劣等感は消えないが、六花亭のチョコで自分を愛す事は出来る
自己肯定感を爆上げさせてくれそうな彼氏は、生駒達人と犬飼先輩。
自分の事が好きですか?という問いに、最近やっとマイナスがゼロになってきたと答えるだろう。書く事に関してはことさらマイナスなのだが、外見とか容姿とか。ぱっと見で分かるものに関しては、それなりに自信が持てるようになった。
子供の頃から、どうしたって自分に自信がない。
始まりがどこだか分からないが、決定的なシーンとしては、幼稚園の時まで遡る。
当時モーニング娘が最盛期で活動していた。LOVEマシーンやゴマキ、ミニモニ。などの単語が微かな記憶の片隅で存在している。テレビの中で踊るお姉さん、と言っても当時の私から見ればお姉さんなだけで客観視すれば子供であった。しかし、彼女たちに酷く憧れた。
歌って踊って可愛くて。お姫様みたいで。
当時なりきり衣装を買ってもらっていた私は、お姫様に酷く憧れていた。綺麗なドレスを着て踊り、愛され、幸せになる。キラキラ輝いていたのだ。
子供の頃の写真を漁ると、私がセーラームーンのコスプレをしていた写真が出てくる。
しっかりポージングをして、髪は母の手腕により月野うさぎヘアーになっていた。
真似して踊って歌って。手提げ袋もミニモニ。の柄にしてもらったり、憧れを抱いていた。ああ、可愛いかな子供時代。今となっては見る影もないが。
ある日の事、私は家でテレビを見ていた。コスプレ衣装を引っ張り出しながら両親に、
「ぼく、アイドルになる!」
と言った。(当時の私は兄の影響で僕っ子だった)
すると父が笑いながら、
「お前は無理やて。可愛くないもん」
と言った。
それが衝撃的で。自分の顔が可愛いか否かなんて、判別もしていなかったけど。
無理と言われた事がショック過ぎて。鏡を見ながら半泣きになって、なれないんだと呟いた。
ぼくは可愛くないからアイドルになれない。
歌って踊って皆の前には立てない。
この瞬間から、私の中で何かが壊れ始めたのだと思う。
うちの父はデリカシーがベイルアウトしている人間だ。言っちゃいけない事を平気で言うし、人の容姿批判は余念がない。しかも本人が冗談やってと言いながら何が悪いか分かっていないのだからたちが悪い。
大人になった今、饒舌すぎる私を批判した場合1が10になって返ってくるのを理解したので言ってこなくなったが、饒舌になったのも八割がたお前のせいであるとは言いたい。
それと、家庭環境。お喋りまんが多すぎて、自分の話を聞いてもらえなかったので面白い話をせねばと饒舌になった。
とにかく何でも否定から入り、可能性の欠片を精神的に潰してくる父に(ちゃんと仲良いので安心してください)幼い私は言い返せなかった。以来彼の言葉を真に受けて、どんどんなりたかった自分から遠ざかっていく。
誰かが作った自分の像に、必死に当てはまろうと頑張って。背が高いからスカートは似合わないとか、女の子らしいイメージないとか、そんな言葉。沢山沢山聞いてきて、その度に心を折ってきた。
別に背が高かろうが男勝りだろうが、ドレスや綺麗な物好きでもいいじゃん。ていうか男勝りなのはあなたたちが勝手につけたイメージを、私が頑張って回収しようとした結果ですて。
なんて、今なら言える。マイノリティーは尊重されるべきだ。男の子がピンク好きでもいいじゃん。ランドセルピンク色選んでもいいじゃん。というか私のランドセルは赤やピンクじゃなかったじゃん。
私が子供の頃、まだマイノリティーは認められない時代だった。女の子らしくあれ、男の子らしくあれ、ランドセルの色味はこうだ、その枠から外れたら変なやつだ。前の時代よりマシにはなったが、それでもまだまだだった。
LGBTQなんて、認められもしなかっただろう。別に誰が誰を好きでも、好きにならなくても、自分には関係ない話だろうに。
顔も知らない誰かが同性同士で結ばれようが、自分には関係ないのだからわざわざ批判したりしなくてもいいのになあと思う。愛の形は人それぞれである。
そんなこんなでどんどん自分に自信を無くした私は、表面だけ強がる人間になり下がった。
辛いよ苦しいよ痛いよ泣きたいよ。
