戻り鰹ってこんな感じ?
7年前ビックカメラの派遣帰り、クソだせえリクルートスーツ姿の私を当時doubleで働いていたEちゃんがモデハンした。(モデハン=モデルハント。主に美容室の人が街中でするスカウト。)
女優を目指して上京したはいいものの、最初の1年間は金ばかりかかる胡散臭い演技レッスンに通ったり出演するのにお金のかかる映画のオーディションを受けたり(簡単に言うとワークショップ映画だけどこの時は50万請求されそうになった。)ヤリたい目的の自称音楽プロデューサーに騙されたりと、まあまあ最悪な一年だったと言える。どうにもこうにも女優になるという夢に近づけずにいた時、
渋谷の
あの山手線と銀座線と井の頭線利用者のぶつかるあの階段
東急のシャネルとかポール&ジョーとかボビーブラウンとか入ってる建物の外、階段の踊り場みたいなところで
終電間際くらいの時間に
Eちゃんが私に初めて声をかけてくれた。
モデルをしてくださいと。
この時全てがうまくいかず藁にもすがる思いだった私は、Eちゃん以上に積極的に、自分をモデルにすべしと、かなりがっついた。Eちゃんはきっと私のことやべえやつだと思っただろう。だって大体のモデルはこういうとき、みんながみんな、やや迷惑そうにするものだ。
かたやわたし、自ら実名フルネームを名乗り電話番号を登録させ過去の自分のイケてる写真を送りまくり、で、いつ撮影しますか?とまでその場で迫った。
すぐに撮影の日は決まって、「仕込み」によばれて(当日すぐ撮影できるように前もって髪を切ったり染めたりパーマしたりする。タダで可愛くしてもらえるラッキー)
Eちゃんと私は多分年はほぼ一緒で、Eちゃんはdouble(この時はまだHEARTSだった)に入って数年目のアシスタントだった。新人で、店長の直属のアシスタントを務めているんだってことを嬉しそうに話してくれた。私も嬉しかったよ。Eちゃん。
数年ぶりに前髪をガサッと切って髪をグルングリンに巻いてもらいひろーい公園で撮影して3000円もらった。
これがたぶん、東京で初めてもらった「ギャランティ」
23歳のとき。
それからも私はEちゃんに呼ばれてメイクの練習台になったりとか作品撮り一緒にしたり、していた。でもなんとな〜く、感じていたのは、他のモデルに比べて、わたし、そんな重要度の高いモデルじゃないなってこと。美容室モデルの中にもたぶんランクがあって本物のモデル、モデルの卵、ハーフ、顔の綺麗なおしゃれ学生・手を入れればモデルにできなくはない、レベルの人、、たぶんわたしは最下層のモデルだった。スタイリストお気に入りのモデルだと雑誌のモデルに呼んで貰えたりヘアショーに連れてって貰えたりする。けれどまだアシスタントだったEちゃんのモデルだった私は、雑誌のモデルに呼ばれることはなかった。
(色々はしょって)
それから7年後の先日、表参道を歩いていた私はまたdoubleにモデハンされた。声をかけてくれた方に聞いてみたら、残念ながらEちゃんはもう辞めていた。
最近は事務所のお仕事との兼ね合いでスケジュール合わせるのが難しくなって、美容室のお仕事ができなくなってきていて、でもまあ今はどうせ髪切れないし、モデルは出来ないだろうけど挨拶だけでも、あの店長いるかなあ、とかヘラヘラした気持ちでお店について行きましたところ
あれよあれよという間にフィッティング(ちょっとこれ着てみてもらっていいですか?)・へアセット(ちょっとこの羽つけてみてもいい?)され、なんか回る台に乗せられ(ちょっとその丸いやつに乗ってみて貰えますか?)、ライトを当てられ風が吹いて来て写真を撮られその夜には髪を全く切らない・カラーもしないならヘアショー出れるよというこちらから出したふざけた条件でOKなので、今度の火曜日ヘアショーでモデルやってくれ、と
まじかよ、double
私31歳だけどいいの?
てか、今なの?
23歳で自分はヘアショーに出られるレベルのモデルじゃないって拗ねていたおゆいに教えてあげたい。おまえ、31歳でdoubleにまたスカウトされるよって。多分信じないだろうけど。
…しかし果たしてヘアショーなのに髪を一切きらないというのは本当にOKなんだろうか。たぶんこれは大問題である。
後から知らされたんだけど私の立ち位置、トリのセンター
担当は、7年前の店長だった、
Eちゃんがアシスタントについていた、あのボス。
7年ぶりに帰ってきた私は、それにふさわしい者になっていたのか。
23歳の私は、若いうちにとか、今しかないとあせっていたけど
私は絶対7年前より可愛い。
7年の間に、私は多分、もっと女優になった。演技をたくさんして、オーディションで圧倒的な人を目の当たりにして、撮影現場で誰もが知ってる俳優さんと対等に台詞を交わして来た。それは多分、顔面に出るのだ。
それから、他の美容室でもモデルを経験させてもらえた事で、おしゃれを吸収して、自分の得意な方向性に気づかせて貰えた。コンプレックスだった顔もパーツをいつも褒めて貰えたことで、それをポジティブな武器として扱えるようになった。
そして31歳にして初めて、doubleでヘアショーのモデルになった。
嬉しかったのです。ありがとうございました。
では皆さま、また7年後に。
あなたのおかげで生きているのかもしれません。