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心を受け取ると書いて愛と読む
子育てをしていて私が痛いほど学んだことは、
「愛するだけではなく、愛されるのにも器が必要」
ということ。
特にわたしの子供達が小さい時には「ママじゃなきゃダメ」という時期が長く、子供達のオデコに「ママ命24時」と書いてあるのが透けてみるくらいわたしのことを愛してくれていました。
当の私は、周りの友達の中では割と早いうちに母親になったので、育児のことで相談する相手もおらず、海外での子育てということもあって、子供と私だけという結構閉鎖的な子育てをしていました。
夫も手を貸そうとしてくれましたが、とにかく私でないとダメだったのです。2人とも。
子供達のことは大好き!
だけど、、、正直、いっぱいいっぱいでした。
「少し離れて欲しい。自分の時間が欲しい。そんなに私を求めないで」
という本心が顔を出しては消え。
だったらもっと外部のサポートに頼るとか、子供が泣こうが何しようがベビーシッターに預けたりしてやりくりすればよかったのだけれど、子供と離れることも不安でそれもできない、という出口のないサークルの中でぐるぐる彷徨い。なんとか息継ぎをしながらやり過ごす5年間でした。
その時に「愛される」というのはもっと簡単なことだと思っていたのに、私には愛される器も足りないんだ。と痛感し凹む日々でした。
それからさらに5年経ち、子供も12歳と10歳になりました。
今では愛する器も、愛される器も少しずつ育ってきたなあ〜と実感します。
愛したり、愛されたり。
経験と訓練が必要なことなのですね。
今となっては、
「愛したり、愛されたり、いきなりできなくても年月をかけて育てていくものだから、大丈夫だよ!たくさんの経験を一緒にしていくからこそ強くなるんだよ。子供達もちゃーんと育つから、大丈夫だよ!」
当時の私に声をかけてあげたかったな。
と、インスタの方でそんな投稿をしたら、フォロワーさんが教えてくれました。
「そうですね!心を受け取る、と書いて愛ですものね」
って。
その言葉がすごく沁みて。
巷に溢れている「愛」という言葉が薄っぺらく聞こえる時がある。
でも、「子供達の心を受け取ることが愛」と捉えると、その言葉は私にしかわからないほど深く、広く、水面に永遠に広がっていく波紋のように心に響きます。
そして、時間をかけて「愛し、愛される」ことができた時、そこに生まれるのは「余裕」と「信頼」であることにも気がつけました。
とはいえうちの子供はこれから思春期に差し掛かり、今はまだ見えない荒れた景色の中で愛を試されることも出てくるのかもしれません。
とりあえず、思春期が始まる前の素直でかわいい時期。
子育ての1つの区切りとしてこの穏やかな時期を楽しみたいと思います。
この時期に、私の「愛の器」をもう広げる準備もしていけるといいな。
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