思っていても口に出してはいけないのだと思い込んだ。本当の自分がどこかに行ってしまった感じがした。高校生になるまではずっと、そうだったと思う。
地元という狭い枠組みの中で生きるにはアウェー過ぎたのだ。
中学生になって、私は私の事がより嫌いになった。
理由は簡単、目の上のたん瘤が本領発揮していたからだ。
私には一つ上の兄がいる。この兄、良く出来た男であった。幼少期から私という異次元のヒトモドキの面倒を見ていたせいで、とにかく世話焼きで面倒見がいい。
頭もよく成績はいつも上位。テストの点数は基本80点以上、運動も出来、部長や副部長もやっていた。学級委員などで人をまとめたりもしていたし、とにかくリーダーシップに長けた人間だった。そして、顔が良かった。
私と彼は似ても似つかない対極の場所にいた。私は馬鹿で赤点常習犯(国語と歴史だけは出来た)、運動は得意だが秀でた物はなく、人をまとめたりなんて出来もしない、顔は、垢抜けなかった。
一つ上に兄妹がいると、とにかく比べられる。兄は有名人だったため尚更である。中学時代、彼の名前を知らない人から何度も聞いた。優等生のイケメンという言葉がふさわしかった。
教師も生徒も学校中、彼を知っていた。だからこそ、兄は出来るのにねと何気ない言葉が心を突き刺していった。彼は理数系で私は極度の文系、数学が全く持ってできなかった私に、お兄ちゃんは得意なのにねと何度言われた事かは分からない。
お弁当の時間に母が入れ間違えた弁当箱や箸など、いつも彼が先に気づいて私の元に来た。その度に、私は嫌な気持ちになった。兄の事が嫌いなわけではないのに、お願いだからどうか。とっとと消えてくれと願った。
そして母、いつもお弁当ありがとう。忙しいし母が抜けているのは知っているからあんまり言えないけど、頼むからおかず×2、ご飯×2の構図で間違えるのは止めてくれ。と思っていた。
兄が来るといつも周囲が湧いた。今のお兄ちゃん?から始まって、かっこいいね、彼女いるのかな、どんな人?兄と付き合いたい、気に入られたい人が私に媚を売ってくるパターンも多々あった。
ある日、修学旅行に向かうバスの中で当時気になっていた男子と話していた私は浮かれていた。これも恋に恋していた一つなのだが、席が近く、さらに盛り上がったため嬉しくて仕方なかったのだ。
そんな中、話題は兄の話になった。彼は兄と同じ部活に入っていて、兄の事を尊敬していたようだった。本当に格好いいよなと話す彼の口から、衝撃の言葉が飛び出す。
「兄貴はかっこいいけど妹は――」
果たしてその言葉の先を、最後まで言い切ったのか。今はもう憶えていない。ただ、微かに小さい声で聞こえたブスという言葉は、確実に私の心臓を抉った。しかし、そこで泣き出せないのが私である。
「何それ、うざー」
大袈裟に笑いさも傷ついていませんというオーラを出した。
けれど未だにこの言葉を憶えているあたり、私は確実に傷ついたのだ。もうどうしようもないほどに。年々上がっていく劣等感は、兄という人間の影響で助長された。
そこから兄と別の高校に通うまで、私は荒んでいたと思う。
別に可愛いわけではないのを知っていたし、背も高くて同級生男子の求めるか弱い女の子像ではないのも分かっている。ついでに言うと、小中学生の時にモテるのは、顔よりも愛嬌がある子だ。
ぶりっ子に近い子ほどモテる。分かりやすく、おだててくれる背の低い子がモテていた。そう、全然違う。
そう考えると人間の本質はいくつになっても変わらない。ホストやキャバクラなど、話を聞いておだてて商売をする世界が消えないのは、結局皆よいしょされたいからだ。ホストやキャバ嬢の知り合いはいないけど、彼らも大変だと思う。それが商売で金貰ってんだろと言われればそれまでかもしれないが。
兄と違う高校に通い始めてから、私は私自身の価値を知った。笑える話だが、私に対して容姿でいじってくるような人間がいなかった。これは成長もあるのだろうが、単純に。少しだけ小奇麗にしていたらモテたのだ。一体数年前は何だったのかというくらいに。
ちなみに私に問題発言をした人物と数年後すれ違うのだが、声をかけられ連絡先をと言われた瞬間、あ、興味ないわじゃあねと言って去った出来事がある。あの時は最高の気分だった。
