一人ぼっちの送電塔がここではビルに埋もれていた
送電塔の周りに建てられたビル群が、何度見ても別の土地に来たのだと考えさせられた。
生まれは決して栄えていた町ではない。神奈川出身ですと言っても、神奈川は広いし、横浜出身ですと言っても高低差があるのは明白である。港区出身ですと言うわけじゃあるまいから、世界は意外にも狭かったりする。
隣町は田園で、いやちょっと嘘ついた。田んぼはなかった気がする。畑か?
話を戻そう。隣町は遠くの家まで見れるだけ高い建物が無かった。林と住宅街と畑。車の通らない広い道路。自分の住んでいる狭い世界が随分と栄えているように見えた。
隣町には図書館があって、子供の頃よく連れて行ってもらった。自転車に乗れるようになってからは一人で時折向かった。ちなみに、自転車に乗る理由を見出せなかった自分が乗れるようになったのは小学校四年生の頃である。それまでキックボードで遊びに行ってたのだが、何と悲しい事にキックボードで来る子は危なっかしくて遊ばせられないと一緒に遊んでいた子の親に言われたらしい。やばない?自転車もキックボードも、大差ないぜ?
相変わらず何歳でも何かと言われていたが、詰まる所言うと私はキックボードという存在が好きだったのだ。自転車に乗れないというよりは、キックボードが好きだったから自転車に乗る理由が無かった。
仕方なく自転車に乗り始めた。するとこれまた笑える話だが、当時遊んでいた子供たちとは遊ばなくなった。はて、何のために練習したのやら。結局自転車は私が一人で隣町に行くために重宝された。
子供の頃、一人で遊びに行くのを酷く嫌悪された。心配もあったのだろうが、幼い子供が一人で外に遊びに行くなんて、友達もいないなんてと思われていたと思う。友達はいたけれど同じ感性を持った人間はいなかった。それだけの話だ。
そんな子供は夏休みに入るとお昼過ぎから自転車に乗って隣町の図書館に時折足を運んだ。一人になるのが好きだった。けれど一人になると独りにされていった。多くの同級生から付き合いの悪いやつだと思われていただろう。気にしないけど。
学校とは反対の道に向かいペダルを蹴った。狭い住宅街を抜け広い大通りに出る。車通りが少なく、両端を畑に囲まれた道だった。長く緩やかな坂道が続き、視界にはアスファルトと緑、雲一つない青空に赤い送電塔が映った。
私はこの景色が大好きで、まるで世界の中心はここだと思えるくらい鮮やかな景色だった。燦燦と降り注ぐ太陽に額から汗が零れ落ちていく。暑さで溶けてしまいそうだった。それでもこの景色を見るために足を動かした。
送電塔は田舎町の中酷く目立っていた。赤く長い電線を垂らしただ一人ぼっちでそこにいる。仲間はいない。折り重なった柱が幾何学模様に見えて合間から覗く青空に鳥が飛んでいった。横目に眺めながら開いた口をそのままにただ漕ぐ。酷く、綺麗で寂しいと思った。
図書館に着きお目当ての本を物色した後借りる。小学生の私はいつも、同じ本を借りていた。入り口から直線、奥の棚の左から数個目だったか。タイトルは思い出せないが海外作家の児童文学で、ハードカバーほどの大きさ、主人公は星が爆発したような黄色のチリチリ毛の男の子で、主人公の住む村は彼以外の人間がいない。皆、ボトルや瓶の中をひっくり返した家に住んでいて、同じ集合体にいるのに変わった世界が私を酷く惹きつけた。
シリーズもので6巻ほどだっただろうか。その本はとても面白いのに何故か埃をかぶっていた。皆見る目がないな、この作者は君たちがゲームや空想の世界で望む世界を、一足先に文字にしているというのにと思っていたものだ。勿論、遠く離れた東の島国に翻訳され置かれるくらい素晴らしい作品だ。けれど、読み手は現れず古くなっていく。
私は、大好きだった。
大学生の時、同じように図書館の地下で埃被っている本を読んだ。ちなみに、そこは出るらしい。一ミリも感じなかったが、陰気な雰囲気が漂っていたその場所に人が訪れる事はほとんどなくて、私にとっては暇な時間の憩いの場だった。
そこで埃被ったソネットを見つけ一文を読んだ時、私はふと、あの本を思い出した。
人が息をし、目がものを見る限り、この詩は生き、君に命を与え続ける。要するに、我々が文字を読む限り、いくら埃被ろうと誰かが開く限り、物語は陽の目を浴びて命を与え続けるのだ。止まった時を再び動かすのだ。再公演のように。
帰り道、日が暮れ始めた世界を自転車で横切っていく。送電塔はやっぱり変わらず一人ぼっちで美しかった。下り坂で両足を広げスピードに身を任せ笑う。
一人ぼっちの世界が、酷く楽で苦しくなくて、美しかった。
そんな事をふと職場の階段の踊り場にある大きな窓から思い出した。下の階に何度も上り下りする中で陽が傾いていく。マジックアワーの時間になった時、ふと窓の向こう側に送電塔が見えた。
送電塔の周りにはビルが建ち並んでいてまるで埋もれているようだった。伸びる電線も見えない。鳥は隙間から覗かないし暮れる陽は見えない。星だって金星しか見えないし月は随分上に行ってしまった。
夜になるにつれ記憶の中、たった一人で輝いていた送電塔はここでは消えそうな輝きを放っている。周囲の建物が光り輝く。送電塔はあまり見えなかった。
ああ、遠くに来たんだなと感じた。距離じゃなく、心が。
いつかの私はまた、あの物語に出会えるだろうか。夏の平日の昼間に、もう一度自転車に乗って坂道を登れるだろうか。下り坂に両足を投げ出せるだろうか。
実家にはもう自転車なんてない。平日の昼間に休みなんてない。坂道をペダルで踏み抜くほどの体力は消えてしまった。下り坂に両足を投げ出せば当時より7、8cm大きくなった身体がコンクリートを擦るだろう。
遠くに来たんだと、戻れないんだと知ったのだ。