
四つ葉のクローバーを回しながら帰るくらいには子供のままで
幸福は掴みに行くものでもあるが、時折道端に落ちている時もある。
区役所の外、円形の白い広場の周りにシロツメクサが咲いていた。子供の頃母に連れられ遊びに行った。花が咲く春先は彼女に花冠はどう作るのか聞いていたが、未だに作れた例がない。花冠は想像以上に花がいる。そして当時の私は想像以上に地道な作業が嫌いだった。
結局花冠も腕輪でさえ作れた事がない。時折母が作ってくれた腕輪を付けて喜んでいたが、もし自分に子供がいたら作れただろうか。多分無理。想像以上に無理。
クローバーが、沢山植わっていた。いつも四つ葉を探していた。四つ葉のクローバーを見つけると幸運になれるという迷信を早くから教えられていたからかもしれない。四つ葉=ラッキーの代名詞は我々が幼少期から培った他愛もない知識の一つであろう。
ハッキリとは憶えていないがそこで四つ葉は見つからなかった。少なくとも私の手では。兄は見つけていた気がする。それも遠い記憶だから何とも言えない。何にせよ私は昔からラッキーと程遠い場所で生きている。私の運は全て兄が吸っていったというくらいには差があった。なので私の手に四つ葉が収まる事はなかった。
それ以降、四つ葉を見かける機会は何度かあった。けれどどれも、自分の手で見つけた物ではなく誰かが見つけた物だった気がする。ある時ある場所の、詳細を語るならラーメン屋の裏手の花壇に植わっていた雑草に四つ葉が沢山あったのを憶えている。なぜ、こんな所に大量に……。
ちなみにそれを見た父は、四つ葉は奇行種だからおかしいねんと言った。何でこいつ、こんなに浪漫が無いんだろう。何でこんな浪漫がない奴から生まれた私が作家出来てるんだろう。反動か?反動なのか?と、今では思える。少なくとも君が言った奇行種はすぐそばに、ここにいる。余談だが私は進撃の巨人の奇行種の走り方が得意だ。
話を戻そう。確かに四つ葉は奇形の部類に入るだろう。最初からそういう種でなければ。四つ葉のクローバーは踏んづけられて、ダメージを受け続けた結果進化し葉を増やすらしい。
もう一つは突然変異。これが遺伝したエリアは集まって生えている可能性が高い。つまり、ラーメン屋の裏手の花壇はこっちだ。何かしらの原因で突然変異が起き大量発生した。
幸運の象徴なのに、痛めつけられて葉を増やすのか。初めて知った時は何とも言えない気分になった。幸運や幸福は、沢山傷つけられて自分を護るために強くなった結果与えられる物だと考えたら確かに、四つ葉のクローバーはある種の人生みたいなものだとも思った。
人間もそうだ。突然降って来るラッキーなんてほぼない。多くの場合、自分が種をまいて可能性の欠片をばらまきまくって、その中で芽を出したものが一つでもあればラッキーになる。それを人はラッキーと呼ぶが実際は自分自身が作り出したラッキーだ。
突然降ってくるラッキーはほぼないと言ったがなくはない。宝くじは確かに自分で種をまいたけど回収できる額が高ければ高いほど棚ぼたラッキーになるだろう。何もしてないのにある日突然誰かに見初められるようなシンデレラストーリーもある。全くないがなくはないとだけ言おう。
傷ついて傷ついて必死に護って強くなった結果、そこに幸せが生まれるのは人が成長する過程と同じだ。傷つかないと手に入らないものばかりだ。戦わないと、行動しないと欲しい物は手に入らない。欲しい物が手に入るのは顔が良い人間でも性格が良い人間でもない、行動力があるかないかである。
そんな事を思ったのは道端に不自然に落ちていた雑草に足を止めたからだ。
朝から雨だった。今日は買い出しに行かなければ、柔軟剤もウェットティッシュも買って、食料品もストックしよう。ああ、重たい買い物になる。明日は晴れるだろうと、思っていた私が馬鹿だった。驚くほど雨だった。全然止みそうにもない雨だった。
明日でもいいかと思ったが予報は明日も雨だった。来週でもいいかと考えたが来週になると冷蔵庫のストックはきつくなるだろう。ちゃんとストック管理はしているけれど、何を作るか毎日考えるのが面倒である程度買ってしばらく買い物したくないのだ。休日は一日、家事をする日に変わった。