しかしどれだけ容姿の事で言われなくなっても、私の根底にはどうしようもない劣等感が存在し続けている。何をしても、どんな世界に行っても。私は私が酷く劣っていると感じる。
今、この文章を書いている時でさえ、もっと上手く書けるはずだとか、そんなんだから売れないんじゃないのかとか、いい作品かけこのゴミ屑と良く思っている。それはもう頻繁に。
いつ捨てられるか分からないんだから、いつだって最上級の物を書け。いつだって、これが最後だと思え。頭の中で私がずっと呟いている。が、書き終えて作品になった後読み返したら、もっと!ここ!この字!はい!何しとる!?と本気で思ってしまうので読まないようにしている。
このどうしようもない劣等感を何とかしたくて。
小学校6年生の時から存在し続けたニキビに目を向けた。
初めて出来た思春期ニキビは眉間だった。もう最悪である。絶対見える所に出来てしまった。そこから20歳頃まで、私は永遠にやつらと闘っていた。
昔の写真を見返すと、肌の汚さが目立つ。治らなくて躍起になって、潰したり掻いたりして悪化して。思春期を通り過ぎると落ち着くなんて言っていたが、ふざけるな後何年あると思ってんだといつも文句を口にしていた。
肌の綺麗さは清潔感に繋がると思う。やっぱり、肌が綺麗な人の方がモテるし、何となく印象が良かった。私は長年悩み続けたニキビが消えれば、少しはこの容姿に対するコンプレックスも消えるのではないかと思ったのだ。
身長は誠に遺憾ながら変わらないので、受け入れるしかなかったのだけれど。
結論から言うと、ニキビは死滅した。時折小さいのが出来たりはするが、肌の治安はすこぶるよくなった。もとより白い肌が、尚更輝いて見えて、私は鏡を見るのが少し嫌ではなくなった。
もう一つ、長年の課題が眉毛だ。
これは未だに難しいのだが、眉毛と肌が綺麗になると全然違う。太めの眉毛を何とかして綺麗にしようと四苦八苦し数年、時には無くなったがようやく理想に近づいている。
髪型を変えたり、自分に合った服を着たり、爪を飾ったり、メイクをしたり、スタイルをキープするため緩く頑張ってみたり、ケアをしたり。
今の私が当時よりも自信を得たのは、これまでに積み重ねてきた努力による結果だ。まだまだ発展途上で改善する所もあるが、私にとって自分に降り注ぐ可愛いや綺麗は、過去の私を肯定してもらえているみたいで特別嬉しくなる。
あー、あの時色々言われたけど頑張って生きてきて、スタイルのいい綺麗なお姉さん目指して研鑽しててよかったなあと思う。
昔の私が憧れた、アイドルにも芸能人にもなれないし。今はもう、なりたくもないけれど。
小さな小さな夢を潰された私が、今の私を見たらきっと、キラキラしてると言うだろう。貴方もこうなるんだよ、これから沢山酷い言葉が襲ってくるけれど諦めず生きていれば、美しい物を追っていれば、きっとこうなるんだよって。
まだまだここが終着点じゃないよって。これから私、年齢を重ねても綺麗な人になるためにちょっとの努力を続けていくからって。
しわしわのおばあちゃんになるまで生きていたら、その時が一番綺麗かもしれないよって。
そう、言えるように。劣等感と向き合っていきたい。
まあ、容姿の劣等感についてはだいぶ解消されたけど、問題は作家としての劣等感だろう。多分今はこっちの方が問題である。
才能の世界に入ると、より自分が惨めに感じる。人を妬む事だってあって、自分の方がいいのに何でとか、酷い事だって思う。から、そんな酷い事を思わないためにSNSなどで周りを見ないようにしている。本当に、ちょっとの事でも思ってしまうから。
特に同じような界隈に住んでいると余計にだ。似たような作品が蔓延る中でオリジナリティを求めて書いてきた。し、今も書いている。
でも中には盗作と言われるようなパクリで名声を得たものもやっぱりあって。それを名指しで批判はしないけれど、あー所詮こんなものなのかと不快感を抱く事もあった。
美しいものだけを望んで、自分が考えられる一番綺麗なものを作り出すために。ただ自分と向き合えばいいのに、悲しきかな。インターネットが普及した現代社会はよそ見できる場所が多すぎる。
