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Raincouver 〜December〜
今年の冬は寒い。
ラ・ニーニャといえども当たり年とそうでない年がある。
今年は当たりだ。
去年のラ・ニーニャは、確かに雨の量がいつもより多かった気がするが、雪が降ったのは2回かそこらで、あとはずっと雨だった。
つまりその程度の寒さだったということ。
けれど、今年のラ・ニーニャは、まだ12月だというのに、5、6年前の大雪と寒波を彷彿させる飛ばしっぷりだ。
今日の最低気温は氷点下20度だそうだが、午後7時現在で、すでに氷点下16度まで気温が下がっている。
この数年の穏やかな冬にかまけて、気温が氷点下10度を下回りそうな夜は、蛇口を少しだけひねり、水を出しっぱなしにしなければならないことをすっかり忘れていた。
おかげで、夜のうちに、ベースメントの洗面所から水が出なくなってしまった。家の他の場所から水が出るのだから、凍ったのはメインの水道管ではないことはわかっている。かといってどの部分が凍っているのかを特定できずにいる。このまま破裂に繋がらないといいのだが。
そんな風に、寒波だなんだと騒いでいるうちに、年の瀬はすぐそこまできている。最近、年の瀬は複雑な思いに駆られるようになった。
思い返せば、日本の年末年始に帰国できたのは10年も前になる。
そのもっと前からカナダにいる身としては、今の日本の正月がどんなものであるのか、自分が日本で暮らしていた時と変わっていないのか、それすらもわからない。まあ、正月はすでにクリスマスに置き換わってしまったが。
むしろ、クリスマスやサンクスギビングといった家族行事のたびに、親兄弟親戚一同が離れていることで、身内ならではの煩わしさもなく、余分な手間や準備もいらない気楽な身分に長いことありがたさを感じていたくらいだ。
こちらは友人家族と集うだけの気楽な会だ。
しかし、ここ数年は、カナディアンの友人が、当たり前のように親兄弟や親戚と集うのを見ていると、心の奥がツンと冷たく、痛くなることが増えた。
友人たちと集う時間は楽しいものだ。
だが、やはり親戚家族で集う正月のあの雰囲気には遠く及ばない。
娘と息子が、親戚や祖父母との交流もなくこのまま育つのかと思うと、子どもたちに対しても申し訳なくも思う。
年老いていく親を思うと、死ぬまであと何回会えるだろうかと考えてしまうのは当然のことだろう。
だからと言って、帰国したいわけではないのだが。
というか、家も仕事もカナダで育つ子供達の暮らしの土台はこちらにある。自分の心変わりで帰国をすることなどもはや不可能だ。
話をクリスマスに戻す。
カナダは移民の国だから、自分と同じように妻や子供と友人家族だけで過ごす連中も多いはずだ。そう、自分だけではない。
感傷的になるのはよそう。
なにより、これは移民一世の宿命。
日本に生まれ、育った自分が、カナダという土地に種が撒き、小さな芽を出した。
大きな流れでみたら、自分の使命はここまでで、あとは息子や娘たちが、この芽を育ててくれるのだろう。
息子や娘、さらにその子供達が育つ頃には、我が家のクリスマスも賑やかなものになっているだろうか。
そんな風景を思い描けば、今までの自分の生きてきた軌跡が意味のあることとして、肯定できる気がしてくる。
今年はホワイト・クリスマスになりそうだ。
つづく
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Raincouver 〜November〜
Suncouver 〜December〜
Suncouver 〜January〜
Raincouver 〜February〜
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カナダで暮らして20年。たくさんの人達と出会い、永住する人、帰国する人、そのあいだの葛藤と希望を見てきました。
「永住するってどういうこと?」をテーマに、オムニバス形式でフィクションを綴っていこうと思っています☺
#創作大賞2022
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