貴女は充分すぎるくらい私に見返りのない愛を残している
指輪に願いを込めるのは、紀元前からの人の願いだ
大学生になってから、指輪を手にする事が増えた。誕生日や頑張った仕事の後、自分へのご褒美に買ったり、買ってもらったり。
嵌めるのは必ずK10以上。嵌めっぱなしでも褪せないように。面倒くさがりの自分でも、つけていられるように。
つけるのはいつも、右の中指と左の親指、そして小指。それ以外はつけない。薬指につけられるサイズは買いもしない。
中指にリーフ型の指輪を着けた。間には小さなダイヤモンドが輝く。
重ねるように薄紫の石が輝く指輪をつけた。何だかしっくりこなくて、それを左手の親指につけた。
長方形の紫がかったオパールがついた細身のリングを、右中指に重ねた。
目を奪われたのはリーフの形だった。そこに着いた楕円形の小さなルビーは、ショーウィンドウの中でわずかな青を映していた。隣に並べられた指輪の石の方が赤かった。それでも、青みがかった紅に、運命を感じた。
左手の小指につけて、何となく、紅い糸のつもりで運命を信じてみた。数日後、新しい物語が思いついた。運命を自らの手で選ぶ恋物語だ。
最初こそ、シンプルで長く使えるようなものをと思っていたのに、私の目は色彩に適わない。透明な光を乱反射するダイヤモンドにすら、色を見た。白は200色あるってアンミカも言ってたけど、何となく分かってしまうくらい。
ある種の、願いだった。
指輪はつける位置で意味が変わるらしい。
初めて手に入れた指輪はサマンサタバサのパールで作られた花がついた指輪だった。けれど、それはもうつける事が無くなった。薬指には大きくて、中指にはジャストすぎたからだ。
結局私の指を彩るのはagateのものである。(ブランド)
話を戻そう。指輪はつける位置で意味が変わるらしい。
人々は古来から願いを込めて指輪を身に着けた。ある時は勝利を願い、ある時は平和を、力を、愛を、希望を、未来を。願掛けのように肌身離さず、その指が切り離されるか朽ちるまで着け続けた。
目を離すと道に迷う時がある。というか、ずっと迷っている。これまで真っ直ぐ、これだ!と思えるような光を見た事がない。歩く道はいつも深海のようで、光は自らの心をすり減らし作り出してランタンに込めているようなものだ。
正解なんてないけれど、正しさもないけれど。
ただ歩んできた足が止まらないように、小さな願いを込めて自分の背を押すために指を彩った。
キラキラ輝いて乱反射する大きな宝石を集める趣味もないけれど、それを引き出しの中に閉じ込める思考も、持ち合わせてはいないけれど。
指に嵌めて願いと共に歩きたかった。
ここまで言っといてなんだが、冬の訪れの影響で私の指からは指輪がいなくなった。もふもふに包まれる季節にデザイン性のある指輪は引っ掛かる。そしてもふもふを傷つけていくのだ。あまりに事故が多すぎて最近は外している。だから、シンプルなものを選べってあれほど。
まあ、シンプルなものをおとなしく着けるような人間でもないけど。
願いを込めるといつかそれは人の手を離れ、言葉になり、逸話となっていく。願いは希望も絶望も呼ぶ。時には、世界を変える事だってある。名もなきそれが、存在意義を手に入れる瞬間だってある。
そんな事を、ロードオブザリングを見て思い出した。
ああ、私の脳のどこかで指輪は特別なものだという思考がずっと生き続けていたのだと。幼い頃に見た映画から、意味を感じ取っていたのだと。幸せの象徴としてつける左薬指ではなく、願いの意味を知っていたのだ。
指輪にピアス、ネックレスにブレスレット時計、一つつける度に私はMPが上がった気がするのだ。今、最高の自分でいれるための手助けをしてくれるもの。自らが選んだ、変えの利かないもの。
ロードオブザリングにて、指輪になった理由はしっかり明記されているけれど、もし出来たなら。個人的には指輪よりもネックレスの方がいいんじゃないかと思ったりする。だって指は戦いで跳ぶぜ?握った剣が手ごと消えるなんて、戦いの中では有り触れた話だ。
そしたら首の方がいい。だってもし、落ちる時が来たらそれは死を意味するから。
なんて、物騒な事を考えた。
指輪でも何でもいいけど、思い入れのある物を持っている人はいるだろうか。
子供の頃から共に寝たぬいぐるみでも、形見でも、自分で買ったものでも、何でも構わない。
どれか一つと言われた時、これだと言えるものはあるだろうか。
例えば明日、世界が終わるとして。
それか明日、この世界から旅立つとして。
何か一つだけ物を持っていけます。
命は連れて行けません。
物質だけです。
死体も無理です。
この身体と、もう一つだけ。
そしたら何を持っていきますか?