普及する前だとしても、新聞記事を読んだり街中を歩いたりしてダメージを食らっていたのだろうけれど。
どの世界でもそうだが、自分なんて全然とか、あんまり強くないんですとか言う奴ほど強い。これは本当に。精神が強靭過ぎる。ちょっと病んでますみたいな事を表に言える奴ほど強い。
本当に参っている人間がいたら、Twitterで私もう無理なんて言えないだろう。本当に参っている人は突然姿を消して、この世界からいなくなったりするのだから。むしろ言えているうちは救いようがある。
本当に、消えてしまう。
だから折れる直前に無理だーと口にするようにしている。誰が見ていようが関係なく。言わないとより進行しそうだからだ。それで控えた方がいいと言われても、やり続ける。これは私が私を救う行為だから。
そもそもTwitterは独り言を呟くためにあるらしいので、独り言を勝手に見て文句言うくらいなら見なければいいと過激な事を言っておく。
劣等感は遅効性の毒に近い。
最初こそ気づかないが、ゆっくりと確実に。身体を蝕んでいく。劣等感があればあるほど完璧主義に近いのだろう。確かに、書く事に関しては完璧主義に近い物がある。
書いては駄目で、思いついては苦しんで。もうずっと長い事、恋をしているみたいだ。それも酷く依存性の高い恋。君が死んだら私も死ぬみたいな、そんな恋。
頼むからタイタニックみたいに、片方を生かす結末になってくれよと心底願うが
そうはならないだろう。死ぬ時はきっと。お前のせいで死ぬ。
ある作家のインタビュー記事を読んだ時、歳を取ればとるほど、老い先が短くなる。書く事に当てる時間に終わりが見えてくる。だから若い時ほど書きたくなって、真剣に小説に向き合っている。
と話していた。
終わりが見えたら真剣に向き合うのか。ならば永遠と感じているこの焦燥感は、いつになったら消えてくれるだろう。もしかすると、私は知らぬ間に私自身の生の終わりを感じているのかもしれない。それはそれで怖いけど。
早く新しいのを出さなきゃ。素晴らしい作品を書かなきゃ。こんなんじゃ駄目だ。誰も喜ばない。何より私が納得しない。
もっと。もっともっともっと。先を描け。
上手くいったと思っても、数字に繋がらなければ現実世界では生きられないのだから。
美しい物を書くために、心を削いで向き合え。
ずっと。それだけを考えている。
本当に美しい物を書きたいだけなら、私たちはヘンリーダーガーのようにあるべきなのだ。半世紀以上書き溜めた作品を生涯どこにも出さず死んだ芸術家。彼こそ、私にとって。いや、芸術家にとって至高の存在であると思う。
他人の言葉など意に介さず、自分自身の作品に向き合い続けた。本当に凄い。私もそうなれたら良かったが多分無理だろう。だってこの言葉たちを、どこかで受け入れて欲しいと願っているからだ。
本当に美しい物を書きたいくせに、誰かから称賛されたいと、理解されたいと、浅ましい心で願っているからだ。嫌だな人間。欲望なんて無くなればいいのに。本当に美しい物だけを追究するような人生であればよかったのに。それをするには、もう戻れないけど。
だからこう願っている。
もうちょっと。あともう少しだけでいい。
私は私の書く文章を愛せるような人間になりたい。
どうしようもない劣等感も、過去も、縮こまった私自身も。それで良かったよと言える人間でありたい。
書き終えた後の文章を見て、ここ凄い良い!と自ら言えるような作家になりたい。
人は人、自分は自分と、本当の意味で割り切れる状態でありたい。
いつか、そんな私をひっくるめて愛せた後に、誰かを愛すのだろうか。
先はまだ遠いなと頬杖をつきながら、今の私が少しでも幸せになるために六花亭のイチゴチョコを口に入れた。
ホワイトチョコレートが舌先で溶けていく。歯を立て割れば乾燥したイチゴの酸味がホワイトチョコレートの甘さを中和した。種が治療中の歯のすき間に挟まる。
今だけは、劣等感も思いのままだった。
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