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背負ってきた悲しみも苦しみも全部、僕だけのものだって知ってるから


詰まる所だが、


午前2時過ぎ、PCに向かい書き綴る日常だった。

窓の外から聞こえる音が静寂ではなく排気ガスを吐く鉄塊がアスファルトの上を走る音に変わったのは、成長か退化は分からなかった。鉄筋コンクリート造りの部屋は温度を奪っていく。

徐々に動きが鈍る指に鞭を打つようにキーボードの上を走らせる。軽快なワルツを踊れるようになるまで、何度も何度も繰り返し転んでは立ち上がり、ヒールの底がすり減っても踊り続けた結果、キーボード上のフロアダンスは一つも間違える事なく踊れるようになった。

蜂蜜入りの紅茶が冷めないようにタンブラーに入れて、ただ没頭する。書き綴る日常だった。


完璧主義と言われる部分がある。人一倍劣等感を感じやすいからか、いつまでも自分を売り出す事が出来ない自身の無さからか、始まりはきっと、小さな子供の頃にあったけれど、ただ一つの事に関して、完璧主義が過ぎる部分がある。

日常生活では別に起きない事だ。靴下を間違えたり、前後ろを間違えたまま服を着て一日気づかず帰ってきたり、三日坊主の筋トレ、ありとあらゆる頑張る事に対して頑張ろうとしない。仕方ないねと息を吐いて諦める。そうなるまで、沢山積み重ねてきたものが必ずしも報われるわけじゃないと気づいたからだ。

けれどただ一つ、書く事だけはそれに該当しない。

書き上げたのも束の間、すぐにここが駄目だったとか、どうしようもないと思う。その瞬間で最高の物を作り出す事を意識しているのに、私の最高は数秒単位で更新されてしまう。

多分、誰かが一日置いて作り変えるのと同じように、一時間置いて作り変えるのだろう。

どんな物語も書き上げたのち、もっと良く出来たはずだと嘆く。喜びは束の間だ。こっちの言い回しがいいとか、語尾が連続しているとか、語感が悪い、読み上げた時の語呂が良くない、もっと、もっと、もっと。そんな考えばかりが脳内を巡っていく。

そうして生み出された物語が世に出て誰かの手に届く。目が文字を追う度に、誰かが読めば読むほど私が書く事にかけた時間を更新されていく。言葉一つに魂が宿り、言葉一つに救いが生まれ、言葉一つに呪いを蝕む。


最高の物を、決められた期間内で、最大出力でかます。

これが、私の中で書く事に対する答えの一つだ。そこで生まれた物語に愛着が無いわけがなく、まるで我が子のように大事にされ愛される瞬間を見たいと願っている。


ただ、私の最高は誰かにとっての最高ではないと何度だって教えられた。

書けば書くほど、本が出れば出るほど、動かない現実が苦しかった。誰かは良い方だと言うかもしれない。でも私にとってこの状況が良いとは言い難かった。

好き勝手にやってる方だが、これでも売れるためにそれなりの条件の中で書いてるわけで。需要と供給をある程度読みながら書いてるわけで。本当に好き勝手やっているわけではなくて。それでもと足掻いて足掻いて作り上げた先に待ち受ける現実が、決して売れたと喜ばれるような結末でないのなら。


私は世の中に、いらないゴミを生み出しているのではないかと思った。


一冊作るのにもお金がかかる。一つの本は私だけで生み出しているのではない。沢山の人が関わっているわけだから、動かなかったりするのは私だけでなく他の人も責任を負うべきなのではと思うかもしれない。そう、考えられたら少しは楽になれただろう。

けれど私は、ただただ申し訳なさでいっぱいだった。

ゴーサインを貰った。一番よい物を書いた。沢山の人が関わってくれた。それなのに動かなかったら、私はその人たちに申し訳なくて申し訳なくて苦しかった。

何より、自分がこれ以上最高を駄作にしてしまうのが嫌だった。


明日生きてるだろうかと思うレベルで明日書いてるだろうかと思う。書かなくなったらもう全部辞めてやろう。書く仕事をせずに、PCも捨てて、データだって消してやろう。全く違う職種で、全く違う土地で、全部を捨てられないのなら死んでしまおう。

ただぼんやりと、そう遠くない終わりの瞬間を考える。


時に思うのが、人が死ぬ時は心が死ぬ時だという事だ。心が死んだ時、人はどんな事でも出来る。どんな終わり方も正常な判断すら出来ずに下してしまう。私にとっての終わりは、この世から消える物理的な死ではなく、心が死んだ瞬間だ。

