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クリスチャン・ボルタンスキー展のはなし

お盆真っ只中、国立新美術館で催されているクリスチャン・ボルタンスキー『Lifetime』展へ行ってきました。

この人のことは全く知らなかったのだけど、アートに造詣のある信頼している先輩が大阪での展示が面白かった!と言っているのを聞いて、これはぜひ行ってみよう!と思い足を運んだ。

死を無機質に表現していくというか、個を平均化するというか、そういうタイプのインスタレーションがいっぱいだった。
かなり贅沢に空間を使って、鑑賞者を徐々に生死の境に導いていくような動線で、それもとても面白かった。
うーん。上手く言語化するのが難しいなあ。月並みな言葉になるけれど、そこにはまさに「メメント・モリ」の世界が広がっていた(と私は思った)。

会場の外にボルタンスキーの今回の展覧会に関するインタビュー映像があってそれを見ると、ある程度、作品をどうやって見たら良いかの指針をもらえるので、展示を見終わったあとに自分の楽しみ方との違いを確かめてみるのもいいかもしれない。


モニュメントというシリーズの作品とプリーム祭というシリーズの作品群について

どちらも同じ空間で他の場所に比べ比較的、室内の照明が明るい場所で展示されていた。
モニュメントシリーズは子供のモノクロ写真をフレーム入れて、電球で照らしているもの。プリーム祭のシリーズは同じように人のモノクロ写真を電球で照らしブリキのビスケット缶とともに飾られている。ビスケット缶は骨壺(あるいは棺)を想起させホロコーストとも間接的に結び付けられる作品(らしい、そう書いてあった)。
たしかに、これらの作品は遺影のような雰囲気がある。写真にうつる人は笑っていたり、無表情だったり様々な表情をしているけれど、みんな今はもうここにはいない。誰ももう息をしていない。圧倒的な死の香りをそこら中に漂わせていた。だからそれらに囲まれると、たとえ広い空間であっても息が詰まる感じがあった。私は写真の中の人を誰一人として知らないけれど、それぞれの人に自分と変わらない日常=生があったのだと思わざるにはいられない、そんな感じ。それはどこか居心地が悪いような責められているような気持ちにもなる。

死が甘美な香りを纏い、人を不安にさせたり惹きつけたりするのは、人は必ず死を迎えるのに、死とは何かを生きている間に知ることは出来ないからだろう。

一番好きだったヴェロニカという作品

キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘に行く途中、聖ヴェロニカがキリストを憐れみ、自身のヴェールでキリストの顔をぬぐい、それが彼女のヴェールに写ったというお話がある。ボルタンスキーがその伝承を再解釈し、キリストのイメージを半透明の布を通して見える女性の姿に置き換えた作品。

作品は四つあって、それぞれ半透明の布に、女性の顔(姿)がぼんやりと写っている。言い伝えではヴェールに写し出されたのはキリストの顔だけれど、ヴェールを差し出したヴェロニカ=女性の顔に焦点を当てることでキリストを間接的に浮かび上がらせているようだった。女性の姿はとても優しい感じで、見ていて吸い込まれてしまう。怖い、という感情ではなく、見守られているような安心感があった。
キリスト教は別に偶像崇拝を禁じてはいないけれど、キリストを直接描かずに周りを象ることで、より一層その神聖を増して表現しているように感じた。

展示全体がどこかコワイ感じのする中で、私が唯一ホッと心が休まった作品だったからこれが一番好き!

ボルタンスキーの語る展覧会とは

インタビュー映像から印象的だったのは、『展覧会(美術館)は教会のようなもの』という言葉。(ボルタンスキー自身は信仰はないらしいけれど)教会は常に開かれていて、別にクリスチャンでなくとも誰でも迎え入れてくれる場所。そこは人が自分を鑑みる場所でもある。そして5分や10分経ち、教会の外へ出ればまた日常へ没入していく。それが展覧会(美術館)と似ているという。確かに、と思った。私たちは芸術を目にする為にそこへ足を踏み入れ、作品と対峙する。その時に(家の鍵を掛けてきたっけ?)(明日のお昼ご飯は何にしよう?)という考えを抱ける余裕のある人はきっと稀有だ。作品と向き合う、特にインスタレーションアートは自分自身もその作品の一部となるから、否応なしに目の前のアートと向き合わざるを得ない。それは静かに考えに耽ることで、いざ展覧会(美術館)を出てしまえばその高揚感は徐々に薄らいでいく。そうして日常生活(今夜はカレーにしようかな)へと戻っていく。

ボルタンスキーは教会と称したけれど、日本人だったら神社やお寺でも同義だろう。モスクでも同じことがいえると思う。

祈りの場所は信仰を持たぬ人にも開かれていて、人はそこでごく自然的に内省を行う。
アートも誰にでも開かれていて、誰にでも作品と向き合う権利がある。美術館とはそういう場所なんだ、とスッと心に入ってきた。

あいちトリエンナーレの表現の不自由展でアートとは何か、人々はアートとどう向き合うことが必要かが問われているタイミングでボルタンスキーのこの考えは何かヒントを与えてくれるかもしれない。

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とっても面白かったし、会場はかなり冷房が効いているので、暑い夏にはオススメです。
9/2までなので気になった人はぜひ行ってみてね!ちなみに国立新美術館は他の美術館と違って火曜休みだから要注意だよ☆

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武中ゆいか
サポート…!本当にありがとうございます! うれしいです。心から。