僕も君も、人間は足りない物ばかりで
多分きっとさ
彼岸花が咲いていた。気づいた時、そろそろ書けると思った。
毎年夏になるとバテる。いやバテというより色んな事が上手くいかなくなる。私はこれを、魔の期間、7月~9月と呼んでいる。
面白いくらい何をしても身にならず、何も叶わない期間である。何でそうなった?What?問いかけたいくらいには何も上手くいかない。さらに暑さが邪魔をして気分が下がる。そして創作意欲があるにも関わらず自己否定的になり書いても出さなくなる。
そう、負のループ期間なのだ。
もう四半世紀生きていると、それなりにどうすればいいのか理解する。一番いいのが自分の内面に対して書くような事を止める。エッセイとか、仕事としてやってきていない場合、趣味で続けているだけなのなら一旦止める。何故ならその期間、何を書いてもマイナス思考に陥り文章にもそれが現れるからである。
ついこの間、純文学は人の内面を容赦なく描写しても許される文学だと書かれているのを見た。
『昨今流行りの異世界転生物や悪役令嬢、青春恋愛物まで色んなジャンルがあるが、そのジャンルがウケるからそればかり書かされる。そうすると作者が本当に書きたい物と求められる物のギャップが生じ、本当の意味での創作意欲が削られていってしまう。いい意味でも悪い意味でも、求められた型にはまってしまう。』
『それがどれだけ苦しい事なのか、書き手側は知っている。書きたい物があればあるほど、マイルドな表現が求められ、誰かを攻撃するような文章は書けない。本当はどこよりも慟哭を上げられる場所が小説なのに』
なんて、話をしているのを見て妙にはまった。ああ、そっかとも思った。
そうだ、そういう事。言いたかったのは今、この人が言語化してくれた。
例え下手くそでも文章がどうしようもなくても、書きたい物と書ける物、求められる物はいつだって=にはならない。分かっていたけれどこのシーズンの私はそれに対して割り切る事も出来ず嘆きもがき書く気を失くしてベッドに倒れ込むだけの時間になるから、よりその言葉が刺さった。
まぁあれだ。ここ数ヶ月日常に対して綴る事をしなかったのはそういうシーズンだったからである。口を開ければ毒を吐きそうだから止めといたのだ。
私は自分が良く出来た人間でない事を知っている。勇者になんてなれるわけもなく、多くの人を救うために大切な人を犠牲にしなければならないなら、馬鹿みたいだと言って何もしないだろう。
言葉だってそうだ。誰かを救っているのを知っている。この文章が、誰かに届いているのを知っている。誰かの心に光を差し込ませているのを分かっている。でも実際、誰かのために書いているというより自分を救うために書いている……に近い。
夜、ベッドに寝転んだ時こう想像した事はないか?
明日世界が終わればいいのに。起きたら違う物語が始まっていればいいのに。ここにいる理由が出来れば。自分が自分じゃなくなったら。
大抵そんな事を思う日は寝転んだ状態で目を閉じる。そしてこう想像する。
このまま身体が全部溶けて、マットレスに肉が溶け堕ちどこかへ消え去り夜が明けたら私だった白骨だけが残されていないだろうか、と。
ちなみにこの想像を一年の三分の一くらいしていた時期がある。酷い時は半分。今は白骨化するくらいならそのままどっかに転生してくれと思う。跡形もなくなった方が綺麗かなと思うようになっただけだ。
まぁこんな事考えるくらいには明るい思考回路ではないのである。
さらに丁寧な口調を意識しているものの、元来の私は白ピクミンである。(母命名)
口を開けば毒を吐く。そんな人間なのだ。文章の節々から感じている人間もいるかもしれないが、口が悪いと言うより毒が強い。実家にいる弟から、「お姉ちゃんの毒が恋しい」と言われるくらいには毒を吐く。
ちなみに白ピクミンになったのは肌が白く細く、一見すると害が無さそうに見えて中身が毒塗れだかららしい。正解!
そんな感じなので魔の数ヶ月にエッセイなんて書いたら終わると思った。去年は結構我慢して綺麗な言葉を書く用に意識していたが今年は止めた。そんな事しても意味なんて無いと気づいたから。その我慢が仕事に繋がって、いい方向に向かうなら我慢するけれど何も繋がらないなら無理する必要はないのだ。ごーいんぐまいうぇいくらいがいいのである。
足りない物ばかりだと思う。物心ついた時からずっと思っている。周囲を見て、兄弟を見て、自分に圧倒的に足りない物ばかり気付かされた。性格だとか、そんなものじゃない。生まれながら圧倒的に足りない物ばかりだった。
それを埋めようと頑張った。でも埋まらなかった。コンクリートで穴を埋めようとしても何故か固まらずドロドロ溶けて地面に落ちていってしまう。そうやって指の隙間から零れた物ばかりだ。
今でも思っている。新しい知識を入れようとするのはきっと、足りないと思っているから。穴を埋めようとしているから。けれど少し変わったのは、もう何をしても埋まらなさそうな穴は諦めて別の穴を埋めるようにした事だろうか。
例えば理数系の勉学が絶望的に出来ない。上には上がいて、下には下がいるのは分かっているので胸を張って自分馬鹿です!と大々的に宣言するわけではないが、私にこの才能はない。
そのため幼少期から何とか普通に育てようと矯正されていたが、ものの見事に撃沈していた。出来ない事を繰り返しても自信が無くなっていくだけだった。おかげさまでこの件で擦り減った心は戻りそうにない。
最初から才能がないなら、ここで頑張るのはやめようと思った。だって埋めても埋めても埋まらないし。その分の時間が無駄だし。人生って気づいてないけど時間が決まっているようだし。
ならば興味のある事で埋めようとした。埋めて埋めて、きっといつまでも納得出来ないんだろうなと思いながら。知れば知るほど新たな文言が現れて、知識は留まる事が無いと知った。あれだけ勉強が嫌いだったくせにね。
それでも私は私の事を客観的に見て足りない物ばかりを求めている人間だと知っているから。これからも埋めようとするのだろう。周囲から見たら充分じゃない?と思われているのも知っているけれど、もうそれが癖みたいになっちゃったから。
つい先日の話をしよう。その日私は夜中にスマートフォンを見ていた。好きな漫画家さんの作品を読みながら眠る前のインターネットタイムを過ごしていた。
ら、何故か泣いた。
え、え、何で泣いた???んんん????