問われたとする。
私が選ぶ物はもう決まっていて、むしろそれ以外の選択肢がなくて。ありがたいのか呪いとなるのか、分からないほどである。
もし、明日この世界から旅立つとしたら。
私は一つのネックレスを持っていく。
ずっと、この首を飾り続けるネックレスを持っていくだろう。
勿論、私的には指輪の方が好きだ。デザイン性のある指輪最高。可愛いし気分上がるし、願いも込められる。私だけの物だ。
それでも、私は今もつけっぱなしで滅多な事が無い限り外さないこのネックレスを選ぶだろう。そしてこう言うだろう。
「別にどこに連れて行かれてもいいけど、私が自らの意志で外さない限りはこれを首につけたままにして。死んでも、そのままで」
20歳になる少し前の、5月か6月くらいの事だった。
その日は大学がなくて、母と二人赤坂の方面まで足を伸ばしていた。私は珍しい事もあるものだと思った。彼女は自ら人の多い場所に行きたいというタイプではない。笑っちゃうくらい、私もそうだけど。
父と二人で遠出するならまだしも、美術館でもないのに行くなんてと私は思っていた。けれど、彼女の口から出た言葉を、行動を私は忘れないだろうと思った。その頃はまだ、作家になるなんて思ってもみなかったからネタにしようとは考えなかったけど。
「君が20歳になるから、あげたいなと思ってた」
連れて行かれたのはジュエリーをリフォームする所だった。思い入れのある宝飾を、新たな形で生まれ変わらせる場所。
母はそこで、三つのジュエリーを作った。
弟か兄にはハワイに行った時どちらかが取った(記憶が曖昧である)、大きな真珠をネックレスにして、いつか彼に奥さんが出来た時、使わなくてもいいから受け取ってもらえたらと。
もう一つが何かの石だったはずだ。全然思い出せない。
とりあえず彼女は、三兄妹に平等に一つずつ、自分の持っている宝石や宝飾でジュエリーを作り出した。
そして、一番大事なものが私の首につけられた。
チェーンと台座はプラチナ、錆びる事も褪せる事もない純銀の輝きだ。
流動線を描く台座が挟むのはダイヤモンド。間違いなく、今の自分が持っている宝石の中で一番大きなダイヤモンド。輝きは他の何よりも眩しくて、光が暗闇でも届くほどに反射する。
ブリリアントカット。カラット数は分からないが、ちっとも浪漫のない言葉で表すなら、シャープペンシルに刺さった消しゴムより、二回りほど大きい。とてつもなく浪漫のないサイズ感である。
母の、婚約指輪だった。
二十数年前、永遠を誓うための指輪は今よりも固定概念の塊で出来ていた。プラチナに大きなダイヤモンド。どこかの誰かが言い出した給料の三か月分。ちなみに、この給料三か月分ほどを去年くらいに兄がやったらしい。相変わらず、テンプレ男である。
とにかく、褪せる事も錆びる事も許されなかったのだ。金属の中で唯一、プラチナだけがそれを叶えられるから。宝石の中で唯一無二の硬度を持ち汚れを知らないのはダイヤモンドだけだから。
二十数年前に送られたそれは、何故だか私の手元にやって来た。
母は言った。
「もう着けられないから」
デザインはシンプルだったと思う。ただ年齢を上がっていけばサイズも変わる。いつから着けられなかったのだろうか。結婚してすぐに子育てに翻弄していた彼女の指にいつもついていたのは、何の石もない結婚指輪だけだった。石が付いていては子供が怪我をするかもしれないから。彼女らしい選択だった。
それでも、取っておきたい物ではないのだろうかと問うた。例え嵌められなくなっても、今日まで変わらず大事に残されていたものだ。輝きを失わず生き続けたのだ。
こんな事言ってはなんだけど、例え愛情が冷めていたとしても中々手放す事は出来ないような代物だろう。(これは多分、全世界共通で言えるかも)
けれど彼女はこう言った。
「大事だから形を変えても持っていて欲しいの」
続けて彼女はこうも言った。
