。私のハザードマップを見る姿勢は大きく変わった。
「正常性バイアス」に対抗する「心配性バイアス」
「正常性バイアス」とは、「自分には悪いことが起こらないだろう」と思ってしまうことである。自分への被害については過小評価してしまう、ということだ。このせいで、災害が起きたときに逃げ遅れてしまうことがある、というのは知識として知っていたが、それに対応する方法をあまり知らなかったことに気付いた。
テレビで紹介されていた例は、お年寄りに「万が一のときは逃げましょう」という話をしても「わかった、わかった」と口だけになってしまう場合がある。そこで、「あなたが逃げなければ、お子さんやお孫さんも逃げないという選択をするが、それで良いのか」と問いかけると、ハッとした顔になり、自分事として考えるようになる、というものだ。
自分への被害は過小評価してしまうが、他者への被害は過剰評価してしまうという心情を利用するのだ。自分自身への「正常性バイアス」は、他者への「心配性バイアス」で乗り越えようということだ。
率先避難者をつくることが大事
避難が遅れてしまった人の話で、「周囲の家の明かりが付いていて、みんなが避難してないのが分かったから自分も避難しなくていいと思った」というものがあった。周囲の意見や行動に同調してしまう現象だ。
その家族はその後、別の知り合いが既に避難したことを知り、自らも避難して難を逃れた。その例から、「率先避難者」を出すことが大事だと強調されていた。確かに、避難所に一番乗りするより、既に何人か避難している所に行く方が気持ち的には安心する気がする。率先して行動することは、自分だけでなく周囲に安心を与えるという意味でも重要なのだと知った。
「豪雨による心身の影響が今もある」人は61%
災害後の復興の話で、建物などの物理的な復興だけではなく、地域のつながりや心の回復が重要だという話があった。3年前の西日本豪雨災害によって、自身は後遺症が残る大怪我をし、同居家族は亡くなってしまった人の話が取り上げられたのだが、その人は「3年経って、やっと話せるようになった」そうだ。また、「豪雨による心身の影響が今もある」人は61%に上るというアンケート結果もある。
災害はいつ起こるか分からない。話に出てきた人たちの傷が癒えない間に再度起こるかもしれない。自分もいつ被害に遭うか分からない。そのような状況の中で、助け合える地域をつくっていけるのか、自分は今は全く地域に参加していないが、それまでにそこに参加できるのか、いろいろと自分事として考えていた。