憧れの町で死ぬのが幸せか、それともこの部屋で生きていくか
いきがいとか
紅茶を一口含む度、オーブンから焼き立てのパンが顔を出す度、洋楽を聞き目を閉じる度、自分が過ごしたい日々はこんなものだったと自覚する。
スポットライトとか、派手なものは必要じゃない。貰えるなら貰っておくけれど。欲しいものはそんなんじゃない。
誰も知らない海町で、他愛もない日々を過ごしながらゆっくり生きるだけの生活だ。
青と白が支配する世界に、鮮やかなピンクの花が咲くあの海町の景色が、酷く目に焼き付いて離れないと同時に懐かしくも思うのはどこかで行った事があるのだろうか。
少なくともこの人生ではないけれど。
どうしたって昔から焦がれる風景なのだ。
真っ白な壁の家に広い窓と庭、ハンモックがゆらゆらと風になびいている。自転車で坂道を下り市場に行って買い物をし、他愛もない話をして家に帰り、オーブンでパンを焼いたり庭先の花を手入れしたり。
角の部屋で絵を描いて、油絵の具を重ねてみて。パソコンに向かい紅茶を飲みながら物語を綴ろう。
干したてのシーツにふかふかのベッドへダイブして、数時間のお昼寝をしよう。夜には輝く町を頼りに今日の出来事を記録し明日を知るために星を見るような、そんな一日の風景がずっと脳内を占めている。
果たしてこの人生で叶うかどうかは分からないが、いつかどこかでそんな場所に住んでいたのかと思うくらい鮮明に描けるのが不思議である。
と、思いながら最近の日々を思い返している。数ヶ月前までは国民の祝日の加護を受けていなかった。笑える話だが、高校生くらいの頃からクリスマスでも祝日でも休日でも、関係なしにバイトを入れていた。世の人たちが休むはずの日々を働いて過ごしていた。
それは社会に出ても変わらずに。
三連休なんて味わった事もないし(相当やばかった)有休をとらないと連休なんて作れなかった(これは多分場所の問題)、まあ二日以上続く休みをほとんどと言っていいほど取れなかったのだ。
だから九月に入って戦慄している。
そもそも毎週末二日も休みがある時点で万々歳なのだが、一日は家事を、一日は半分寝ているだけで終わる。人生って不思議なものである。
連休の度に何かしてみようかと考えるも、元々外に出るのが好きではなく、さらには先週も今週もタイフーンが来ているため雨の影響で外に出る気がよりなくなっている。いや、そもそも外にあんまり出ないんだけど。出ないんだけd
地響きのような雷鳴と荒れ狂う雨、雷が苦手な人は辛いだろうなと思いながらも、個人的に空が割れる瞬間を見るとテンションが上がるため可愛げのない性格だなあと思ったりする。
でも自然界の事象は神秘的だし、中々見る機会もないから少し楽しいよね。
学生時代雷が鳴る度に怖いと言っていた子たちは元気にしているだろうか。本当に怖かったのかは分からないが。余談だが先日インスタグラムのおすすめ欄に出てきた女の子が雷が怖いと言っていた同級生だった。その子の苗字が変わっていて、世界の真理や!!!!とツッコんだものである。
人は一人では生きていけないと言うように、多くの男性は頼られたら嬉しいものだし、多くの女性は頼りがいのある男性が好きだ。これは生物学的に証明されている事である。
自立と頼るのはまた別問題だが、日本という国ではしばしば同じ意味にまとめられる事も多い。と、個人的には思う。少なくとも、私が見てきた世界ではそうだった。
私の世界は私だけで作り上げられるから、だから必要ないんだなあと気づく今日この頃だった。自立した世界で他の要素を入れてプラスになる想像がつかないからその道を選ばないんだろうと色々気づきと思考を重ねながらも、あれ、今日何書きたかったんだっけ?
本当に日記になっちゃったと思った話でした。