早くに結婚して(二十代前半)そこからずっと専業主婦で。子育てに翻弄され日々を駆け抜けてきた。同い年の友人はいないし、自ら稼ぐ力も無くなって、子供たちのために残せるようなものは少ない。
ジュエリーも、バッグも、ブランドものだってあるけれど、自分が死んだ時大した金額になるわけでもない。残しておける大切なものを、あげたかった。
順当に行けば自分の方が先に死んで、君の方が後に死ぬでしょうと。
私は言う。順当に行けばねって。到底長生き出来るとは思えないので。
「娘だから、あげたかったんだよ」
他の二人は男だから、ジュエリーなんてつけないでしょう?形を変えて大切に持っていたとして、それを奥さんが使ってくれるかどうかも分からない。いつかの生活の足しに、なるかもしれない。
多分うちの兄妹に貴女から贈られた大切なものを手放す馬鹿はいないよと言った。例え生活が困窮したとしても、だ。
数年前から決めていて、君がもうすぐで20歳になるからと。
「デザインは君が選びな。だって使うでしょ」
ジュエリー好きでしょ?と、言われるがままに台座を選んだ。流動線がダイヤモンドを挟み込むような形のものだ。君らしいねと言われた。
チェーンは絶対にプラチナでと、母は言った。
一ヶ月後、手元にダイヤモンドのネックレスが届いた。
「使わなくてもいいよ。でも大事に持っていて。例えば君が結婚して、娘が出来たとして。その子がいつか大人になった時に欲しいと願ったら与えられるようなものだから」
それから、ネックレスは基本付けっぱなしだ。
大事に持っていてと言われた。二十数年前に贈られた大切なものだから、失くしたくなくて、取られたくもなくて。外せないように首に付けっぱなしにした。
今日も、首にはダイヤモンドが揺れて輝いている。
いつか、私が誰かと結婚する未来があったとして。子供が出来る未来があったとして。
このネックレスが欲しいとねだられた時に渡せるだろうか。いや、多分無理だな。死期を悟らない限り無理だ。悟っても、棺桶の中でこれ燃えますか?って聞くかもしれない。
貴女は、自分が子供たちに残せるものはほとんどないと言う。
そう思うだろう。ずっと、私たちのために走り続けてきたから。自分の事なんて捨てて、ずっと面倒を見てきたから。
でもさ、私はずっと凄いと思ってるのだ。
私は自分勝手だから、責任とかそういうものが嫌いだし、何より自由を愛するから例え同じ立場になったとしても、自分を捨ててまで奉仕する事は出来ないだろう。貴女と違って、一緒に歩くぜ相棒みたいな、そんな形で歩くだろう。
残せるものなんて何もないと言ったとしても。
沢山、残っているだろう。
それが形にならずとも、沢山、貰ってきたと理解しているから。
私の首を輝かせるこれが、貴女が残す唯一になったとしても充分すぎるだろう。
だってここに、全部詰まってるから。私が見た事もない始まりが詰まって、二十数年の時を経ても変わらず受け継がれているから。
だから、一つしか持っていけないと言われたら、私は間違いなくこれを選ぶよ。
もし誰かと結婚して同じように指輪を手に入れたとしても、きっとこれを持っていくよ。
愛は目に見えないものだと、どこかの詩人が言った。
だからこそ永遠を形にするために、何かに願いを込めて身につけるのだと。
私にとっての一番のお守りは、多分指輪でも何でもなく。このネックレスなのだろう。どこのブランドの指輪だったかも知らないし、聞く気もない。それでもいいお値段だったこれが、形を変え私と時を刻むのがどれだけの幸福なのか。そして、その選択をどれだけの人が取れるのか。
貴女は知らないだろう。
「いつか私が死んだ時、それが形見になるね」
彼女は笑う。形見なんて残せるとは思わなかったと。私は目を伏せた。貴女から与えられた無償の愛を、いつか誰かに渡せる事を願いながら。
「じゃあ私も形見にしよ」