それが、遠くない未来で息をしているのに気づいている。足音を忍ばせ近づいているのも、身を任せそうになるのも気づいている。書けば書くほど報われず、書けば書くほど失望し、書けば書くほど苦しくなって、胸にナイフを突きつける度胸さえなく真綿で首を絞められる。


動かない度に、ごめんなさいと思うのが嫌だった。最高が、最低に扱われるのを見るのも辛かった。そんな物語しか生み出せない自分に腹が立った。繰り返す自分に失望した。


辛いのだ。今も昔も、ずっと、片隅ではそれが息をして折れた時に襲ってくる。


新しい物語を、と言われる度、またゴミを増やすのかと思った。ゴミなんて言いたくない。ずっとずっと、大切で仕方ない宝物たちだ。それでもゴミみたいに扱われる姿に、本当に駄目なのは自分の方かと何十回だって思う。

誰が読みたい?誰が待ってる?きっと明日死んだら、一年後には忘れ去ってるよ。人ってそういうものだから。もしかしたら一過性の同情に流されて脚光を浴びるかもしれないよ。でも過ぎたら忘れていく。そんなものだ。

ただでさえない自信はバキバキに折られていく。それでも結局好きな事からは逃げられなくて、悲しみを飲み込んで、足元に散らばった折れた心を集めてはボンドでくっつけていく。

立ち止まって綴る事から逃げ終わりが来るのを背を丸めて待っていたら、後悔も失望もなかっただろうか。それでも深海の中で遠くに輝く光に手を伸ばすのは駄目だろうか。好きに書けって言われて、書く度に自分に失望しそれでも繰り返すのは、ただの馬鹿だよな。っていつも思う。


それでも這いつくばって歩き出そうとするのは、後悔も失望も悲しみも悔しさも全部、全部自分だけのものだからだ。心についた傷痕が他の誰かに癒せないように、それも含めて自分だからだ。


「ねぇ、何が書きたい?」

心の中で子供が問う。

「私は昔読んだ少年漫画みたいな話が書きたいなあ。それと、図書館でよく読んでたあの本!キラキラしててすごく好きだった!」

「それとね、幸せな恋のお話も書きたいよ。死んでお涙ちょうだい展開嫌いだもん、どうせ死ぬならちゃんと、悲しみ以外に何かを見つけられるような、意味のあるものにしたいよ」

「後ね、後ね、遠くの国のありえないお話!地図を書くの、貴方の脳内に沢山ある世界の地図を。書いて繋げて新しい物語を作るの」

「貴方がゴッホを好きなのは、あの黄色に狂気を見出したからだよ」

「他の人とは違う、キャンバスに自分を認めろっていう叫びと認められない悲しみや苦しみ、そしておかしくなってしまった人生を詰め込んでいるから好きなんだよ。ただ印象的だとか、綺麗だとか、そんな馬鹿みたいに軽い理由じゃない」


「いつかそうなる気がするって、分かってるからだよ」


そうだねと返した。確かにゴッホが好きなのは筆先一つ一つに、彼の魂が感じるからだ。苦しさと悲しさとどうしようもないくらい報われない人生の中で壊れてしまった心と、それでも描く事から逃げられず光を追い求め死んでいったから。

彼の背景も何も知らない時に見た星月夜が、泣いてるって思ったからだ。


だから報われて欲しくて同じように光に手を伸ばすのだ。同じにはなれないし、なりたくもないから。耳をそぎ落とす結末を選ぶなら、崖から落ちて消える選択をする。消えたくないから足掻くんだ。


ねぇ、何を書く?沢山あるんだ書きたい物。全部書き終えられないくらい。全部、表に出しても報われないようなものばかりだよ。守っては死んで、奪い合っては憎しみ合って、誰も幸せにならない話だってある。誰も、待ち望んでいないものばかりだ。

でも、もういいよ。

諦めてしまおう。仕事は仕事、求められたものを書け。それで報われないのなら、仕事だからと割り切れるくらい強くあれ。だから、もういいよ。好きな物語を書こう。誰に愛されるわけでもなく、求められるわけでもなく。ヘンリーダーガーみたいに、自分の芸術だけを見つめるような。


そんな終わり方にしようよ。

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優衣羽(Yuiha)
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