私は腹をくくった。レインシューズを出しなるべく水を弾くジャケットを着た。眼鏡に水滴が付くのが嫌だからコンタクトにした。髪を上げて荷物を少なくし傘を差した。幸いにも横殴りの雨ではなかったので足早に買い出しをしようと考えた。
そして大量の買い出しをしてエコバッグを背負いふらふらしながら傘を差していた時だった。前から子供が歩いてきた。父親の傘に入り楽しそうに遊んでいる。可愛いなと思いその横を通り過ぎてしばらくたった後、それは落ちていた。
始めは誰かが摘んで捨てたのだろうと思った。それは間違いではないと思う。さっき子供がいたし、すぐ横にはシロツメクサ。遊んでちぎって捨てたのだろうと容易に想像がついた。
けれど踏むのは嫌で通り過ぎようとしたその時、足を止めてしまった。
よ、つ、ば、だ。
OMG四つ葉のクローバーが落ちていやがる。しかもサイズ感のでかいクローバーだ。
思わずしゃがんでそれを摘まんだ。ついた泥を払うための手は空いておらず、仕方なしにジャケットで払った。雨で濡れたそれを片手に持っていた時前から歩いてきたカップルにぶつかりかけて慌てて歩き始める。
優衣羽は四つ葉のクローバーを手に入れた。
なんてこった。ゲームのようにピコンと音が鳴った気がした。レアアイテムだ。まさかこんな所でお目にかかるとは。しかもあんな捨てられ方をしているとは。夢にも思わなかった。
片手に持った茎をクルクル回す。何だか楽しくなった。雨は降り続け大量の荷物に足が取られかける。マンホールで滑って転びそうになった。それでもまるで子供に戻ったみたいに嬉しくなった。
出たくなかったけど出てきてよかった。マスクの下僅かに上がった口角にふと我に返る。
25歳独身女性、道端に落ちていた四つ葉のクローバーを拾い子供のように喜んでそれを持ち帰る図だ。
中々にきつい文面じゃないだろうか。ああ、きつい。自分でも何してるんだろうと思った。まさかこの歳になって四つ葉のクローバーをゲットし喜んで持ち帰るとは思わなんだ。
さっきの子供が摘んだとしても捨てているのだ。そう、四つ葉だと気づかれ摘まれても、これは一度捨てられている。可哀想な事に勝手に根から切り離されて捨てられている。傷ついて護るために葉を増やしたのに捨てられている。
それを大の大人が楽し気に持ち帰るなんて誰が思えただろうか。
私は言いたい。子供の頃見つけられなかった四つ葉のクローバーが大人になってある日突然道端に落ちていると。有り得ない話だけど現実は思っているよりもずっと有り得ない事が起こる。それも、春に。
良い事はあるだろうか。持ち帰りそれをキッチンペーパーで丁寧に拭いた。そして辞書の下に仕舞った。幼少期、押し花を作った記憶が彷彿させたからだ。
人は変わらない。あの頃クローバーを探していた子供も、桜の花を掴んで押し花を作っていたのも、大人になってから同じ事をしている。結局、私の本質は変わらない。幼少期にあった小さな出来事が今も一緒に生きている。
良い事あるといいなと言う度母の言葉が思い出される。見つけた事が、手に入った事が良い事なのだと彼女はよく言う。マイナス思考ら強い考え方だが私はこれを手に入れた事もラッキーだけどそこからラッキーがまた生まれるのだと思っている。現に私の気持ちは晴れやかになった。
流れ星を見た時と同じくらい晴れやかで嬉しくなった。人はいつまでも子供みたいに喜んで楽しめるのだと知った。もしかすると大人の方が子供みたいにはしゃげるのかもしれない。子供はそれが初めての体験だから楽しいけれど、大人は当時を懐かしめるから二倍楽しめる。
日常の些細な出来事で言葉は生まれていく。人を避けたら水たまりに足を突っ込んだ。跳ねた水面に枯葉が浮いていた。ジャケットに雫が浮かんでいる。マンホールで転びかけた。クローバーについた泥と葉に僅かに入った黒い線。色とりどりの躑躅が咲き誇る。世界は鮮明に匂いも色彩も感覚でさえ澄み渡る。
私の言葉はこんな些細な出来事から生まれていく。濡れるのが嫌いなだけで雨は嫌いじゃないのも思い出す。独特な匂いも冷たくなる指先、傘に跳ね返る雫の音、目を凝らすと見える雨の線。何十回何百回だって経験してきたその一瞬に触れる度世界の美しさに気づく。
そして今日も、幸運は私に世界の美しさを教えるのだ。
いいなと思ったら応援しよう!
