人生はある種のファイナルファンタジーだ
足跡を残す
初めて見た最後の夢物語は小さな子供の頃。
日曜の昼間、PS2をつけ私と兄の邪魔を気にせず父が始めたその物語の中で、女の子たちが暴れまわっていた。楽しそうに、自由を謳歌していた。
美麗な映像は一瞬にして私の目を奪った。次に目を奪われたのは分厚い攻略本。辞書くらいのサイズだったそれを、父の手から奪い捲り続けた。
一枚開く度に夢が広がって、私は夢中になったのだ。
小さな子供の頃に見たそれは、確実に、私の人生を変えてしまった。
最後の夢物語ってなんて素晴らしいタイトルだろうか。この名前になった経緯はきっと色々あるけれど、名を冠したゲームだよなあと思う。
ファイナルファンタジー。一作一作で、誰かの人生が描かれ、誰かが死に、誰かが歩いていく。それは主人公も例外なく。
子供の頃に見たX-2の攻略本は、実家の私のベッドの下に隠されている。一体何年物だろうと調べたら2003年に発売されたらしい。おまけに3月。私がまだ、あの狭い家に住んでいた頃の記憶だ。
この年の末に弟が生まれ、翌年には小さな家から引っ越しているので、本当に最後の方の記憶なのだろう。
一人が運命に翻弄されながらも立って、誰かと共に、時には一人で進んでいく。先に待つのは決して、幸せな結末だけではない。終わる事が幸せにもなる最後だってあった。
子供ながらに、酷く感心したのを憶えている。
以来、私の人生の一部に、最後の夢物語が生き続けている。
最初はきっと、勝手な自己投影からだろう。主人公の名前と似ていたからとか、本当に、そんなくだらない事。
それでも世界に魅入られて、私にとってのゲームはファイナルファンタジーになった。
大きくなって自分でゲームをするようになって、沢山の作品に触れた。楽しい物語も、悲しい物語も、希望も絶望も、人が人として味わえる感情の総てが、物語の中に散りばめられていた。
同時に、決して経験出来ないような事も沢山。
物語の世界は生き生きしていた。生き生きしていると思っているのも、私たちがただ平和ボケしているだけかもしれないのだけれど。現に世界のどこかではまだ、争いが続いている。
傷ついて悲しんで、戻れない時を嘆き、痛みに耐えられず憎み、何度も何度も傷つけ合う。平和なんてこの世界には訪れないのかもしれない。人が、人である限り。
それでも歩き出せるのが人なのだと、私は何度でも思うのだ。
思い出に浸る事が出来るのも、悲しみに暮れる事が出来るのも、全部、生きている人間の特権で。
今を変えるのも、失ったものを手に入れるのも、どんな奇跡も生きている人間にしか起こせないのだと、私は知っている。
物語の中の世界に突き動かされて歩き出すことが出来るのも、生きている軌跡を形に残せるのも。全部、全部、今があるからだ。
私が書き始めた理由の一つに、いつか自分の物語が記録として何かに残ればいいなと思った。
どうしようもない私の、変哲のない人生の、たった一ページ。
それを鮮やかに、嘘をつくかのように虚構で纏った、私と誰かを救うための物語が、時を超え、古本屋の片隅で埃被った本のように、あの図書館で何十年も陽の目を浴びる事がなかった詩のように。
ささやかでもいい。どこかで。誰かが。
ちっぽけな歴史の一片を見つけてくれたなら。
私の足跡に、気づいてくれたなら。
それだけでいいと思って。
書き始めたのだ。
でもきっと、この考えも、幼い頃に見た夢物語に影響されているのだろうし、この先も私を作り上げていくのだろう。
ただ想像するだけでは何一つ報われない事。形にならない事。欲しい物を、手に入れられない事。手を届けば届くかもしれない事。届くためには、前に足を踏み出せなければならない事。
時折、忘れてしまう事を何度だって物語で思い出させられるのだ。
ああ、そうだ。皆の記憶に残らなくてもいいから。閃光のような輝きを手に入れなくともいいから。
ただ、残し続けた足跡を見て、私が笑えるように。
遠くの未来で、埃被ったそれが、誰かの目に届きますように。
今を生きている誰かの、救いになりますように。
私が物語で救われた分の人生を使って、微力ながらも誰かの人生を物語で救えますように。
三秒後を、数時間後を、明日を、夜明けを。
照らせるようなものでありますように。
いつか、そんな物語が書けますようにと。
5歳だった私は夢物語を見て、思ったのだ。
この世界に入りたいでも、プレイしたいでもなく。
いつか、こんな物語を作りたいと。
いつかは長いようで短い年月を経て少しずつ形になっていく。まだスタートラインに立ったばかりで、白線の先に一歩、踏み出したくらいのもので。
時には足を止めてその場でしゃがみ込み、重ねてきた時間は全て無意味だったと顔を覆い、振り返り足跡さえ見れなくなっても。それでもまた、立ち上がって震える足で一歩を踏み出す。
救いの手なんてどこにもなくて、光が差し込んでいるわけでもない。暗く、先の見えない道を、握りしめた小さな光だけで歩いていく。
すぐ後ろで私の声が聞こえる。
「歩くのを止めよう」
「もう何をしたって報われない」
「この先の未来には何もない」
「望んだ結末はどこにもない」
「待っていてくれる人はいない」
「ただ時間を無駄にして苦しむだけ」
「今ならまだ、引き返せるかもしれない」
「何も出来ない自分になって、有り触れた幸せで満足しよう」
「それを為して何になる」
「為せないくせに何をしている」
「君は選ばれた人間でも何でもない」
