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偽物の称賛が欲しいのは承認欲求のモンスターだね

多くの物事には意味がある


餃子の皮を買う度に離婚した前職の知り合いを思い出す。

とても仲が良く自由でアクティブな旦那さんにちょっと繊細だけど優しく明るい奥さん。双方に関わりがあり今はもう違う土地に住んでしまったけど、お世話になったものである。

離婚。離れる婚姻。これを人づてに聞いた時、私は何となく納得してしまった。不倫とか痴情のもつれとかは起こした方に問題があるけれど、性格の不一致はもうお互いに原因があると思う。

自由を愛する人と乙女的恋愛を求めた人ではやっぱりすれ違うものだ。大事なのは妥協点を探す事。そして時間をかけて作り上げる事だと思う。これはどんな事であれ人との関係はそういうものだ。

ただその事実を知った時、前職場のお姉さま方は一緒に働いていた奥さんを擁護していた。可哀想に、自分勝手だ、色んな言葉が耳に届いた。どう思う?聞かれた時、私はある話を思い出したがこう答えたのだ。

「まぁこの場合別れる原因はどっちかじゃなくて大なり小なり双方にあるでしょ」

一番年下の私がこう答えた事で会話は終わり逆に、お前凄いなと言われたが。

そう、私は知っているのである。


ある冬の仕事帰りだった。駅前まで歩き一緒にいた彼女とバイバイをする前に話をした。すると彼女は半泣きで聞いてと口を開いた。

「昨日ね、帰ってきたら一緒に餃子作ろうって約束したのにやってくれなかったの」

それに私はこう聞いた。

「いつ帰って来たの?」

「22時」

22時。午後10時。OMG。私はさすがにこの時ばかりは旦那さんに同情した。

申し訳ないが一体誰が22時に帰ってきてヘトヘトの状態で餃子を包みたいと思うだろうか。しかも作って食べる頃には23時だ。片付けも含めたら日付が変わるだろう。

そ、それで喧嘩?半泣き?ま、まじ??

困惑した私はとりあえず、大変だったねと慰めた。しかし内心、いやそりゃあしんどいだろ。作れないよそんなんと思った。無理だよ次の日も仕事で朝から出るのに、きついよそれは。

休みの日かその前の日に作ればいいじゃない。それだけじゃない。それで怒られるのはちょっと可哀想が過ぎない?


と、まぁこんな話を多々聞いてきたので納得出来てしまったのだ。


さて、人間関係で揉める時、割合はどうであれ大体双方に原因があったりする。喧嘩も意見の食い違いもそうだ。元を正せば相手に期待しているから勝手に裏切られたと思って怒るのだ。相手に何かしらの感情が無いと怒るのは出来ない。呆れるだけだから。

でも時折、相手が全面的に悪い事も起きる。

例えば浮気とか不倫とか、よくやった側が「お前が相手しなかったから」というやつがいる。ぶっちゃけそうなる前に話し合うべきだった。そしたらお互いフェアな状態で責められたから。

でも起こしてしまったなら全面的にやった側が悪い。これは自分を正当化するために相手を悪とする人間のよくある例である。

近年問題になっているAIイラストや盗作もそうだろう。

何ともまぁ笑ってしまう話だが、SNSの普及により人類は承認欲求の化け物と化してしまった。それは私も同様に。皆がモンスターを心に飼っている。

綺麗に切り取られた生活、容姿、才能、本来であれば知る事が無かった誰かの裕福な生活を見ると人は羨ましいと思う。そりゃあそうだ。だって自分の世界には無いんだから。

これまでモンスターが現れなかったのは誰かの生活を覗く機会が無かったから。承認欲求の化け物は小さなコミュニティの中でしか本領を発揮しなかった。しかし、現代は別である。