突然だが私はベッドで横たわっていると涙を流す事が高頻度である。これ何でだろと思っていたのだが、毎日コンタクトをしているから外した後の乾燥がダイレクトアタックでやってきてるのだと知った。やっぱりね、目はいい方が良いよ本当に。
が、これはその涙じゃない。ポロポロポロポロ、仰向けになったら涙が耳へ伝っていく。
最初の数十秒は困惑。けれど段々と理解してしまいぽつぽつと独り言を言い始めた。
私は高頻度で自分の人生に絶望している。それはもう笑っちゃうくらい。元気な時はそんな事気にしてもどうしようもないし、なるようにしかならんやんと言える。でもそうじゃない時もある。心の奥底、どうしようもないほど絶望している。
「私だって頑張ってるよ」
なんて口にして。頑張って頑張って書いてるよ。好きな事も、求められた作品だって書いてるよ。仕事にならなくても、世に出す事を繰り返してるよ。それで喜んでくれる人だっているんだから、回りまわって仕事になるようにって思いながら続けてるよ。
でも身にならないんだもん。努力って絶対に報われるわけじゃないし。仕事しながら作家活動しようってしても、毎日帰ってきて家事をして、ヘトヘトしてたら一日が終わっちゃうんだよ。終わる度にまた今日も書けなかったって自分の事が嫌いになるんだよ。
やらなきゃ何も始まらないって分かってるのに報われない世界が苦しくて向き合うのが辛いんだって、ずっとずっと思ってるよ。正直普通になりたかったよ。普通に恋愛に自己肯定感を満たすような、そんな人間でありたかったよ。
大した仕事じゃなくても毎日働いて、恋人もいて一喜一憂するような、そんな、平凡な日々に満足出来る人間でありたかったよ。
でもそうじゃないんだ。そうじゃないからこうなって、ここにいて、自分の無力さを嘆き泣いてるんだよ。手先は器用なくせに人間として不器用だから仕事に恋に作家活動になんて出来ないし。そりゃあ私だって帰ったら誰かいて、今日の出来事を話したり、ぺしょった時に何も言わなくてもいいから傍にいてくれる人が欲しいよ。
けれどそうじゃないからここにいるんだろ。
自問自答を繰り返し、こうあれば良かったと嘆いた。ポツリポツリ、鼻の奥が痛くなるほど吐き出して眠った。朝、目覚ましの音に瞼を開く。
何で私そんな泣いてた???
これもびっくりするんだけど、突然メンタルブレイクするくせに一瞬が終わるとなぜ??と冷静になっちゃうのである。だいぶやばいって分かってるんだけど自分が怖くなる。お前、何でそんなコロコロ変わる??
そんな日々を繰り返して思う。私は私の中で絶対的な精神支柱を作るべきだと。ていうか全ての人間がそういう支柱を作るべきだ。何でもいい。ただ他人に依存するものでない方が良い。恋人が支柱だった場合、別れたら折れてしまうので。
私の精神支柱が作家としての活動なのがまずいんだろう。正直それ以外で誇れるものがないから必然的に支柱になってしまうのだけれど、これは本当に良くない。不安定なものを柱にする馬鹿はおらん。
そんな感じで毎日振り幅の大きな日々を過ごしていた。最近ようやく落ち着いてきた。いつかの昔、友人と行った占いで何も言ってないのに
「貴女、7月、8月、9月の中旬くらいまでかな?何をしてもどうしようもないタイプの人間だから諦めなさい」
と言われたことが毎年この季節になると思い出してしまう。見てますか占い師さん。当たりです。あんまり信じない私ですが、こればっかりは認めざるを得ません。
いつか、納得出来る日が来るだろうか。生きてて良かったって、心から笑って言える幸福に巡り合えるだろうか。分からないけど希望を捨てるにはまだ早く、絶望に飲まれるには充分過ぎる時間を生きてきた。
だからきっと、こんな感じでも私は大丈夫なんだろうとたった一つの確信を抱き月を眺めていた。