「平凡で、どうしようもなく惨めな
ただの人間だと」
涙を流しながら、もう止めようと言う私に、うるさいな黙ってろと返す。
「そんな事、もうとっくに分かってるんだ」
「この先が決して明るいものではないって知ってる」
「待ち受けているものが、決して喜びに満ち溢れていない事も」
「幸せになれないかもしれない事だって知ってる」
「今ならまだ、引き返せるかもしれないって事も」
「有り触れた幸せを手にして、適当に恋に溺れて、稼いでそれなりの暮らしをした方がいいって言われるのも分かる」
「でもさ」
私は前を向く。いつか見た険しい氷山の道が続いている。頂点は遥か向こう。けれど、そこには一筋の光が差し込んでいる。雲のすき間から顔を出した、まるで天国への階段のような光。
「きっといつになっても、私はここを歩いていたと思うよ」
「今までが護られていただけで」
「歩き始めたのは、もうずっと前からだよ」
「ここ数年で、険しくなっただけで」
「引き返せるかもしれないけど、しないでしょ?」
「だって私だよ?反骨精神の塊だよ?足止めても、戻る事なんてしないでしょ。そんなの負けたのと同じだよ」
「そう、自分に負けるのと同じ」
「一番悔しいじゃん。自分で歩き始めたのに、出来なかったから戻るのも、幸せになれないから整備された道に行くのも」
「嫌でしょ」
棒になった足に冷たい風が襲い掛かって何度も転んだ。涙さえも凍り付いてしまうほど、情けなくて仕方ない日があった。
「知ってる?月って綺麗なんだよ」
幼い頃の君は、星ばかり見ていたけれど。
「人類が立った事のある星だよ。地上から見て、一番大きな星」
クレーターすら視認できるほどの。
「いつか行けたらって思った」
「足を止めた時、部屋に差し込むその光に何度も救われた」
「もう無理だって叫んだ夜も、頭上には月が光り輝いてた」
「嬉しい事があった時も、変わらずそこにいた」
「地球が回ってる限り、月は形を変えてそこにいるんだよ」
「凄くない?」
「今でも、夢の中で月には届かないよ」
「足をつける事さえ出来ないよ」
「それでも、私があの場所に魅入られている限り進もうと思った」
「いつか、あの場所に骨を埋めるために」
「歴史を遺して行ったらさ、骨撒いてもいいよ?って言われそうじゃん」
笑った私の背で、もう一人の私は無理だと口にする。
「私もね、正直無理だとは思ってる」
「でもさ、この手の中に希望が一つでも残ってるなら諦めたくはない」
「私の物語は確かに誰かの人生を救ったんだよ」
「笑えるでしょ、私が辛くて救われたくて堪らなくて、それでも誰からも救われなかったから、手は一つも差し伸べられなかったから。物語に救いを求めて逃げた私が」
「同じ思いをしてほしくなくて、この手で届く限りは差し伸べようと思ったんだよ」
「それがいつか、自分の首を絞める事になろうとも」
「だって、一人の夜が辛い事を私は知ってる」
「ベッドの中で、このまま溶けて消えてしまえたらと思った事もある」
「今飛び出したら、帰らぬ人になれるかなって思った事」
「皆いなくなればいいと思った事」
「それ以上に、自分がいなくなればいいと思った事」
「でも、本当は助けて欲しかった事」
「誰でもいいから、話を聞いて欲しかった事」
「涙が、地面に落ちなければいいと思った」
「夜が、明けないままだと思ってた」
一生、この夜に閉じこもったまま消えてしまいたいと思った。
「でも違う」
「生きてる限り世界は続く。地球がある限り夜は明ける。愛する人がいなくなっても、日常は続いていく」
「毎日一生懸命生きるのって凄い疲れるじゃん」
「それが、理想を追い続けるなら尚更」
「理想だけを追い続けたいのに、生きるにはお金が必要だから働かなきゃだし。理想はすぐに形になってくれないし」
「口を開けば文句ばかりになった時だってあるよ」
「でもさ」
前を向いた。相変わらず、先は見えない。
「私が歩くって決めたの」
「私が書くって決めて、書く事から逃げても戻ってきて、理想を探すために、形にするために書いてるの」
「誰かを救えればいい。二度と、同じような気持ちを誰かに味わわせたくはない」
「辛い時、差し伸べてくれる手がなければ、空想に逃げてもいいんだって伝えたい」
「それでもいつかは、前を向かなきゃいけない事だって」
「でもね、それはあくまで理由の一つでしかなくて」
足を、一歩踏み出した。
「私がやりたいからやってるの」
いつ止まってもおかしくはない足取りでも。
「辛くても悲しくても、私はきっとここに辿り着く」
「報われなくても幸せになれなくても、普通じゃなくてもおかしいと言われて馬鹿にされても」
「私は私を救うために書いてるの」
口角が上がった。口にすれば酷く単純な欲で。
傲慢で強欲で、けれどシンプルな願い。
「だから、歩き続けるの。足を止めず、道中で出会えた人たちを大事にして、差し出された手を出来る限り取って」
「いつか、納得出来るまで」
そのいつかはいつ来るだろう。一生来ないかもしれない。もしかすると、明日来てしまうかもしれない。終わりなんて、皆分からない。
それでも歩こう。小さな子供の頃に見た、夢物語を胸に。
今日は、二度と巡ってこないのだから。
いつか振り返った時、私自身が笑えるといいななんて思いながら。
また一つ、美しい物語を読み終える。吸収して人生を豊かにしていく。
そしてまた。
一歩踏み出した。
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