誰もがモンスターになりかねないのだ。

モンスターのやばい所は倫理観を失くしてしまう所だ。特にインターネットが当たり前になった世界だから各SNSで年齢が低い子供たちが当たり前に存在するようになった。

大人のモンスターは倫理観を失くし、子供のモンスターはそもそも倫理観を持っていない。それが形成される前にモンスターが現れてしまって自分の欲求を満たすから。

盗作を、した人間を知っている。それが世に広がったのも、騙されている人々を笑っているのも知っている。それを知った時吐き気がした。

私は自分が創作をする立場だから、作品一つにどれだけの物がかかっているのかを知っている。時間、努力、研鑽、悩んだ過程も全て長い時間の中で形成された一つの作品。

ある種の、生きた証。

それを承認欲求を満たしたいがために簡単に利用する人間に吐き気がした。相手の事を何一つ尊敬なんてしていない。そりゃそうだ。だって自分の事しか考えてないんだから。

自分さえよければそれで良くて、自分さえ脚光を浴びるなら何をしても良くて、例えルールを破ってもバレなきゃいい、知らない振りで貫き通そう。


ゴミか。

そうか、ゴミかと思った。以来私はこのような行動をする人間を総じてゴミと思っている。それも生ゴミ。バナナの皮を捨てた後に匂うのと同じように、捨てても不快感を残す物。そんなゴミに関わるだけ無駄だと思った。

だって私の人生は無駄な人間のために時間を割くようなものではないから。

盗んで得た脚光はどんなものであれそう遠くない未来に消えるだろう。これは悲しい事だけど、頂点に昇るまでは暗く泥を啜るような道筋なのに、ようやく浴びた陽の光は永遠に続かない。悪さをせず、そこに辿り着いても。

けれど真っ直ぐ歩いてそこに辿り着いたなら、落ちても着地方法を知っているはずだ。飛べたなら足をつけられるはず。階段を上ったなら下って、もう一度上れるはず。だってそこまで行ったんだから。自分の力で辿り着いたんだから。

でも盗んで得た頂点から落ちた人間は着地方法を知らない。転がり落ちて縋ってまた嘘を重ね誰かを傷つけて落ちる所まで堕ちもう二度と戻らない。


今、誰かの作品を二次利用して自分の物だと言っている人間たちに問いたい。

例えば明日、君の人生は自分の物だと言う人間が現れたらどうする?レプリカみたいに自分のそっくりさんが現れて、こっちが本物の自分だと言い周囲がそれを信じたら?

間違いなく君はどこにも行けなくなるだろう。一人誰にも信じてもらえず堕ちるだろう。どれだけ違うと言ったとして、犯してきた過ちが君を刺し殺すだろう。

君たちがやっている事ってそういう事だ。

いつだって思うけど、刺して良いのは刺される覚悟があるやつだけだ。ばれて言い訳を口にするならやるな。刺されていいと思ったからそこに行ったんだろう。じゃあちゃんと刺されてくれ。君は、自ら望んでその舞台に立ったんだから。

でも面白い事にこの問題って誰もが知る有名な人間の作品とかは使わないから皆分かってるんだよね、刺されたらやばいって事に。分かってるならやめればいいのに、それが出来ないのもまた人間なのか。


結局最後は自尊心の問題だ。

人はどこまででも堕ちる。一度盗んだら次もやる。止めるのは中々難しい。ついた嘘を正当化するためにまた嘘をつく。その繰り返し。そして戻れなくなる。

自分さえ諦めてしまえば全部楽になって、簡単にゴミ溜めに戻れる。けれど戻る事は不可能だ。


作家として、一つだけどうしても譲れない事がある。

売れてないだろとか、大した人間じゃないくせにと言われればそれまでかもしれない。馬鹿正直に生きる方がずっと苦しいかもしれない。

でも、これは私が生み出す物語だ。

例え他の作品と似通ってしまったとて、これまでもこれからも、私が生み出す物語は盗みを働いたものではない事を分かっていてほしい。

ていうか人類生まれてからめちゃくちゃ立ってるんだからそりゃあ思考回路が寄るのも仕方ないだろう。出会ってきたものが人を形成するから。見てきた作品で傾向が寄るのは仕方ないかもしれない。

でも、もし。もし誰かの作品を使いたいなら最大限のリスペクトを。名前を世に出す事。それは盗作ではなくオマージュになるから。

さよならノーチラスのように、最初から最大限のリスペクトを込め生み出す物語じゃない限り、私はこれからも堕ちないから。


だって欲しい物は、堕ちた先にない。

言っただろ、自分だけの色が欲しいんだって。王冠を与えられるならオリジナリティが生み出した作品でありたいんだって。

自分にしか作れないもので称賛を得て、クローゼットの中をいっぱいにして、白と青が作り出す海街で鼻歌交じりに自由を謳歌したいんだって。

偽物で得た称賛から貰えるお金も立場も行為すらいらないんだ。


私は私のままで小さな頭を一生懸命抱えながら、今日もどこかで馬鹿みたいに物語を生み出すのである。

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優衣羽(Yuiha)
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